2020年5月26日

もしも雪組スターさんがピアニストだったら…妄想④ ~望海風斗さん編~

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雪組のスターさんたちが、もしもピアニストだったらこの作曲家の曲が似合いそう!弾いて頂きたい!!という妄想文その④です。
今回は満を持して(?)雪組トップスター・望海風斗さんに弾いて頂きたいピアノ曲妄想だよ~!ドンドンパフパフ~!!
あ、先にお断りしておきますと、作曲家についての語りがとても長いです!!でも「fff」の予習にもなるかもしれないから!よかったら読んであげてください!!(笑)


望海風斗さんに弾いてもらいたい!作曲家

●ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

「『fff』で演じる予定だからかーいw」とはどうか突っ込まないでおくんなせぇ…随分前からだいもんにはベートーヴェンが似合う!と私は思ってたのよ!!(笑)
言わずと知れた大・大・大作曲家であるベートーヴェン様。その偉大さを称えて「楽聖」とも呼ばれています。
ベートーヴェンの音楽の魅力は何といっても重厚で腹にガツンとくるような音の響きと、切なくも情熱的で印象に残るメロディ。
皆さんご存知「運命 第1楽章」の「♪ジャジャジャジャーン!」という出だしなんて、「♪エーキサーイター!!」とか「♪スーパー!ボイジャー!!」とか、青木朝子先生のショー曲かってくらいのインパクトと覚えやすさがあるんじゃないかと思います。
ラーメンにたとえるなら濃厚でガツンとパンチのあるとんこつ醤油。の中でもずばり、横浜家系ラーメン!(笑)

そしてベートーヴェンといえば不屈の精神と、情熱と信念を持って音楽を作り続けた人。
難聴という音楽家にとって致命的な障害を抱えながらも、数多くの名曲を残したことは広く知られていますね。
さらに彼は「自己表現としての音楽」を広めた先駆者でもありました。
ベートーヴェン以前の音楽家(たとえばモーツァルト)は、王侯貴族のために曲を作る「雇われ人」に過ぎませんでした。そのため、作る音楽も貴族好みの「BGMにちょうどいい音楽」みたいな軽めな曲が多かったんですね。ほら、もしもお貴族様の優雅なティータイムのBGMに「運命」なんて演奏したらもうおしゃべりどころじゃないじゃん?

それに対して「俺は!自分の感情とか!思想とか!そういう魂ってやつを詰め込んだ、聞く人の心を揺さぶる音楽が!作りたいんだ、ぜ!!」というロックな精神(?)で音楽を作り始めたのがベートーヴェン。彼が作曲家デビューした1792年はちょうどフランス革命の動乱がヨーロッパ中を震撼させていた頃。革命の思想に共感していたベートーヴェンは、一部の貴族のためではなく、広く市民に音楽を届けたいという想いが強かったようです
そんな情熱が詰まった彼の音楽は見事に大衆の心を掴み、今もなお愛され続けています。作曲した交響曲(オーケストラ用の音楽)全てが現代でも演奏され続けている作曲家はベートーヴェンくらい、なんて話もあるくらい。

ついでに、「自分の思うままに曲を作り、聴きたい人に売る」という現代では当たり前のスタイルの確立は、後世の作曲家たちにも多大な影響を与えました。ピアニスト妄想①~③で紹介した作曲家たちが好きな音楽を書いて飯が食えたのも、ベートーヴェン様あってのこと…なのかもしれない(笑)

この「時代を超えて愛され続ける普遍的な魅力」、「情熱と信念」、そして何より「音楽で誰かを幸せにする力」。
そんなベートーヴェンの楽曲を弾いて頂きたい方と言えば、心に響きまくる歌声やお芝居、そしてホットでディープな宝塚愛でもって極上の舞台を見せて下さるだいもんしか考えられないわ!!!

…というのがまぁなるべく客観的に考えた理由なんですが、ぶっちゃけ大好きなベートーヴェンの曲を大好きなだいもんがカッコ良く弾いてくれたら超~~萌えるだろうな~~というのが一番大きな理由だったりもします。ハハッ!
さて、前置きが大分長くなりましたが!だいもんに弾いてもらいたいな!と妄想した4曲(+α)をご紹介します!



ベートーヴェン「ピアノソナタ第8番 『悲愴』第2楽章」

だいもん×ベートーヴェンならこれは外せないかな…ということでまずはこちら。「SUPER VOYAGER!」のデュエットダンスでだいきほが歌っていたので、皆さまご存じですよね。
散々「ベートーヴェンは情熱的!」と語っちゃいましたが(笑)こんな風に大きな優しさで包みこんでくれるような美しい~~曲も沢山残しています。どこまでも優しく心地良いだいもんの歌声のような調べに聞き惚れたい…とか妄想していたら、「宝塚GRAPH」2020年6月号で実際に練習されていると知って飛び跳ねました!WAO!!


…ただ私がいっっちばん好きなのは第3楽章なのでよかったらこっち↑も聴いてください(笑)
初めて聴いた時はまだ小学生でしたが、あまりの美しさ、切なさ、そして激しさに胸を打たれまくり、いつかこの曲を弾きたいと強く願った思い出の曲なのです(そして実際に弾いてみたら「むっずかし!!」と現実に殴られたw)



ベートーヴェン「ピアノソナタ第14番 『月光』第3楽章」

「月光」ってあのゆったりした、ちょっと眠くなる曲…?と思われた方は、黙って動画をご覧になっておくんなまし。私が大好きな、そしてだいもんに弾いて頂きたい「月光」はこちらです!!(笑)
激流のように激しく!熱く!ダイナミック!!…もうあまりのカッコ良さにただ痺れるしかない。は~最高!!だいもんには男役の色香を駄々洩れさせながら、眉間にシワを寄せて伏し目がちに弾いて頂きたいですね。妄想で失神しちゃう。
ちなみに「宝塚GRAPH」で語られていたきいちゃんが練習中の「月光」はこちらではなく、有名な第1楽章の方ではないかなと思います。そっちも貼っておきますね。


(↑5:18~からは第2楽章。順番逆になっちゃいましたが、本来は第1~第3楽章まで通して演奏されます)



ベートーヴェン「ピアノソナタ第23番 『熱情』第3楽章」

「熱情」はベートーヴェン本人が考えたのではなく後世の人が勝手につけたタイトルですが、これ以上ピッタリの題名ないでしょ!!ってくらい熱い曲。聞く人の心を揺さぶりたい!というベートーヴェンの熱すぎる想いがビシバシ伝わってくる名曲です。
最初から最後までずーっとかっこいいん曲なんだけど、特に終盤(7:13~あたり)は圧巻。だいもんにはドン・ジュアンのような黒い役を演じている時の悪い笑み(笑)を浮かべつつ、熱く熱く激しく弾ききって頂きたいです…(でも見事に弾き切って観客へお辞儀をする時は別人のようなにこにこ笑顔になってそうだな~w)



ベートーヴェン「ピアノソナタ第17番 『テンペスト』第3楽章」

私は深く傷ついた時のだいもんのお芝居(「ひかりふる路」のマクシムとか「ファントム」のエリックとか)が大っっっ好きなんですが、この曲を聴くとそんなだいもんの姿が思い浮かんで「グッ…萌える…!」と奥歯を噛みしめがちです。恋しい人の面影を求めて、ヨロヨロとあてどなく彷徨うだいもん…良い…(※妄想)
もしくは「ワンス~」でデボラに去られた後のヌードルス並みに哀愁を漂わせて弾いて頂くのも良いなぁ。シンプルなメロディながら何とも胸に迫ってくる美しい曲で、だいもんにとても似合うんじゃないかなと思います。

他にも特にタイトルが付いていないピアノソナタにも好きな曲が色々あるんですが、あまりマニアックになってもアレなのでこの辺で…(笑)
最後に、ピアノ曲ではありませんが多分「fff」にも深く関わるんじゃないかな?というこちらの曲をご紹介しておきます。


ベートーヴェン「交響曲第3番 『英雄』」

フランス革命の思想に共感していたベートーヴェンは、平民出身ながら華々しい戦果を挙げた英雄ナポレオン・ボナパルトを尊敬し、彼に捧げるためにこの曲を作ったと言われています。
しかし後にフランス皇帝の座についたナポレオンに「彼も俗物に過ぎなかったのか!」と幻滅し、「ボナパルト」というタイトルを消して「英雄」に書き直した…なんて話も有名ですが、これが真実かどうかは実は分からないんだとか。ナポレオンへの献呈を取りやめた理由には諸説あり、「彼は生涯ナポレオンを尊敬していた」という説もあるようです。
「fff」ではこの辺りがどういう解釈になるのか…う~ん楽しみですね!ではでは~!

2020年5月23日

もしも雪組スターさんがピアニストだったら…妄想③ ~朝美絢さん編~

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雪組のスターさんたちが、もしもピアニストだったらこの作曲家の曲が似合いそう!弾いて頂きたい!!という妄想文その③です。
今回は朝美絢さんに弾いて頂きたいピアノ曲妄想。読んでも何も得るものはない妄想文ですが(笑)よろしければお付き合いください!


朝美絢さんに弾いてもらいたい!作曲家

●フランツ・リスト

「翔くんがショパンなら、あーさはリストだな」と連想的に思いついたのですが、我ながら結構しっくりきてます(笑)
ショパンとリストは同時期に活躍したピアノの天才で、当時から並び称されていました。ショパンが「ピアノの詩人」と呼ばれているのに対し、リストは「ピアノの魔術師」と呼ばれています。
ショパンもリストも美しくロマンティックなピアノ曲を多数残していますが、リストの方がより技巧的というか、もう素人目にも難解で悪魔的というか…ショパンが「柔」のピアノだとすれば、リストは「剛」のピアノってイメージ。
翔くんもあーさも超絶美形ジェンヌ様ですが、同じ「美しい」でも翔くんには甘く柔らかな魅力、あーさにはシャープで硬質な魅力を感じるんですよ。それもあって、あーさにリストってぴったりじゃないかな~なんて思うわけです。
ラーメンにたとえるなら、濃厚な旨味がありつつも後味さっぱり、見た目もシャレオツな一杯が多い気がする鶏白湯。

さて、リストは偉大な作曲家であると同時に超~~~天才ピアニストでした。
元々手が大きかった上に、どんな難曲も初見で弾きこなせる超絶技巧の持ち主だったそう(ただそんな彼もショパン作曲の練習曲は弾きこなせず、ショックのあまりしばらく引きこもって練習→しばらくしてショパンの前に現れて完璧に弾きこなし、ショパンを驚かせた…という大変エモいエピソードがあります)

そんな人が「こんな曲も弾けちゃう俺、最高にかっこいい!!」と作った曲なので(?)、どれも難曲揃いです。
リストの曲が弾けるってだけで滅茶苦茶かっこいいしそこに痺れて憧れちゃうのに、弾いてるのがあの「美、そのもの」みたいなあーさだったりしたら…アカン、妄想だけで倒れそう…。

そんな中でも、あーさに弾いてもらいたいな!と妄想した曲を4曲紹介します!



リスト「愛の夢 第3番」

だいきほのデュエットダンス(ミュレボの時)にも使われていた、とっっっても美しくてロマンティックな一曲。元々は歌曲だったからか、旋律が分かりやすくて聞きやすいところも魅力だと思います。
「3つの夜想曲(ノクターン)」という副題がついており、第1、第2もありますがこの第3番が最も有名です。夜想曲というくらいだし、月明かりに照らされたあーさの美しい横顔を拝みながらうっとり聴き惚れたいですなぁ…。



リスト「パガニーニによる大練習曲 第3番『ラ・カンパネッラ』」

こちらもミュレボで使われていましたね。繊細で、美しくて、華やかで、それでいて激しくて…も~絶対あーさに似合うと思います!激しい演奏に前髪がはらりと乱れて…とか素敵やん…?
リストといえばこの曲!というくらい有名ですが、パガニーニさんという名ヴァイオリニストが作曲した「ヴァイオリン協奏曲 第2番」が原曲。彼を尊敬していたリストがピアノ用にカッコ良くアレンジしまくった結果、今ではこちらの方が有名になってます(笑)
ちなみに「ラ・カンパネッラ」とは「鐘」という意味。言われてみると確かに鐘の音っぽさ
ありますよね。



リスト「3つの演奏会用練習曲 第3曲 『ため息』」

「リストを演奏するあーさを妄想すると、もうため息がホウッ…とこぼれてしまいそう…はっ!まさに『ため息』っていうピッタリな曲があったよね!?」というノリ選曲です。
まぁ私のノリはともかく、こちらも甘美で流麗な調べにウットリできること請け合いの名曲ですので、聴きながら色々と妄想を膨らませて頂きたいと思います!重すぎる一方通行な愛を抱えるあーさ(そういう役ほどハマるよね…)が苦悩しつつ弾いてたら最の高…。
しかしショパンと言いリストと言い、鬼畜難易度すぎて「練習曲、とは??」ってなりますな。



リスト「ハンガリー狂詩曲 第2番」

ロマ音楽的なリズムの変化や、他の楽曲(クシコス・ポストとか)のメロディがアレンジして取り入れられてたりと構成が面白い曲。動画の方は独自のアレンジも取り入れてるので更に華やかです。
前半は大人っぽいタンゴの場面で色気ムンムンで踊るあーさ、後半(動画の5:07~辺り)は中詰めの総踊りで眩しすぎる笑顔で踊るあーさ…というショーのナンバーを妄想して選びました。
あーさには情熱的で激しい曲が似合うなぁ…いや、私がそういう曲が好きなだけってのもあるんですがw

あと「ハンガリー狂詩曲」と同じくらい萌えるな~!!と思って最後まで迷ったのが「超絶技巧練習曲 第4番『マゼッパ』」。
鬼畜生かってくらいの難曲ですが、鬼気迫る表情のあーさが弾いたらマジで失神しそうなカッコ良さだと思うのでこちらも良かったら聞いてみてください。ではでは~!

※やっぱり「マゼッパ」も弾いて頂きたい!という思いが捨てきれなかったのでこそっと追加で貼ります…超~かっこいい曲だから御用と急ぎでない方は聴いて行かれて…



2020年5月20日

もしも雪組スターさんがピアニストだったら…妄想② ~彩凪翔さん編~

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雪組のスターさんたちが、もしもピアニストだったらこの作曲家の曲が似合いそう!弾いて頂きたい!!という妄想文その②です。
今回は「凪様」こと彩凪翔さんに弾いて頂きたいピアノ曲妄想よ~。


彩凪翔さんに弾いてもらいたい!作曲家

●フレデリック・ショパン

もうね、翔くんにはショパンしか考えられませんでした。
あんなにもお美しい方にこれ以上似合うピアノ曲があるだろうか?いや、ない(反語)
クラシック音楽は全然知らない、という方でも名前くらいは知っているであろうショパン様。「ピアノの詩人」と呼ばれるほど超超超偉大な作曲家で、ピアノを習い始める人間の95%くらいは「いつかショパンの曲を弾けるようになりたい!」という憧れを抱いているのでは(私もそうだった)
ラーメンでたとえるなら皆大好き王道の醤油ラーメン。

ショパンの魅力はもう語るよりまずは聞いてくれ!って感じですが、とにかく美しくて華やか!!それでいて、力強さや繊細さ、時に哀愁を感じさせる切ない旋律がもう聴衆の心をガッチリ掴んで離さない…。
美しさと華やかさの中に男役としての力強さや哀愁も漂う…ってこれはもう彩凪翔さんじゃん??
そして個人的に、ショパンには王道のロマンチックさがあると思います。もう白馬に乗ってマントをひるがえす王子様くらいにバリバリの。
そんなロイヤル感も含めて、翔くんにはショパン弾きとしてコンサートホールの聴衆を全員メロメロの骨抜き状態にして頂きたいですね!
多分「ショパン・ワルツ集」とかのCDを出すとクラシックのCDなのにジャケットが複数パターンある上に、店舗ごとの予約特典も複数あって大変なことになるんじゃないでしょうか。ヒュー!震える!!

ってことで、翔くんに弾いてもらいたいな!と妄想した曲を4曲紹介します!



ショパン「幻想即興曲」

ベタと言われようとなんだろうとまずはコレ。
んも~~~想像してみて、燕尾服でこれを弾かれる彩凪翔さんのお姿を…卒倒しそうなカッコ良さだから!!
激情のような熱さと、甘美な美しい調べのコンボにうっとりと聞きほれてしまいますが、聞きほれてしまうレベルで弾きこなすのは滅茶苦茶大変な一曲です。
まぁショパンの曲は全部そうなんですけどね!!



ショパン「ポロネーズ第6番【英雄】」

ショパン楽曲の明るさ、華やかさ、超絶技巧っぷりと良い所(?)をぎゅっと全部詰め込んだような超名曲。そして華やかさの中にも力強さや勇壮さがあり、そういうところも翔君のイメージに重なります。
ポロネーズは「ポーランド風の」という意味で、ポーランドの民族舞踊が起源になっているんだとか。
宮廷の儀式や戦士の凱旋行進から発達した舞踏だそうなので、なるほど納得のロイヤル感…(と言いつつ、この曲が作曲された経緯や時代背景は中々複雑なんですけども。詳しくはWikiとか見てね!)(笑)



ショパン「練習曲作品10 第3番【別れの曲】」

これもベタと言われようと挙げておきたい。ショパンと言えばこれ!みたいな超名曲です。「CAPTAIN NEMO」でも使われてましたね。
冒頭の穏やかなメロディが有名ですが、動画の1:25~辺りからとても激しくドラマティックな展開になるので「ああ~翔くん、恋人の前では穏やかな顔で別れを告げたけど、心の中では喪失感や悲しみが吹き荒れているのね…;;;」とか妄想しがいのある曲だと思います。
しかしこれが「練習曲」ってショパンは「練習曲」を一体何だと思っていたんだ…と突っ込みたくなりますね(ショパンの「練習曲」はどれも難易度も曲の完成度もエグイ)



ショパン「ワルツ 第14番 ホ短調(遺作)」

他に比べると少々マイナーですが、も~とにかく美しくて切なくて涙が出ちゃう名曲なので聴いて!下さい!!ダイナミックさと繊細さ、耳をとろかす甘い旋律と胸を焦がす切ない響きが怒涛の勢いで押し寄せてきて、心を揺さぶられまくっちゃう一曲です。
翔くんにはコンサートのアンコールで弾いて頂き、「最後の最後にこんなに心を揺さぶってくるなんて罪なお方!好きです!!」とお客さんのハートをがっちり掴みまくって頂きたいと思います。
あ、ちなみに「遺作」とついてるのはショパンが生きてる間には発表されず、彼の死後に発見された曲という意味で、特別暗い意味はありません(笑)


他にも「練習曲」だけでも「革命」「黒鍵」「木枯らし」、それ以外に「雨だれの前奏曲」やら「華麗なる大円舞曲」やら「ノクターン第2番」やら「軍隊ポロネーズ」やら…もうショパンは名曲が多すぎて書ききれんわ…4曲選ぶのも大変だったよ!!(笑)
ショパンのピアノ曲はいずれも妄想が膨らむ名曲ぞろいですので、色々聞き比べてみるのも楽しいと思います!ではでは~!

もしも雪組スターさんがピアニストだったら…妄想① ~彩風咲奈さん編~

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久々のブログ更新で何でか緊張してますが、タイトル通りの妄想文です!
愛する雪組のスターさんたちが、もしもピアニストだったらこの作曲家の曲が似合いそう!弾いて頂きたい!!という妄想を元に、好き勝手につづります。
私自身は一応子供の頃からピアノを習ってますが、クラシック音楽はたまに聞く…というくらいで特別詳しくはありません。もし「このスターさんならこの曲も似合いそう!」というご意見があれば是非教えて頂きたいです(笑)


彩風咲奈さんに弾いてもらいたい!作曲家

●ドビュッシー他、フランス近代作曲家

まずは私のご贔屓からってことで(笑)さきちゃんから妄想して参ります!
パッと思い浮かんだのは近代を代表する作曲家、ドビュッシー。
でも、同時期に活躍した他のフランス人作曲家の曲もきっと似合う…!という思いが捨てきれなかったので、「フランス近代作曲家」というザックリしたくくりで失礼します(笑)
クラシック音楽は2~300年前の曲が定番人気というジャンルのため、100年前の曲でも「近代の曲」に分類されるし、「200年前の曲と比べると、曲の雰囲気が斬新で現代的だな~!!」と感じるんですよね。この辺うまく言語化できませんが。

超個人的な印象として、フランス近代作曲家の楽曲は、一つ一つの音がキラキラと輝き、そのきらめきが重なり合って美しい情景が浮かび上がるような…点描画のような魅力のある作品が多いように思います。
ラーメンでたとえると淡麗塩って感じ。
音のきらめき、清廉な透明感、そして現代的で伸びやかな雰囲気がさきちゃんに似合うと思ってます!

ってことでさきちゃんに弾いてもらいたいな!と妄想した4曲を紹介するよ!



ドビュッシー「2つのアラベスク」第1番

曲名で「?」となっても、実際に聞いてみると「あ、知ってる」て方も多いであろう超有名曲です。
とにかく耳馴染みが良くて、音色も柔らかく、最初から最後まで美し~い曲なので、さきちゃんに是非弾いてもらいたいなぁと妄想しております。うっとり夢心地になりたい…!!
ちなみに「アラベスク」とはアラビア風の唐草模様のこと。タイトルに「2つ」とあるように、第2番もあってそちらも素敵な曲です。



ドビュッシー「ゴリウォーグのケークウォーク」(組曲「子供の領分」より)

こちらは軽快なリズムと、どこかトリッキーでユーモラスなメロディが魅力の一曲。19世紀末に黒人の間で流行していたダンスをモチーフにした曲だそうなので、さきちゃんが軽快に、楽しそうに踊る姿と重なるのかも。うきうき楽しそうに笑顔で弾いて頂きたい~!
ちなみに「子供の領分」はドビュッシーが「うちの子超可愛い!!」という親バカ全開で当時3歳の娘のために作った組曲。この辺り、「ファントム」のキャリエールもちょっと連想してます(笑)



ラヴェル「水の戯れ」

噴水から吹き出す水と光の反射をイメージして作られた、キラッキラした音色が魅力の一曲。私は「舞台で光輝くさきちゃんはプリズムのきらめきのようね…」とか思っているので、この曲のキラキラ感がイメージに合うんだと思います。
耳をくすぐる軽やかで清涼な調べから、中盤の勢いよく水が噴き出すような盛り上がり…と短めの曲ながら振り幅が広いところも素敵。なんかこう、ギャップ萌えみたいな??
動画の2分半〜あたりのカッコ良さよ…さきちゃんが弾いて下さったらと妄想するとぶっ倒れますね!



サティ「Je te veux(あなたが欲しい)」

CMなどでも良く使われている曲。元々はシャンソンですが、ピアノ独奏曲としても有名。甘くてロマンティックなワルツです。
シャンソンの歌詞は女性版と男性版がありますが、女性版を是非あーさキャロルに歌って欲しい。全私がむせび泣き、萌え死するわ。
明るくて軽やかな曲なので、コンサートのアンコールとかに弾いて頂きたいですね!お客さんが全員咲奈の女になって、帰り道もウットリフワッフワしちゃうやつ(笑)

他にもドビュッシーなら「月の光」や「亜麻色の髪の乙女」、ラヴェルなら「亡き王女のためのパヴァーヌ」、サティなら「ジムノペディ第1番」等々、魅力的な名曲は沢山!
ご興味あればそちらも是非聴いて、妄想の花を咲かせて頂きたいです~ではでは!

※改めてドビュッシーの「月の光」を聴いたらやっぱ名曲だし、さきちゃんに合う…と思ったのでこそっと追加しておきます(笑)


冒頭部分が有名だし、「アルジェの男」でアナベルちゃんが演奏しているので聴いたこがある方も多い曲かと。
優しくて、切なくて、幻想的で美しい…タイトル通り、月の光に包みこまれるような素敵な曲ですよね。
私はいつか、シンプルなお衣装でピンスポットの中をしなやかに踊るさきちゃんを見てみたいな~という願望があるのですけども、この曲で踊って頂くのもいいかも…と聞きながら思いました。月の精とか、なんかそんな感じの幻想的な場面で…劇団さん、いかがでしょう!?(笑)

2020年1月19日

雪組「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」キャスト別感想

※作品への感想(という名のダメ出し)はこちらの記事にて

☆ヌードルス@望海風斗

原作映画とのギャップに虚無顔になってしまった(※個人の感想です)ヅカ版ワンスですが、だいもん(望海風斗)の演技・ダンス・歌はやはり最高に素晴らしかったです。
とにかく歌が多い!!ちょっと心配になっちゃうくらい歌いまくってましたが、「ミュージカル」と冠したタイトルにふさわしい心に響く素晴らしい歌声を堪能しまくれたのはありがてぇことでした!!この歌が聴けるだけでも舞台を観に来る甲斐はあるよなぁ…。
きいちゃん(真彩希帆)とのデュエットも複数あったし、お二人の歌声を楽しむには最高の公演だったと思います。

…ただ申し訳ない、私はどーしても自分の中のヌードルス像と全然違うヅカ版ヌードルスに馴染めず!!最後まで違和感ばかりを感じてしまったので、だいもん演じるヌードルスが魅力的な人物とは思えませんでした…悲しい。
だいもんは大好きなんですよ!!
だから観劇していてときめいたり萌えたりする場面も沢山あったんだけど、それはヌードルスというキャラクターに対してではなく、いわば「中の人」であるだいもんへのときめきなんですよね。

やっぱり、ヌードルスを宝塚作品の主役に据えるのは無理があったんじゃないかなぁ…主人公ではあるけれど、なんせ寡黙だし「傍観者」のようなポジションのキャラクターなので。
台詞ではなく、表情や視線、ちょっとした仕草で感情を表現する人物というのは映像作品だからこそ映えるもの。多少大げさに表現しないと感情が伝わりにくい舞台演劇(なおかつスター制度がある宝塚)には、向かないタイプの主人公だったと思います。

ってことで前置き長くなっちゃったけど、「ストーリーはさておき、だいもんのここに萌えたよ!」ってところを!書きますね!!

まずオープニング!も~~~出てきた瞬間からかっこいい!!!
隙なく着こなしたスーツの上にトレンチコートを羽織り、目深にかぶったソフト帽から覗く横顔の美しさと背中のかっこ良さ…たなびく煙草の煙さえもセクシーダイナマイツ…これこれ、これぞ宝塚のギャングだよ~!!!といきなりテンションが爆上がりした瞬間でした!
このオープニングは翔くん(彩凪翔)やあーさ(朝美絢)もギャング姿でクールに踊るので、お芝居というよりはショーのワンシーンのようで楽しかったです。銀橋に雪組が誇るイケメン男役たちがズラーッと並ぶところなんか壮観だし、目が足りない~!!ってなっちゃった!
しかしこの場面もだいもんは「ヌードルス」としてのご出演なんですね。
てっきり「ギャングスター」という概念を演じているのかと思ったよ(だってキャラが違いすg…ンガックック!)

かーらーの少年時代のヌードルス!これがびっくりするくらい可愛いんだまた!!
ぶかぶかの洋服にもっさりした(笑)髪型が本当にお可愛らしくてね~…それに加えて将来の夢を語るキラキラした瞳、デボラとの二人きりの戴冠式と不意打ちのキス…幼い恋人のような関係を初々しく演じるだいきほにはキュンキュンしてしまった場面でしたわ~。

そしてキャストボイス等でも話題になっていた、一幕のラスト…!!
タキシードのタイをほどき、デボラを押し倒したが拒まれ、傷心のあまり真っ赤な薔薇をまき散らし、苦悶の表情を浮かべながらソファで足を組み天を仰ぐ…。

一連の流れのビジュアルが強すぎるんですけど…?????

なんかもう、薔薇を勢いよく引っこ抜いてウワーッ!!とまき散らす姿に圧倒されちゃいました。こんなに激情のままに薔薇をまき散らすのが似合う人を初めて見たかもしれないし、深く傷ついている時のだいもんの演技って最高に萌えるなと改めて実感。
ちなみに原作映画ではこの場面って陰惨な暴力シーンでもあるので、ヅカ版でどう描かれるか凄く気になっていたのですが…(笑)
ヌードルスの中の暴力的な衝動を、薔薇をまき散らすという耽美な表現に置き換えたのは上手いなぁと思いました(しかしあの別れ方なら、デボラのヌードルスへの愛はずっと残っていてもよさそうなのにな~~やっぱり脚本に納得いかんのだよな~…)

そしてそして、最後の壮年期がまた超~~~渋かっこよくてね…!?
若い頃とは違う落ち着いた雰囲気や、挫折を味わった男の孤独や哀愁を漂わせた姿…これ、これですよ!!私が観たかっただいもんのヌードルスは…!!!
ちょっとした仕草からもにじみ出る「男の哀愁」にグッと来たし、もっとそういう面を活かしたヌードルスを見たかったなぁ…。
ナウオンステージでだいもんが「映画のロバート・デニーロのように演じたかったけど、小池先生にもっと感情を出すよう指摘されて~」というようなお話をされていたのを見て、余計にその思いが募っております。私ももっとクールでちょっとニヒルな、渋みのあるだいもんのお姿を観てみたかったよぉ…。

でもスーツやタキシードの着こなしはさすがのかっこ良さだし、歌声も本当に素晴らしかったので、新年早々目と耳が幸福に包まれました!!色々思うところもあったけど、かっこいいだいもんを拝めて良かったです!!
東京公演も楽しみにお待ちしております~!!


☆デボラ@真彩希帆

デボラも映画とは大分違うキャラクターになってましたが、きいちゃんはこういう「一本芯が通った」女性役がとても似合うな~と思いました。
ヌードルスと惹かれ合いながらも、恋より夢を選ぶ。自分の選択を信じて進み、後ろは振り返らない。
何とまぁかっこいい生き様であることよ…でも恋と夢の間で揺れる姿に乙女心もきちんと感じられて、そこはさすが宝塚でしたね。

特にキュンとしたのは少女時代!も~すっごく可愛かったです!!
戴冠式ごっこの時に王冠を待つ横顔がウルトラソーキュートで、そらヌードルスも不意打ちキッスしたくなるわ…って思いました。
「皇帝と皇后」の歌もちょっと子供っぽく歌ってるのが可愛くてねぇ…その後の二人が辿る道に思いを馳せると、何とも切なくなる曲でもあるのですが。

ブロードウェイスター時代のきいちゃんも凄く良かったんですが、あの「あれ、私『1789』(もしくは古の紅白歌合戦)を観に来たんだっけ??」っていう衣装のインパクトが凄すぎて…(笑)
あ、でも制作発表会の時にも着ていた白いドレスは素敵だったな~!!あれは映画のデボラをイメージしたドレスですよね。とっても似合ってて綺麗だった~!!
そしてヌードルスに迫られて拒む時に薔薇を投げるのを見て「あの薔薇投げるものなんだ!?」とびっくりしていたら、その後だいもんが投げるというよりまき散らす姿にまたびっくりするという(笑)

あと印象的だったのが、壮年期にヌードルスと再会する場面。
少女時代の溌溂!キラキラ!とした雰囲気とはまるで違う、人生の酸いも甘いも噛み分けてきましたという大人の女性として登場してくる姿にドキッとしました。ここのヌードルスとの会話で「今、幸せか」という問いにお互いが「少しは」と答えるところ、とても良かったです。だいもんもきいちゃんも、お互いにこみ上げてくる感情を抑えてるんだろうなぁというのが感じられてね…だいきほコンビって歌だけでなく、お芝居もやっぱり好きだなぁと思いました。
この時着ていたジャケットも素敵だったなぁ~!デコルテがとっても綺麗で、元女優っぽさある~!!と謎の感動をしました。

ただこの場面でキャロルを労わるデボラの姿は見ていて辛かったな…。
キャロルがあんな状態になってしまった原因はマックスが死んだと思ったからで。そんなキャロルを見舞いながらも、デボラは実は生きているマックスの愛人に納まって何不自由なく暮らしているという…これじゃデボラが悪女みたいじゃない!?

きいちゃんの歌も演技もとても良かったですが、デボラとマックスとキャロルの関係性が最後まで引っかかってしまって…うーん、やっぱり脚本に納得がいかーーん!!!(また言っちゃったテヘペロ☆)


☆マックス@彩風咲奈

ビジュアルが鬼強い………(卒倒)

いや~~~少年期は滅茶苦茶可愛いし、青年期は滅茶苦茶かっこいいし、ビジュアル的には過去最高にときめきましたわ…え、さきちゃん(彩風咲奈)ってかっこよくない?かっこいいですね!!知ってた!!!!!

マックスはヌードルス以上に原作とはキャラクターを変えられちゃったので(詳しくは『雪組「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」の脚本にガッカリした話』の記事を読んでくれよな!なっがいけど!!)、こちらもマックスというよりはさきちゃん自身に萌えまくりました…ウウ、サキナアヤカゼ、チョーカワイクテカッコイイ;;;;;

まず少年時代がホンット可愛くてね!?ぶかぶかの上着にキャスケットという服装も可愛いし、ヌードルスとバグジーのやり取りを見守りながら「どっちに付こうかな」と思案している時の様子がまためっちゃ可愛い…。
酔っ払いから懐中時計を盗む場面は舞台用にアレンジされてましたが、マックスの抜け目なさや大胆さが表れていてとても良かったな~!!少年時代のヌードルスとマックスがワチャワチャ仲良くしてる場面って凄く短いんだけど、のぞさき史上最高(多分)に無邪気可愛い二人が観られたのは本当にありがたかったです…欲を言えば原作のあのシーンとかあのシーンとかもっと見たかったけどね!!
でもこの場面だけでも、マイのぞさきメモリアルに加えられて良かった…じーん…。

一転、ヌードルスがバグジーを殺してしまって警察に捕まる場面は切なくてさぁ…ヌードルスを守ろうとするも、あっけなく警官に防がれるマックスが何かもう可哀想で…。
コックアイとパッツィにかける「…行こう」という短い言葉に、彼が味わった悔しさや無力感、そして権力に負けない強さを手に入れてやろうという決意すら感じられて、切ないんだけどめっちゃ萌えました!

で、青年期ですよ…スーツ&タキシード祭の青年期…。
も~~「暗黒街の若き顔役」なんて肩書背負っちゃってるからさー!?スーツのお仕立てが大変よろしいんですよ!!三つ揃いをスマートに着こなした姿が滅茶苦茶かっこいいし、オフィスの机に腰かける時がまたがっごいい…;;;;もう頭のてっぺんから爪先まで全てがパーフェクトでした…足を組む時の角度がまた良いのよ~~!!ただでさえ長い足が更に長く見えた気がする(笑)
あとヌードルスが戻ってきて「お前に悪の流儀を教えてやる」と歌うところの振付がめっちゃ好きです。ジャケットをバッと開けて脇の辺りのシャツがチラ見えした瞬間、「生きてて良かった…」と生の喜びを噛み締めました。は~ありがたや!!

そういえばマックスのヌードルスLOVEっぷりは映画よりかーなーり薄まってはいたけれど、出所に合わせて高級スーツを仕立ててプレゼントしたり、キャロルにヌードルスのチャームポイント(笑)を話し聞かせていたりと、何だかんだ大好きぶりが感じられたのは良かったです。…でもやっぱりヌードルスのお迎えは映画のようにマックス一人で行って欲しかったな…グスン。

そしてそうキャロル!キャロルと一緒にいる時のマックスが最っっっっっっっっっっっ高にカッコ良かったし萌え死にました…。
いや、やってることは酷いんんだけどね、怒鳴りつけるし手も上げちゃうし。
でも女性を手荒に扱うさきちゃんって初めて見たからすっごく新鮮で「こんな顔もされるんだ~!」とゾクゾクしたし、暴力的な面を見せながらもキャロルへの愛もちゃんと感じられるのがまたね…堪らん…ってなりましたね…!!!

クラブインフェルノで二人が踊っている時に漂う濃密な空気とか、大人のカップル感ムンムンでめっちゃ良かったな~!!
ハバナ祭の場面で、ナンパ男に絡まれていたキャロルを見て「俺の女に何してる」と助けに入る姿にも滅茶苦茶萌えたし、その後キャロルとずっとイチャイチャしてるのに更に萌えました…も~そのまま結婚してもらえませんかね!?二人とも白い衣装だし、祭の喧騒から抜け出したままチャペルに駆け込んでくれ~!!(笑)

観劇前に楽しみにしていたのぞさき萌え要素については見るも無残に期待を裏切られたわたくしですが、さきあさという新たな萌えの扉がパッカーン!!!!と勢い良く開いたのが、ワンスにおける一番大きな収獲でした。
ありがとう、マックス&キャロル…二人に滅茶苦茶萌えたおかげで、私は嘆きの炎で身を焼き尽くさずに済んだわ…(笑)
それだけに終盤の二人の姿は悲しくて「脚本ェ…」ってまたケチつけたくなってしまうけど、オタクらしく妄想補完しながら強く逞しく生きて参りたいです。頑張る!


☆ジミー@彩凪翔

出番はあまり多くないものの、物語のキーマンとして凄く美味しい役どころだったのではないかと思います。
全体を通して、翔くんのお芝居はとてもとても良かったですね!衣装こそ地味めだけど、あの美しい瞳からみなぎる意志の強さは圧倒的な存在感を放っていました。ストライキの場面で、上手く立ち回りながら労働者たちを扇動する姿はかっこ良くもあり、ちょっと恐ろしくもあって凄く良かったな~。

でもヅカ版でジミーの役が変化したことで、一番割を食ってしまったのがマックスだと思うんですよ…。それがやっぱり悲しくて、ジミーについてはあまり語れそうにありません。そんなこともある、人間だもの。みつを。
終盤のマックスとのやり取りは、原作映画通りの設定で見たかったと切に思います。
対等に渡り合ってきた男たちのパワーバランスが崩れた瞬間のヒリついた空気を、彩彩で見たかったんだよ~…エーン!!

そんな私の不完全燃焼っぷりを、フィナーレで全部吹き飛ばして下さったのは滅茶苦茶ありがたかったです!!!!!フィナーレの翔くん超~カッコ良かった~!!!!!
翔あさがシンメで歌って踊ると、あまりの美しさに目と耳が本当にびっくりしますね…何というありがたさ…!!
宝塚にフィナーレがあって良かった~!!と改めて噛み締めました(笑)


☆キャロル@朝美絢

「♪あなたに~会え~て~本当に~良かった~」と小田和正の名曲をあーさキャロルに捧げたい。
も~嬉しくて嬉しくて言葉にならないよ…!!ホンットに魅力的なキャロルを演じて下さってありがとう、あーさ!!!!!

キャロルも映画とは全然違うキャラクターになってましたが、彼女の場合設定が変わることは初期段階で分かっていたのでね。
ショックを受けるどころか、イケコ先生素晴らしいアレンジをありがとう!!と感謝したい唯一のキャラクターとなりました。
あ、でも最後はなーやっぱちょっと納得いかないけどなー…(笑)

キャロルはデボラとあらゆる面で対照的な女性として描かれていたけど、セクシーでコケティッシュな魅力を振りまきながらも、内面はとても繊細でマックス一筋ってところがもう最高でさ~!!
ある意味「男の理想」みたいな女性だなって思いました。いや女の私から見てもめっちゃ可愛くて魅力的でしたけども。
そしてそんなキャロルの姿が、「美貌(外見)が話題になりがちだけど、中身は更に更に魅力的」というあーさ本人にも重なって見えてね…イケコ、ええキャスティングするやんけ…と超上から目線で思っちゃったわ。
いやだって最初はさ~、今このタイミングであーさに女役振っちゃう!?ってびっくりしたもん…でも蓋を開けたら納得でした。これは確かにあーさに演じて欲しくなるの分かりみマックス(笑って欲しい所です)

歌姫という役柄もあって、一人で歌う場面も多かったですがこれがまたすっごく良かった!!
歌がどんどん上手くなっているな~とは以前から思っていましたが、単純に技術面だけでなく表現力も物凄く上がってるなぁと。いや~素晴らしい…。
しかも情感たっぷりに歌う内容がさ、「私が惚れた男」という超お惚気ソングっていう!!(笑)
この曲、前半の歌詞が「彩風咲奈の魅力を熱く語る強火担」て感じだったんで最初に聞いたときはホントにびっくりしたわ!!
しかもそれをしっとり艶っぽく歌ってるのがあの朝美絢様ってのがもう…ありがたすぎて涙出ちゃうね、はー…。

そして今回、何より驚いたのはあーさが女役として寄り添った時にさきちゃんが何万倍も輝いて見えたこと!!
さきちゃんファンとしては物凄い衝撃でしたし、「男役をよりかっこ良く見せるのが娘役(女役)」という言葉をこれ程実感したのは初めてでした。本当に、こんなに違って見えることがあるんだなぁ…。
これはあくまで私の主観の話ですので「全然そんなことなかったよ」と思われた方も大~勢いらっしゃると思いますが、これまでで一番かっこいい(自分比)さきちゃんのお姿をただありがたく拝むばかりでしたわ。

何かね…さきあさが並んだ瞬間に「うわ、思っていた以上にお似合い!!」とビジュアル的にもテンション爆上がりしたし、あーさが役柄としてだけでなくさきちゃん本人も慕ってくれていることが伝わってきて、も~嬉しくてしょうがなくなっちゃったんですよね!
そしてさきちゃんもあーさを心から信頼しているからこそ、全力でぶつかっていけるんだろうなと。
媚びるのではなく、互いに尊重し合っているお二人の良い関係がマックスとキャロルの姿から伝わってきて、萌えと尊みで頭が何度も大爆発よ…さきあさがこんなに良い相乗効果をもたらすとは本当に思ってなかったよ~~ウッウッ尊い;;;;

だからも~最後のサナトリウムの場面とか切なすぎてさぁ…ワンスで唯一泣けたのは、キャロルの一途さとあーさの演技力にでした。
記憶喪失のくだりも原作ファンとしては「どうしてこうなった???」と思わなくはなかったですが、ハバナの歌を聞いて記憶を取り戻すキャロルが愛おしすぎたのでそこはもういいです。
ただデボラのことを「この人ね、女優さんなのよ」と話す姿があまりにも悲しかったわ…。

も~マジで何でマックスとデボラを愛人関係にしてくれちゃったんだYOー!!??

そこがなければ、マックスもまだキャロルを愛しているけれど「彼女をそんな風にしたのが自分だと、知られるのが恐いんだ…」とキャリエール(@ファントム)みたいなことを考えて遠くから見守っているだけ…とか妄想もしやすかったものを。
いや、どんなにしにくかろうと妄想はするけどね。勝手に。

とりあえず、あーさキャロルが最高に可愛かったハバナ祭の場面が良いアングルで映像として残ることを祈ります。
そしてできればカフェブレで放送して欲しい(笑)


さて、メインの5人だけでまた滅茶苦茶長い感想文になってしまったので、あとはサクッと簡単に~。

●にわさん(奏乃はると)のファット・モーが滅茶苦茶ファット・モーだった!!ギャングの世界に深入りすることはないけど、ヌードルスたちとの友情も大切にしている温かみのあるお役がとても合ってました。少年時代のファット・モー役のたっちー(橘幸)も可愛かったし(スチル写真のケーキとのツーショット可愛すぎない?)、どちらのファット・モーも魅力的でした!

●まなはる(真那春人)コックアイのビジュアル再現度にびっくり…!!カラコンとメイクでそれっぽく見せてるのが本当に凄いなと。そしてやはり抜群の安心感…ハーモニカの演奏も素敵でした!

●あがちん(縣千)のパッツィー、そんなに目立つキャラでもないはずなのにあがたワールドが炸裂している気がしてさすがだなって思いました(誉めてます!)「ラジオもあるぜぇ」とドヤったり、「ダイナマイトだぁ!」とはしゃいだりしているところ、何か可愛くてキュンとしましたwフィナーレのロケットも、か…可愛かったよ!!(ド迫力だった…)

●あみくん(彩海せら)のドミニクが思った通りの可愛さだった~!!!何だか出てくるたびにバグジーに捕らわれている気がして「…あれ、ドミニクってヒロインだったか?」とも思いました。まぁ可愛いから仕方ないですね…(?)

●バグジーのしゅわっち(諏訪さき)もあっという間に殺されて退場してしまうけれども、チンピラのボスっぽさが出ていて凄く良かったな~。そしてしゅわっちはハバナ祭の時にキャロルにベッタベタ触りまくっていたのが最高だったよ!(笑)

●プロデューサー・サム役のカリ様(煌羽レオ)が最っ高でしたwwwあのコートの着こなし、そしてガウン姿…もうこってこてすぎて惚れ惚れしちゃいましたわ。そして短い時間でもワイルドビューティー(笑)として圧倒的な存在感を示してくれたりさちゃん(星南のぞみ)も素敵でしたね!!

●作曲家としてデボラを支える役どころだったあやなちゃん(綾鳳華)も可愛かった~!きいちゃんとは同期コンビでもあるから、二人がきゃっきゃしている場面はとても微笑ましかったです。

●最初と最後に出てくるロックンローラー男ことはいちゃん(眞ノ宮るい)とかりあん(星加梨杏)がめっちゃ可愛い~~!!ここも同期コンビをイケコ先生が意識されたのかな?こういう配役は嬉しいですね。

あと彩みちるちゃんがバービー人形みたいでとっても可愛かったし、叶ゆうり君はやっぱりギャングが似合うと思ったし(誉めてます)、久城あすくんと杏野このみちゃんの宝石屋夫婦も面白かったし、病院患者を熱演していたケンジさん(ゆめ真音)が何だか愛おしくてとても印象に残りました!
一禾あおくんに台詞があったのも嬉しかったな~!!ロケットでも大活躍だったし、これからのご活躍が楽しみです。

2020年1月13日

雪組「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」の脚本にガッカリした話

※あくまで個人の感想です!!!そして原作映画のネタバレを含むよ!!!


2019年1月11日~12日にかけて雪組「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」を観劇して参りました!
も~楽しみすぎて東京公演まで待ちきれず、9年ぶりくらいにムラまで馳せ参じましたよ!!久し振りの宝塚大劇場、とっても楽しかったです!!
土日は貸切公演が多いので、できるだけ多く観るならここしかなかったんですよねぇ…友人の協力もあり、無事3回観劇できて僥倖でございました。

で、感想なんですが…。
雪組ファンの自分としては滅茶苦茶楽しめたので大歓喜している一方で、原作映画ファンの自分としては怒りを通り越して絶望し、ひたすら「何でじゃー!?」とちゃぶ台をひっくり返し続けてる感じです。そのせいで観劇後は全然感想がまとまらなかったし、色々考えすぎて夜も眠れなかったわ!!(笑)
とりあえず、雪組ファンとして大歓喜!の部分は主にキャストに対する感想になるので、作品自体に感じたことを先に書こうと思います。
さっき書いた通り原作ファンとしては絶望したので、またダメ出し感想になると思いますがそれでもいいよって方だけどうぞ!長くなりますが!!
雪組への感想を見たいって方はキャスト別感想だけ読んで頂ければ幸いです!!後日書くので!!


さて。
原作のある作品を舞台化、特に宝塚歌劇として上演する場合、様々な困難や制約があることはわたくしも存じております。
元々の表現媒体が違うので物語や演出を変える必要は出てくるし、宝塚の場合スターシステムの関係で原作のキャラクター設定を変えたり、すみれコードに合わせて表現をマイルドにしたり…。その結果、原作とは大分趣の異なる作品に仕上がることもあるけれども、原作の良さを活かしたアレンジにより「宝塚版」として成功する例も多いと思います。
で、私の中でその宝塚版への昇華が上手い方といえばイケコこと小池修一郎先生でした。
「ポーの一族」や「るろうに剣心」は原作ファンとしても「ありがとうイケコ!!!」とお礼を申しあげたい出来でしたし、「エリザベート」や「スカーレットピンパーネル」はオリジナルに近いだろう外部上演版と比べてみると「宝塚版」としてとても上手くアレンジされていると感じました。
原作の面白さは踏襲しつつ、宝塚版としてよりドラマティックに、ロマンティックな作品に仕上げて下さる…イケコへのそんな信頼があったからこそ、先に原作映画を予習しても大丈夫だろうと思っていたわけです(そして軽い気持ちで原作映画を見た私が、どっぷりハマって大分ヤバくなっていたのは過去記事「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカについて考える①~③」をご参照くださいw)
おまけにイケコ先生が長年舞台化を夢見ていた大好きな映画だと言うじゃないですか!それを充実期を迎えている今の雪組で上演するっていうんだからメチャメチャ期待が膨らんじゃうじゃないですか!!

だからも~楽しみ要素がハチャメチャに大きかった分、今回の脚本・演出にはマジでガッカリしちゃったのよ、イケコ!!!!!!!!!!

以上です。
はー、言葉にして吐き出したらスッキリした!(笑)
ガッカリポイントは色々あるんだけど、大きくは

●ヌードルスとマックスの根本的なキャラクター像の変更
●デボラの心変わり
●アメリカという国の描き方

の3つかな~。
もうモヤモヤが止まらないからうだうだ書くぜ私は!!ここは私の感想ブログじゃい!!!思ったことを自由に書くわいワハハ!!!


●ヌードルスとマックスの根本的なキャラクター像の変更について

まずヌードルスとマックスについて。
ここはさ~…ホンッッッッッッッットに色んな意味で楽しみにしていたのでガッカリ感がマジ半端なかったっす。絶望っす。
1回目の観劇後は「はっ?????何でこうなったの??????」て疑問符しか出てこなかったもん…。

ヌードルスは元々寡黙で、感情の起伏をあまり表に出さない人物。
カッとなると自制が効かなくなる面はあるものの、基本的に慎重派で高望みしないし、争いも好まないタイプ。

なのでそもそも「いつか皇帝になりたい」なんて大きな野望を抱く人物ではないんですよねー!!!???

ヅカ版で子供時代のヌードルスとデボラが「いつか皇帝と皇后になりたい」と夢を語り合う場面、とても微笑ましくて可愛くてキュンキュンしたけど、「皇帝になりたい」なんて言いだした時点で「あっ、この人はもうヌードルスじゃないな」って思いました。
ヌードルスにも貧しい生活から抜け出したい気持ちはあっただろうけど、世界の頂点を目指すような野心家ではない。だからこそ超野心家のマックスとは反りが合わなくなっていったわけだから、このキャラ変更でもうラストシーンの面白さは半減って感じでした。原作映画ではヌードルスとマックスの違いが際立つからこその名場面だったのにね。

それでも、刑務所から戻ってきた時にヌードルスの野心家キャラが無くなっていたらまだ良かったんですけどねぇ…何で宝石強盗に乗り気で参加しているのか謎だったし、依頼主のジョーを裏切る場面でも映画版ほどマックスを強く糾弾することもなく(まぁ裏切りの前提条件自体変更されてたわけだけど…)
生きるためにコソ泥程度の悪事はするけれども、大金を奪ったり、人を平気で裏切ったりという悪には抵抗を感じるヌードルスのピュアな面や葛藤が無くなってたのは本当にガッカリしたな…。大人になりきれないピュアさがヌードルスの魅力だと思うし、その葛藤に苦しむだいもん(望海風斗)を私は拝みたかったよ~。

ヅカ版だと、ヌードルスは大金を貯めるためなら犯罪にも積極的に身を投じていく印象でした。イケイケドンドンなマックスのやり方にもあまり抵抗がなさそうな感じがしたなぁ。それは全て「皇帝」になってデボラを手に入れるためだから、まぁ愛のためではあるんだけれども…ギャングをやめて欲しいと願うデボラに、ギャング業で稼いだ金を平気で貢ぐヌードルスって魅力的かなぁ?そこに葛藤はなかったのだろーか?本当にデボラを手に入れたいなら、薔薇の部屋やティアラを用意するよりもそのお金で真っ当な事業を始めた方がよかったんじゃないの??

ヌードルスがギャング業に乗り気かそうでないかとでは、デボラの「足を洗って欲しい」という訴えへの葛藤が全然違うと思うんですよ。
映画のヌードルスはマックスの強引なやり方が自分には合わないと感じていたけれども、他に生きる術を知らないのでギャングをやめることもできないでいた。そこへデボラが「ギャングのあなたとは付き合えない」とNOを突きつけることでヌードルスの中に葛藤が生まれ、ドラマも生まれたわけです。
イケコは何でヌードルスを中途半端に野心家っぽくしちゃったのだろう…同じ貧しい境遇で育ったマックスやデボラたちのように大きな夢に突き進めなかったからこそ、ヌードルスの哀しみや虚しさは際立ったのに。


そして更に更に心底ガッカリしたのがマックスのキャラ変ですよ……はー………ため息が深い。
原作ワンスの一番の見どころは、最後の最後、ヌードルスが殺してしまったと思っていたマックスと再会する場面だと思ってます。
ここでマックスが、最初から自分の死を偽装して別人になりすますつもりだったこと、ヌードルスの密告すら彼の策略の内だったこと、「親友を救おうとしたはずが殺してしまった」という罪悪感を敢えてヌードルスに与えたこと、そして彼から金も女も奪ったことを告白する。
マックスはヌードルスを手ひどく裏切ったからこそ、他の人間に始末される前に彼に真実を打ち明け、自分に復讐するよう仕向けた。そして全てを知ったヌードルスはマックスの裏切りにショックを受けながらも、彼との思い出を大切にすることを選び、殺しの依頼は断った。
この時のマックスの「これ(俺を殺さないこと)がお前の復讐なのか?」という言葉に対し、「違う、俺の考え方だ」と首を振るヌードルスの答えが何とも切なく、哀愁を感じる名場面です。
マックスを裏切ったと思っていたヌードルスの方こそが、実はマックスに裏切られていた。
でもマックスの中にもヌードルスとの友情はずっと生きているんですよね。その象徴が、酔っ払いから奪った懐中時計。二人の出会いのきっかけとなった懐中時計を、マックスはヌードルスを裏切ってからもずっと大切に使い続けていた。そしてヌードルスもそれに気付いて、何とも言えない切ない表情を浮かべるという…。
お互いに裏切りながらも、確かな友情で結ばれてもいた2人の人間ドラマこそがこの作品の真骨頂…と思っていたのに。のに。


何で!!マックスはたまたま生き残っただけって話になっちゃったのーーー!!??


もうさー…ヅカ版でキャロルが「マックスが酔っぱらっていつか銀行を襲撃するって話してた」て言い始めたところで嫌な予感はしたんだけどさー…まさかマックスが本気で連邦準備銀行を襲撃する愚か者にされてしまうとは思いませんでしたよ…!!しかもダイナマイトで扉を爆破するって何!?馬鹿か!?馬鹿なのか!?「オーシャンズ11」だってそんな雑な金庫破りしなかったでしょ!!??アメリカの連邦準備銀行って日本で言えば日本銀行よ~~~!!!???
ホント何でだよイケコ~!!マックスはそんな馬鹿でも無鉄砲な人間でもないでしょ~!!??

一応説明すると、映画版のマックスは禁酒法がいずれ終わることは予見していて、その後のビジネスにも当たりをつけてました(ジミーと裏で手を組んでの運送業)
ただそれをヌードルスに反対されて、じゃあ連邦準備銀行を襲おうと言い始めるんです。4人ばかしの小規模ギャングで中央銀行を襲撃しようだなんて、どう考えても正気の沙汰じゃないですよね。
で、実際マックスはこれを本気で言ってたわけではなくて、実は裏で自分の死亡偽装を画策しており、ヌードルスの密告に合わせてトラック事故を起こして見事に偽装を成功させ、ロッカーの共有財産も奪い去ります。
そしてマックスはベイリーと名を変えて政財界で大成功し、ヌードルスは親友を殺してしまった罪悪感だけを抱えてNYを離れて身を隠した…という流れ。
まぁ細かく言えばマックス一人の力でここまでできたわけではないんだけど、悪事に関してはマックスがヌードルスの一枚も二枚も上手の賢い人物だったことは確かです。

それがまぁヅカ版では、無謀すぎる銀行強盗計画を本気で実行したら爆発事故に巻きこまれ、たまたま生き延びたのでジミーに助けを求め、そのせいで最終的にはジミーにやり込められるというただの小悪党に…悲しい…私が見たかったのはそんな小物のマックスじゃないよ…。
ベイリーになったのも保険証が必要だったからってそんな…なんつーちんけな理由だよ…!?
まぁマックスがそんな暴挙に走ったのはお金に困ってたからってことにされてたけど、それもイケコが勝手につけた理由だしさぁ…原作のマックスはやり手だから不動産投資に失敗して資金の焦げ付きなんて出さないよぉ…。

何より、マックスこそがヌードルスを裏切っていたという重大なエピソードを変えてしまったせいで最後の再会から決別への流れが全然面白くないし緊迫感もない!!!!!

まず、ジミーがマックスに死を迫って銃を置いていくのはまぁいいとして、その銃を丁度良いとばかりにヌードルスに渡そうとするのおかしくない?ヌードルスに殺して欲しかったのなら自前の銃を用意しておくもんでしょ!?何でたまたまジミーが置いてった銃を渡すのさ!?
このヌードルスに急いで銃を渡すところ、マックスがより一層愚かに見えるからマジで変えて欲しい…。

あと何でマックスがヌードルスに殺されたがったのかも分からないんですよね。ヅカ版だと裏切ったのはヌードルスだけだから、マックスの方にこそ密告され裏切られたことへの恨みがあるのでは?生き延びたことをヌードルスに25年も黙っていた理由もよく分からないし…(デボラとの関係があるから言い出しづらかったのかもだけど、再会したのは10年前と言ってたし、それまでの15年は何してたんだよって思う)
それをいきなり25年経って呼び出して、「生きてたことを黙ってて悪かった、殺してくれ」と頼むのも変だし、断られて「俺を見捨てるのか!!」とすがるのも全然意味が分からない…見捨てるんじゃねーよ、ホントにヌードルスにはマックスを殺す動機がないんだよ…だって映画みたいに裏切られてないんだもん…むしろ「あの時は裏切って悪かった。俺のせいでやけどを負わせた」って謝らなきゃいけないのはヌードルスの方じゃないの…!?
最後の「何もしてやれないが、諦めるなよ」というヌードルスの無責任な励ましもよく分からんし、細かいことを言えば初めてやって来た屋敷で「裏口から帰るよ」と教えられてもいない裏口から出てくのも分からん…何で裏口知ってるんだよヌードルス…。

マックスをキャラ変してしまったせいで色々と話の辻褄が合わないのに、場面の流れは映画通りにされてしまったせいで名場面が珍場面にされてしまった印象でした。
ホント何でなんだイケコよぉぉ;;;;;;;


あとこれは本当に分からないんだけど、純粋にストーリーとしてヅカ版のワンスって面白いですか…?
私はどうも原作との違いに違和感ばかり感じてしまうので、ヅカ版が物語として面白いのかつまんないのかもう分からんのよねぇ。
映画版で面白く感じたのは、マックスが実は生きていたという真相に至るまでの経過と、ヌードルスとマックスが再会した瞬間のカタルシスだったんですけど、それが舞台だと印象が薄い気がするんだわ…。まず舞台だと最初にヌードルスが「マックスたちはあの晩皆死んだ」とサラッと話すだけなので、初見だと印象に残らない可能性もあるんじゃないかなーと。映画ではもっと現在と過去を行ったり来たりするし、ヌードルスがマックスたちの墓を訪れる場面もあるので「ヌードルスだけが生き残った」という要素が印象付けられるんですよね。
まぁ舞台だと時間軸を行ったり来たりするのが難しいのは分かるんですが(「壬生義士伝」の時も大変そうだったし)、プロローグの壮年期の後は少年期→青年期→壮年期と時間軸通りに進んでいくから、原作映画の少しずつ過去の謎を紐解いていくような面白さも感じなくて。
マックスが生き延びたことも観客にはすぐにバラしちゃうしなー…たしかにヌードルスは知らないわけだけど、観客も知らないままラストシーンを迎えた方がドラマティックだったと思うんだけど。まぁマックスの裏切り自体無かったことにされちゃったから何を言っても詮なきことですがね!

ちなみに原作映画は最初にアメリカで公開された時、監督の意に反して制作会社が「物語を時間軸通りに並べ替えた」編集版が上映され、大不評だったそうです(監督は滅茶苦茶落ち込んだそう)
その後、監督が意図した「現在と過去のエピソードを行き来しながら、少しずつ真相が明かされていく」という編集版(今でいう完全版)が公開されて、こちらは大絶賛されました。
私はヅカ版観劇後、このエピソードを思い出して何とも複雑な気持ちになったのでした。イケコはこの映画を舞台化して、何を一番観客に伝えたかったのかなぁ…。


●デボラの心変わりについて

ヌードルスとマックスのキャラ変同様、デボラも映画とはキャラクターが変わったというかもう別人でしたね!(笑)
ただ、性格が丸くなったことやヌードルスへの好意をはっきり示すようになった点については特に何も思いません。舞台だし、宝塚だし、ヒロインだし、まぁこれくらいの変更はあるわよね~って感じ。

ただ、解せぬ…ってなったのは最後の最後、デボラがマックスを愛するようになっていたこと。
あれマジで分からないんですけど!!何で!?デボラはヌードルス一筋でしょ!!??

ヅカ版デボラはブロードウェイスターからハリウッドに進出し、始めは良かったものの後ろ盾を失って引退状態に。その後はチャリティー活動だけしている、という経歴になってましたが、映画では年をとっても女優を続けています。
そしてその陰にベイリー長官ことマックスがおり、二人は愛人関係で結ばれている。デボラはベイリー財団のチャリティー活動もしているけれども、それと引き換えのように女優としても活躍し続けているという、どこかビジネスライクな愛人関係として描かれていました。ヌードルスと再会した時も、ベイリー長官邸でマックスと再会すればヌードルスがショックを受けるだろうと心配して彼を止めようとしています。色々あった二人だけど、デボラの中にはまだヌードルスへの情が残っているんだろうなと感じた場面です。

それがヅカ版ではいつの間にかデボラがマックスを愛するようになっているという…えっ何でそうなったの???
偶然再会したマックスの話を聞いて、同情しちゃったとかそういうこと?でも連邦準備銀行の強盗計画なんてアホなこと実行して、たまたま生き延びただけの男ですよ??しかも政財界で成功したとはいっても汚職まみれだし、「真面目な人よ」なんてどっから出てくるんだその評価…。
女優業を続けられなくなって、行き場を失ったデボラをマックスが囲っているってんなら分かるんだけど…囲われているだけで愛情がないのであれば、マックスを励ますための誕生日パーティーを企画しようなんてしないよねー…。
デボラ→マックスへの愛はいつどこで何をきっかけに生まれたんだろうか…さっぱりわからん。

マックスの方は少年時代にデボラを密かに思っていたというエピソードがあったけど(これもヅカ版オリジナル設定だけど)、青年期のマックスは何だかんだキャロルを愛していて、デボラに未練なんてなさそうだったのになぁ。なのでヌードルスがマックスに「良かったじゃないか、恋が実って」と皮肉めいたことを言う時も、違和感バリバリで全然響きませんでした。
映画みたいにマックスがヌードルスを裏切ってデボラを奪ったのなら、皮肉りたくなる気持ちも分かるけどさー…マックスは裏切ってないじゃん。これじゃヌードルスがただ羨んでひがんでるだけみたいじゃん。っはー、響かんわー!!

映画でも、マックスが何故デボラを愛人にしたのかはハッキリしないところがあったけど、裏切られた絶望感をヌードルスに味わわせる大きな要素にはなってたんですよね。だからこそマックスの「俺を殺せ」という要求の動機にもなりえたし。
それがヅカ版では愛人関係になった理由がますます分からなくなってたし、その必要性すら感じなくなってたんですけど…せめてデボラは映画と同じように、「誰と一緒にいようと、本当に好きなのはヌードルス一人だけ」という一途さを貫いて欲しかったな。それが細やかな救いでもあったのに。
あの終わり方じゃ、折角再会した親友と初恋の人を再び失ったヌードルスがあまりにも可哀想でさー…夢も希望もありゃしねぇよぉ…。


●アメリカという国の描き方

ヅカ版で凄く違和感があったのは、「マックスがアメリカを憎んでいる」という描写。
これも何でそうなっちゃったんだ?要素でしたねー…だって原作映画は監督のアメリカ愛が溢れてたじゃん。

プログラムのコメント等から察するに、「移民の物語」が大好きなイケコが移民要素を強調したくて付け足しちゃったのかなぁという印象です。
全編を通して「ユダヤ系移民はアメリカでは生きづらい」ということがヅカ版では強調されていたし、ヌードルスも「ダビデの星よ~」とか「神よ~」とかやたら歌っていたけど、映画ではそこまで民族色って強くなかったので観ていて不思議でした。
たしかに1930年代という時代背景的にユダヤ系は特に生きづらかっただろうし、貧しい生活から社会への恨みが募っていったということはあると思うけど…レオーネ監督のアメリカの描き方には憧れと愛を強く感じたんですよねぇ。
残酷な面も汚い面もある、でもエネルギッシュな華やかさにも溢れているのが監督の描くアメリカ。明も闇もどちらも等しく魅力的な国。そしてヌードルスやマックスたちは、その国で激動の時代を必死に生きぬいた。
その姿に「アメリカへの憎しみ」なんて感じなかったんだけどなぁ。

ヅカ版のマックスが連邦準備銀行を襲おうとしたのは、この「アメリカが憎い」という感情も動機の一つになったのかな、とは思いました。
でもこれもイケコのオリジナル設定なんですよね~~~~!!
マックスの父親が精神病患者だったというのは原作通りだけど、「アメリカを呪いながら死んでいった」というのはイケコオリジナルなのでね…やっぱりよく分からないですね…。

これはあくまで私の解釈だけどさ~映画を作ったレオーネ監督はアメリカにめっちゃ憧れてたし大好きだったと思うんだよ~「♪God Bless America~」と思っていたと思うんだよ~~そんなアメリカをさ、何で登場人物たちに「どうしようもなく憎い国」って言わせたんだろう…ちょっと悲しい。
少なくともワンスという作品において、「移民たちの恨みの物語」を描かなくてもよかったんじゃないかなって思いました。だって原作にはないんだもの。ただでさえ尺が足りないんだから、原作にない主義主張は突っ込まずにイケコオリジナル作品でそのテーマを描いてくれないかなーって思っちゃったのでした。
イケコのオリジナルアレンジって好きなものも多いけど、このアレンジは何を狙ってたのかよく分からなかったです。

まぁもしかしたら、映画の原作であるハリー・グレイの本にはそういう描写があるのかもしれませんけどね(ヅカワンスのクレジットも原作はセルジオ・レオーネではなくハリー・グレイとなっているし)


というわけで、雪組のワンス脚本にガッカリしたという話でした。良いと思った所も沢山あるんですけどね~!!
ガッカリ感があまりに大きくて吐き出さないと消化不良でぶっ倒れそうだったもんで、ハハハ(笑)
良かった点はキャスト感想の方で書けたらいいなと思います。萌えポイントについても語りたい~。
こんなグダグダ長文に最後までお付き合いくださった方、どうもありがとうございました!!

2019年12月18日

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」エクステンデッド版とジミーの話

※原作映画を予習済みの方向けの内容です。
未見で読まれると何の話だかさっぱり分からない上に、重大なネタバレだけ知ることになるのでご注意ください。また、ここに書いたことは全て個人的な解釈です。
そしていつものことですが、この記事も長いです。


「おめーまだこの映画の話すんのけ!?」と自分でも自分にツッコミを入れましたが、エクステンデッド版&劇団公式の人物相関図を見たらまた語りたくなってしまったもんで…へへっ!
というわけで「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」エクステンデッド版(以下ワンス・エクステンデッド版)の追加シーンと、翔君が演じるジミーについて語ろうと思います。ご興味あればお付き合いくださいませ。

●ワンス・エクステンデッド版の話

さてさて、まずはワンス・エクステンデッド版について。こちらは映画を作成したレオーネ監督の死後、ご遺族の助言などを元にテストフィルムとして撮影された部分を本編に付けたし、「監督の意図に最も近い版」として公開されたバージョンです(とはいえ完全版はレオーネ監督自身の編集によるものなのに対し、エクステンデッド版は監督の死後20年以上経ってから作られたようなので実際の所は分かりませんが)
そんな完全版から追加になっていたシーンは下記の通り。

◆ヌードルスが墓地責任者の女性と霊廟について話すシーン、及び墓地でヌードルスの様子を窺う不審な車のカットが追加。
◆ダイヤ強奪後に車ごと海に飛び込んだマックスたちが海面に浮かび上がるが、ヌードルスだけ浮かんでこないというシーンが追加
◆ヌードルスがベイリー邸の様子を窺っているシーンが追加。この時、墓地で見かけた不審な車が屋敷から出てくるも、そのまま爆発する。ついでに清掃車もちょっと映る。
◆劇場前でデボラを待っているヌードルスと送迎車の運転手が、ユダヤ人として生きることについて話す場面が追加。
◆デボラ暴行後、酒場で泥酔していたヌードルスとイヴの出会い&ベッドシーンと、デボラが汽車に乗る前に一人でレストランにいる場面が追加
◆デボラの主演舞台「アントニーとクレオパトラ」のワンシーンが追加(ヌードルスも客席にいる)
◆ヌードルスと再会する直前に、ベイリー邸でマックスとジミーが密談していたシーン追加

追加シーンで一番印象が変わったのは労働組合委員長のジミーと、ヌードルスの愛人・イヴでした。イヴはデボラショックでヌードルスが作った恋人なのかと思ってたけど、完全に愛人というかヤクザの情婦(イロ)って感じでしたね!
二人の出会いはデボラ暴行事件の直後でして、酒場でやけ酒を煽っていたヌードルスにイヴが声をかけたのが始まり。で、ヌードルスはベロベロに酔った状態で大金をイヴに渡すと「抱かせろ。ただ、名前はデボラと呼ぶ」と迫り、イヴは(良いカモ見つけた!)とばかりに「お安い御用よ」と引き受けた。そのままベッドシーンに突入するも(BGMは何と「アマポーラ」)ヌードルスは酔いつぶれて寝落ち…という、何かもう色んな意味で「あーあ…」とため息ついちゃうシーンでした(笑)。

あとヌードルス、マックス、デボラも追加シーンを見てちょっと印象が変わったかな…でもまぁ、映画としての完成度は「完全版」の方が高いと思います。追加映像部分はテストフィルムを使っていることもあり、画質が急に悪くなるんですよね。何も知らないでエクステンデッド版から見ると違和感が凄いんじゃないかな。
そして全体的に説明的なシーンが完全版ではカットされていたんだな、という印象です。エクステンデッド版の追加シーンを見ると話の繋がりが分かりやすくはなるけど、情報とはありすぎても物語をつまらなくするもの。ヌードルスとイヴの関係なんかは完全版の方が色々想像できる面白さがあったし、そういう「観客の想像に任せる」部分が多い完全版の方がこの作品の雰囲気には合っていたように思います。


●人物相関図とジミーの話

見た瞬間、「なっっっっっが!!」とつい笑ってしまった劇団公式の滅茶苦茶長~~い人物相関図www
あれを見て、イケコ先生は当時の社会情勢を分かりやすくする人物関係を作ってくれたんだな~!!と嬉しくなりました。
映画初見時、ジミーの労働組合とギャングの関係ってのがよく分からなかったんですよね。なのでベイリー長官の汚職事件のあたりも何とな~くしか把握できず…「とりあえず、悪いことやってたのがバレたんだな!!」くらいの理解度でした(笑)
でも当時の時代背景やジミーのモデルとなった人物についてちょっと調べてみると、おそらく映画公開当時は特に説明しなくても「あぁ、ジミー・ホッファの事件が元ネタか」と分かる観客が多かったんだろうと思います。名前もそのまんま「ジミー」にしてるくらいだし。
ということで、ざっくりですがワンスのジミーのモデルとなったジミー・ホッファという人物についても紹介しますね!


大恐慌時代、ドイツ系移民のジミー・ホッファ(以下ホッファ)は食品チェーン店で配送の仕事をしていました。しかし過酷な労働条件に不満を募らせ、ある時ついに同僚たちと仕事をボイコット。ストライキを起こして労働条件の改善を迫りました。
当時、アメリカでは多くの移民が過酷な労働条件で働かされていましたが、ストライキは法律で禁止されていました。その上雇用者たちは、反抗的な労働者を暴力で従わせることも多かったようです。超不景気だったこともあり、雇用側が圧倒的に強い立場にいたわけですね。そんな中、法律にも暴力にも怯まず立ち上がり、仲間たちを扇動するカリスマ性も持ち合わせていたホッファは、やがて全米トラック運転手組合(労働組合)の委員長になります。

しかし、ホッファは「やられたらやり返す」タイプの人間でもありました。雇用者側の暴力に対抗するために、自分もギャングを味方に引き入れたのです。アメリカの労働運動の裏側では、雇用者側と労働者側のそれぞれが雇ったギャングやマフィアの抗争が起こっていたのでした。
そしてホッファは、雇用者には「こちらの条件を飲まないとストライキを起こすぞ」と迫り、ストに非協力的な労働者(スト破り・非組合員と呼ばれる人たち)には「ストに協力しないと痛い目を見るぞ」と脅し…えげつない手を使いながらも支持者を集め、組合をどんどん大きくしていきました。その影響力は政治の世界にまで広がり、1960年代には共和党・民主党に次ぐ第三の政治勢力にまで成長します。
しかし裏社会との繋がりや、組合年金の不正運用を問題視されて1967年にはついに投獄されることに。それでもなんやかんやで上手く立ち回って4年で出所し、再起を計っていたホッファですが…1975年7月30日、彼は突然失踪します。

この失踪は全米中で大きな話題となり、「車ごと圧縮機にかけられた」とか「バラバラにされて野球場に埋められた」とか様々な都市伝説が生まれました。いずれにせよ、もう旨味がなくなった彼を邪魔に思った裏社会の誰かに殺されたのだろう、というのが一般的な見解のようです。


というのが実在したジミー・ホッファの来歴なのですが…最後の辺り、誰かを思い出しませんか?
そう、映画の中でマックスが辿った末路と似ているんです。
大物のマフィアやギャングたちと裏で繋がって上手くやっていたはずが、いつの間にか用済みの人間と見なされて始末されてしまう…そして一際ゾワッとしたのが、「ジミーは殺されてバラバラにされた」という都市伝説の部分。
ワンスのクライマックスで清掃車を登場させたのは、この都市伝説を彷彿とさせる意図もあったんじゃないかと思います。

ワンス・エクステンデッド版では、ヌードルスとマックスがベイリー邸で再会する直前に、マックスとジミーが密談する場面が追加されていました。TVニュースのインタビューでは「自分は清廉潔白だ」なんてしれっと話していたジミーの、本当の姿が分かる場面になっています。
マックスとジミーは35年間癒着しながら、お互いに利益を得ていました。しかし汚職の嫌疑から逃れられなくなったマックスをジミーが見限り、マックスの権限を他者に譲って自殺するように迫るのです。この時のやり取りで、ニュースで報道されていた自動車爆発事件もジミーの差し金らしいことが分かります。追い詰められたマックスは、自分だけ逃げようとしているジミーに怒りをぶつけながらも、最後には権限の譲渡を受け入れます。そしてジミーは今夜中に命を絶つようマックスに言い残してパーティー会場へ姿を消し、入れ替わるようにヌードルスがベイリー邸へやって来る…という流れです。

ワンス・完全版ではこのマックスとジミーのやり取りがカットされていたこともあり、労働組合とギャングの関係なぞ知らない私のような人間には正~直話が分かりませんでした!
でもある程度アメリカの近代史や社会事情を知っている人が見れば、この場面がなくてもマックスとジミーが癒着していたことは想像が付くことでしょう。
加えて、その後に登場する大型トラックの清掃車とゴミをバラバラに粉砕するローラー。あれを見ればホッファの事件を思い出す観客も多いだろうし、説明っぽくなる密談シーンをカットして想像の余地を残した方が面白いとレオーネ監督は考えたのかもしれません。

ちなみにあの清掃車の場面、歩いて来るのがマックス役のジェームズ・ウッズではなく別の役者だって初見で気付かれた方っているのかなぁ…?私は言われるまで全然気付きませんでした(笑)
これはBDの特典映像でジェームズ・ウッズがコメントしていたのですが、あの場面で監督はあえて替え玉の役者を使ったんだそうです。本当にマックスが清掃車に飛び込んだのかどうか「見た人の想像に任せたい」と考え、意図的に観客を戸惑わせようとしたんだとか。マジか、監督の狙いがすごすぎて恐いよ!!
「一つ確かなのは、マックスが翌日の夕食には現れないこと。それが伝わるのが大事で、どうやって死んだかは関係ない」というのが監督の言だそうですが、ホッファの最期を皮肉る意味も込められていたんじゃないかなぁ…ワンスにおいて、ホッファをモデルに作られたキャラクターはジミーですが、マックスにもホッファのイメージが投影されていたように思います。
それと同時に「大きなトラックの陰にマックスが姿を消す」という映像が、ヌードルスとマックスの出会いの場面(馬車の陰でスリを企んでいた場面)を思い起こさせる効果も生んでおり、とても重層的な意味を持つ場面にもなっています。
清掃車の外装に「35」と大きく書かれていたのも印象的でしたねぇ…ヌードルスとマックスが35年ぶりに再会したことにかけているんでしょう。
彼らがすれ違い続けた35年という長い時間。ヌードルスが大切にしてきた美しい思い出。そしてマックスが築き上げてきた全て。それら全てがゴミ清掃車に粉砕されてしまったかのような虚しさと哀愁。
台詞が一切ないのに、ここまでインパクトのある場面を作ったレオーネ監督って凄いなぁと改めて思います。

ただまぁ、1930~70年代のアメリカの労働問題を詳しく知っている人なんて現代日本では少ないでしょうし、舞台版ではそこら辺を分かりやすくするためにもジミーの役を膨らませたんだろうと思います。
青年期の人物相関図を見るとジミーがストライキを起こす運送会社の社長や、その会社と癒着しているマフィアの存在がしっかり書かれていますもんね!映画ではあまり描かれていない、労働組合のカリスマリーダーとしてのジミーが見られるんじゃないかとワクワクしますわ~!!
そしてエクステンデッド版のマックスとの密談シーンもあるとしたら更に楽しみ!
マックスを追い詰めるジミーの「こいつが一番悪者なのでは?」感がとても良かったので、舞台上でさきちゃんを追い詰める翔君が見られるかもしれないと思うと…は~~めっちゃ楽しみじゃんね!?
「ひかりふる路」で、さきちゃんのダントンを追い詰める翔くんのロラン夫人がさ、も~滅茶苦茶好きなんですよね…そんな雰囲気がまた見られたら嬉しいなぁ。
ついでにマックスとジミーはどちらもジミー・ホッファをモデルにしている部分があると思うので、その二人を彩彩が演じるというのも面白いのではないかと!思います!!まーどっちも酷い人間ですけどね!!(笑)

しかしエクステンデッド版…Amazonの商品説明には「マックスとジミーの密談シーンが追加されている」とだけ書いてあったので、「密談ってどのタイミングでしてるの!?35年前!?それとも現在!?」と悶々としましたが(それによってマックスとヌードルスの解釈が変わるかもしれないと思ったので。結果的に、エクステンデッド版を見てもそこは変わりませんでした)
このタイミングでムービープラスがエクステンデッド版を放送してくれたのが本当にありがたかったです!ツイッターで放送を知ることができたのもメチャメチャありがたかった…は~インターネットありがてぇ!!

とりあえず、観劇前に出来る限りの予習はしたように思うので後はイケコ演出版を楽しみに楽しみに待ちたい所存です!!
人物相関図でマックスからデボラへの→を見て「おっ、そう来るのね」と思ったし、清掃車は出てこないそうなのでどういう結末になるのかも楽しみだよ~!!


…あと本当~にどうでもいい余談ですが、ギャングとマフィアの違いって皆さんご存じでした?私は知りませんでした。
どっちも犯罪と暴力で金を稼いでるのは同じなんですが、マフィアはイタリアのシチリア島で活動する、あるいはシチリア島にルーツをもつ組織というのが元々の定義なのだそう。
だからヌードルスたちはマフィアではなく「ユダヤ系ギャング」と紹介されるわけですね、なるほど。

2019年12月7日

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」について考える③

※今回は考察というより、ただの長い萌え語り文です。


【のぞさきがヌードルスとマックスを演じるということについて】

長々と書いてきた「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」の考察ですが、書き始めたきっかけは最初の①に書いた通り「さきちゃんが演じる予定のマックスが色んな意味でヤバい奴だったから」でした。

でも実はもう一つ大きな理由がありまして、それは「さきちゃんが望海さんともう一度『ドン・ジュアン』を演じたいと思っている」と知ったことでした。
というのも、「ワンス」のマックスって「ドン・ジュアン」のドン・カルロと似ている部分があるのでは?と思ったんですよ。
もちろん、人物としては全然似ていません。ただ、ドン・カルロがドン・ジュアンに対して抱いていた感情と、マックスがヌードルスに対して抱いていた感情には共通点があるように思ったのです。

というわけで、「ドン・ジュアン」から始まった【のぞさき】を振り返りつつ、お二人がヌードルスとマックスを演じることについて語りたいと思います。
あ、ちなみに今回は超!個人的な!萌え語りです!!
読んでも作品解釈に役立つような内容はあまりないと思いますんで、そこんとこよろしくお願いします!!


さて、私がワンスのBDを観賞する少し前、雑誌「婦人画報」にさきちゃんのインタビューが掲載されました。
過去の出演作から特に印象深い場面を語るという内容で、さきちゃんが挙げていたのが「ドン・ジュアン」の「悪の花」というナンバー。ご覧になった方ならすぐに「分かる」と深く深く頷く場面かと思いますが…酒と快楽に溺れる日々を過ごす超プレイボーイのドン・ジュアン(だいもん)と、そんな彼を善の道へ導こうと奮闘する友人ドン・カルロ(さきちゃん)がお互いの主張を激しくぶつけ合う、まさに「殴り合いのような」デュエット曲です。
そしてそのインタビューの中でとても印象的な言葉がありました。


ドン・ジュアンに対する気持ちはなんだったのだろうといまだに思うんです。友情なのか、それを超えた愛情なのか、正しい道を歩ませたいという使命感なのか……。これだ!という感情は最後まで見つかりませんでした(「婦人画報」2019年11月号 p.325より)


…「ドン・ジュアン」大好きマンのわたくし、この部分を読んだ瞬間「ッアーーー!!!」と叫んで思わず天を仰ぎましたわ。そう、それだ!!って思ったんですよね。激しく同意ってやつです。
さきちゃんが演じたドン・カルロ君は滅茶苦茶良い奴で、女性にも紳士的で礼儀正しい好青年で、人としてかなりKUZUなドン・ジュアンと何で友人なのかが分からないくらいで…むしろ唯一の欠点が「ドン・ジュアンの友人」ってところなのでは?と思うような人物でした。
でもカルロ君はひたすらにドン・ジュアンのことを想い、どんなに冷たくあしらわれても諦めず、彼を良い方向へ導こうと説得し続け、最後には一人で死を選んだジュアンのことを「死ぬことはなかったのに」と悼むのです。
一応カルロ君にはエルヴィラという好きな女性がいる設定ですが、どう見てもジュアンへの想いの方がデカすぎて「あんた、あの子(ジュアン)の何なのさ!?」と作品を見る度に問い詰めたくなりました。ていうか未だに心の中で問い詰めてます。

ただその「デカすぎるジュアンへの想い」が一体何なのか、私も長いこと答えは出ませんでした。
だからこそ、さきちゃんの「これだ!という感情は最後まで見つかりませんでした」というコメントに天を仰いだわけです。
ドン・カルロがドン・ジュアンへ向けていたのは、「友情」や「愛情」のように単純にカテゴライズできないけれど、とてもとても大きくて深い感情。答えはそれで良かったのだ、と思って。

そして、同じように「カテゴライズできないけれど、大きくて深い感情」を友人に対して抱えていると思ったのがワンスのマックスでした。
ドン・カルロは「大切な友人(ドン・ジュアン)には自分と共に善の道を歩いてほしい」と願って行動していた人だと思います。
それに対して、マックスは「大切な友人(ヌードルス)には自分と共に悪の道を歩いてほしい」と願って行動していた人だと思うんです。
善と悪という方向性こそ真逆だけど、「大切な友人と、同じ道を歩いていきたい」という二人の願いは同じだったと思うんですよ。そのためにドン・カルロもマックスも、最後まで諦めずに一緒に歩きたい道を友に示し続けた。
そういうところが、二人を似ていると思った所以です。

宝塚では、どんなに評判の良かった作品でも同じキャストで再演が行われることはまずありません。
どれだけ願っても、のぞさきで「ドン・ジュアン」が再演されることはないでしょう。…滅茶苦茶残念ですけど。
ただ、全く同じではなかったとしても、さきちゃんの中で「最後まで見つからなかった感情」が再びだいもんへぶつけられる瞬間をもう一度見られるかもしれない(そして考えたくないけど、これが最後のチャンスになるかもしれない)
そう感じたからこそ、絶対にお二人のヌードルスとマックスを見たいと思ったし、こうして萌え語りをするためにも原作をきちんと理解せねば…と思ったわけです。
いや~長い道のりでした…!(笑)

のぞさきの好きな所は色々ありますが、中でも濃厚な人間ドラマを見せてくれる所が私は本当に好きなんですよね。

「ひかりふる路」のマクシムとダントンは深い絆で結ばれた親友でありながら、政治的な考え方の相違からやがて関係に亀裂が生じ、マクシムはダントンを死に追いやる。
「ファントム」のエリックとキャリエールは実の親子だが長年名乗り合うこともできずにすれ違い、理解し合えたのも束の間、最後にはキャリエールがエリックを銃殺…。
「壬生義士伝」の貫一とジロエは幼馴染の大親友であったが、身分の違いから進む道が分かたれてしまい、ジロエは貫一に切腹を命じなくてはならなくなる。

…なんかさ、濃いっていうか重いっていうか、人間関係をこじらせすぎじゃない…?
共通してるのは、どれも「お互いを大切に思う気持ちに嘘はないのに、時代背景や環境のせいで気付けば関係がこじれてしまっていて、ついには悲劇的結末を迎えてしまう」ということ。
そう、どれも本当にね…とても深い友情や家族愛で結ばれていた人たちなんですよね。
ダントンはマクシムが狂気の道に堕ちないよう命懸けで彼を止めようとした結果の死だし、キャリエールはエリックを愛していたからこそ「殺してくれ」という彼の望みに応えて銃を撃った。
そしてジロエは国を守るために貫一を殺してしまったことから、自らも悲劇的な運命を辿るという…。

せ、切ねぇ~!!ライバルとか敵役とかではなく、親友や親子なのに毎回上手くいかないの切なすぎません!?(笑)
最近の他組のトップ&二番手が演じてきた関係性を思い返しているんだけど、のぞさきほど友情や家族愛をこじらせているところって他にない気がして…。普通に親友とか、普通にライバルとか…親友なのに殺しちゃうとかあまり見ない気がするんだけど??
別箱公演では違うものの、大劇場公演では何故か毎回どちらかがどちらかを殺す最後を迎える二人…何故なんだ…でもそこが堪らなく好きだ…(笑)

私はさきちゃんの、誰かと組んだ時のお芝居、特に深い愛情を抱いている相手と向き合う時のお芝居がとても好きです。
そしてこれまで、さきちゃんが向ける深い愛情を色々な形で受けてきただいもんのお芝居がまた滅茶苦茶好きなんです。
ドン・カルロも、ダントンも、キャリエールも、ジロエも、性格や年齢は全然違いますが、皆とても情が深い人々でした。
そして彼らの想いを、ドン・ジュアンは見向きもせず、マクシムは疑い、エリックは受け止め、カンイチは意地で突っぱねた。
こうして並べて見ると全部違って、全部大好きだなぁと改めて思います。
恋愛的な愛とはまた違う、様々な愛の形や複雑な人間ドラマを見せてくれる…そんなお二人だからこそ、濃い関係性の作品が多く生まれたのかもしれないな~なんて思う今日この頃です。

そして「ワンス」のヌードルスとマックス。
彼らの複雑な感情が、今度はどんなドラマを舞台上に生み出すのか…楽しみに楽しみにマイ初日を待ちたいと思います!

以上、「のぞさきがヌードルスとマックスを演じるということについて」語りでした。
最後までお付き合い下さった方、どうもありがとうございました!!

2019年12月4日

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」について考える②-②

※原作映画を予習済みの方向けの内容です。
未見で読まれると何の話だかさっぱり分からない上に、重大なネタバレだけ知ることになるのでご注意ください。また、ここに書いたことは全て個人的な解釈です。
そして、この記事もまた滅茶苦茶長いです!!

【ここがヤバいよ、マックスさん!!の続き】

②マックスは何故ヌードルスを裏切ったのか

ワンスにおいてストーリーの肝となる、マックスの裏切り行為。
その理由についての解釈は人それぞれだと思いますが、個人的には行き過ぎた承認欲求かなと思っています。
マックスはヌードルスに、自分を理解して認めてくれることを望んでいた。
その想いが、ヌードルスを裏切り、彼を苦しめる結果を生んだ。
この辺、上手く文章化できるか分かりませんが…順を追って整理してみますね。

少年時代、似たようなチンピラ少年だったヌードルスとマックスの立場を決定的に変えたのはバグジー殺人事件でしょう。
バグジーを殺してしまったことにより、ヌードルスは9年間刑務所で過ごすことになりました。この時彼は17~18才。ちょうど少年から大人になり始める大切な時期に、彼は世間から隔離されてしまった。
ヌードルスが出所してきた時、肉体的には大人になったものの精神的には少年の頃のままだったのではないでしょうか。
それに対してマックスは、9年の間に自分の手で会社を興し、裏の世界での人脈を広げ、肉体的にも精神的にも成熟した大人になっていたんですね。
9年という歳月は確実に彼らの間に隔たりを作っていたのに、2人はそれに気付かず昔のように仲良くやっていこうとしてしまった。
これが2人にすれ違いが生まれてしまった大きな原因だと思います。

さて、一緒にギャング業を始めたヌードルスとマックスですが、中々しっくりいきません。
マックスが仕事を円滑に進めるために大物ギャング・フランキーの下に着こうと提案すれば、ヌードルスは「昔は『ボスは要らない』と言ってたじゃないか」と反対する。
マックスが禁酒法撤廃後は政治家とグルになって新しい商売を始めようと提案すれば、ヌードルスは昔と同じチンピラ稼業の方が肌に合ってると反対する。
ヌードルスにはマックスが話す「大人の流儀」が分からないし、知りたくもない。
少年時代のチンピラ稼業よりスケールの大きい仕事は、彼の理解の範疇を超えてしまっているのだと思います。

一方マックスには、9年間蓄積してきたノウハウを活用してヌードルスともっと大きな成功を掴みたいという野望があったのでしょう。そして自分の商才にも自信がある。
でもヌードルスの共感は一向に得られない。それどころか、彼の心は自分から離れていくばかり…。
仕事を取るのか、友情を取るのか…マックスは悩んだと思います。
彼が社会的成功を得るためには、考え方の違うヌードルスが足枷になるのは目に見えている。
ただ、マックスが成功だけを望む男だったならこの時点でヌードルスを見限ればよかったんですよね。それこそ、ジミーの病室で新しく運送業を始めようかという話になった時に、反対して出て行ったヌードルスを追いかけなければ良かった話。
ここでヌードルスを追いかけたということは、マックスはヌードルスとの関係を諦めることができなかったということでしょう。
自らの成功を掴むために潔くヌードルスとの別れを選んだデボラとは大きく異なる点ですね。

そしてマックスはフロリダのビーチで、無謀な銀行強盗計画をヌードルスに提案します。
これはもうハナから真剣な提案ではなかったと思います。砂に書いた、まさに「砂上の楼閣」のような話ですね。
では何故、彼はこんな途方もない話をし始めたのか。
私は、ヌードルスの関心を自分に向けさせることが目的だったのではないかと考えています。

この時マックスが一番望んでいたことは、ジミーの労働組合と裏で組んで運搬業を始めること。
そして自分のやり方をヌードルスに理解してもらい、今後も一緒に仕事を続けていくことです。
ただ、今まで通りの話し方では上手くいかないとも分かっている。

だからまず、子供でも無理だと分かる(ヌードルスでも無理だとすぐに理解できる)計画の話から始める。
そこでヌードルスが「冗談だろ」と笑うもよし、「できるはずがないからやめろ」と止めるもよし。とにかく一度彼と同じレベル(子供レベル)まで仕事の認識レベルを落として関心を引き、共通の感覚を得る。そこから「確かに連邦準備銀行は無理かもしれないが、俺はお前と一緒ならこれくらいデカい仕事もできると思っているんだ」と説得体制に移行し、段階的に自分の仕事についての考えを理解してもらう…。
イメージとしては、家庭教師が最初に担当する生徒の学力レベルを確認し、理解できる範囲から徐々にステップアップしていく、そんな感じ。
そして最終的に、ヌードルスから新しいビジネスについて賛同を得る。
これがマックスの狙いで、銀行強盗計画はそのためのブラフだったのではないかと思います。

ところがここでもヌードルスはマックスを突き放してしまうんですね…「お前は狂っている」という地雷ワード付きで。
この時ヌードルスがマックスときちんと向き合い、真意を探っていたら彼らの結末は全く違った形になっただろうなと思います。
しかしヌードルスは「自分がマックスの仕事を理解できないのは、彼が狂っているからだ」と考えることを放棄してしまった。

そしてマックスも、思いがけず地雷ワードを言われたことでカッとなってしまい、ヌードルスの説得に失敗してしまった。
この失敗により、マックスは言葉でヌードルスに自分を理解させようとすることを諦めたのでしょう。
口で言って分からないなら、実際に見てもらって理解してもらうしかない。
そう考えたマックスは、

・フランキーのような大物ギャングや政府高官を味方に付ければ、自分の死すらたやすく偽装ができること
・新しい仕事は多額の儲けを生み、社会的に成功できること

を行動で示そうとした。
その結果、マックスはベイリーとして生まれ変わり実業家としても政治家としても成功します。
ただ彼にとって誤算だったのは、ヌードルスが自分の成功にちっとも気付いてくれなかったことでしょう。
そう、マックスはヌードルスに自分が生きていると気付いて欲しかった。気付いて、自分の価値を認めて、必要として欲しかったのだと思います。

ただここで引っかかる点もあります。
何故、マックスは共同基金とデボラまで奪ったのかということ。
この点もちょっと考えてみますね。


●共同基金を奪った理由

マックスはヌードルスを出し抜いて、少年時代から貯めていた彼らの共同基金を奪いました。
ではマックスの目的は金だったのか?いいえ、彼はお金に困っていたわけではないので違うでしょう。
フロリダでヌードルスに話した100万$の蓄えというのは共同基金のことだと思いますが、それ以外に個人の資産もあったはず。ビーチでくつろいでる姿から見ても、金目的で親友を裏切るほど困窮しているようには見えません。

では何故金を奪ったのかといえば、考えられる理由は二つ。
一つは、死亡偽装後に自由に使える資金とするため。
ここでポイントになるのは、金だけが目的ならそもそもあんな手の込んだ死亡偽装工作をする必要はないということ。単に金を独り占めしたいだけなら、ヌードルス・コックアイ・パッツィの3人を不意打ちで殺害してしまう方がよっぽど簡単なはずです。
まず死亡偽装をするという目的があって、その後のことを考えて金も確保しておいたというところでしょう。

そしてもう一つは、自分の生存をヌードルスに気付かせるため。
繰り返しになりますが、マックスの最大の目的はヌードルスに自分の仕事を理解してもらうことです。
その証明の一つとして、マックスは自分の死を偽装するトラック事故を起こした。
ヌードルスを密売酒の運搬トラックには乗せず、不自然な程に黒焦げな替え玉死体を用意し、ロッカーの鞄の中身も先に入れ替えておく(鞄の中身に新聞紙を詰めておいたのも、身元判別が難しい遺体の死亡ニュースが早々に新聞で報じられるのはおかしいというヒントだったのかも?)

コックアイとパッツィは顔が識別できる状態で死んでいたし、ファット・モーはギャングに暴行されていて動ける状態ではなかった。恋人のイヴも殺されているし、キャロルは共同基金の存在すら知らない様子だった(フロリダでのマックスとの会話から)
ヌードルスが冷静に事態を把握していれば、この時点でマックス生存の可能性に気付けたかもしれません。そのための痕跡を、マックスは敢えて残していたのだと思います。
まぁ残念ながらヌードルスは最後まで全く気付きませんでしたけどね…。


●デボラを奪った理由

もう一つマックスがヌードルスから奪ったものと言えば女、そうデボラです。
マックスはデボラを少なくとも15年以上愛人として側に置いていたようですが、この二人に恋愛的な感情が芽生えるとはどうにも考えられないんですよねぇ…どっちもヌードルス一筋だし。

仮に愛が芽生えていたのなら、マックスは後妻としてデボラを迎えてもよかったのではないかしら。デボラの方も、楽屋でヌードルスと再会した時の態度がもっと違ってたんじゃないのかな。あの時のデボラは、マックスに会えばヌードルスがショックを受けると心配して、ヌードルスのために二人の再会を防ごうとしてましたからね。
そして何より、この二人は「恋より仕事」に生きる人たち。
お互いの利害が一致したから一緒にいると考えた方が、個人的には納得がいきます。

ではまず、デボラの方のメリットは何か。
彼女は年齢を重ねてもなお舞台で主演を務めるスター女優です。
が、女優としての成功を讃えて「君は年にも萎れぬ花だ」と褒めるヌードルスに「自分は年で萎れた花だ」と寂し気に語ります。そして彼女は今、大物政治家となったマックスと愛人関係にある。
おそらく、舞台の主役は自分の実力で得たものではなく、マックスの後援があるから回ってきた仕事ということなのではないでしょうか。
デボラはマックスをパトロンに迎えて主演女優の地位を守る。そしてマックスはデボラをベイリー財団の広告塔として利用する。両者にとって利益を生む関係です。

加えてマックスにとっては、デボラも自らの成功を示すカードの一つだったのではないかと思います。
デボラはかつて、愛していたヌードルスとの付き合いは断ちました。それは彼がギャングで、自分の女優活動の妨げになると考えたからです。
でも彼女は、嫌っていたマックスからの援助は受け入れた。これは彼がもうギャングではなく、実業家や政治家として社会的地位を確立していたからでしょう。

マックスは、社会的に成功すればデボラも手に入れられることをヌードルスに証明したかった。
これが、デボラを愛人にした理由だと私は思っております。


●全てはヌードルスに自分を認めさせるため

マックスが共同基金を奪ったのも、デボラを愛人にしたのも、目的ではなく手段に過ぎないと思います。
本当の目的は、ヌードルスに自分を認めてもらうこと。そして彼に必要としてもらうこと。
少年の頃、密造酒の運搬中に河へ落ちたヌードルスに、マックスはボートの上から「俺が必要だろ?」と問いかけました。
あの問いは大人になってもずっとマックスの中にあって、ヌードルスの「お前が必要だ」という答えを待ち続けていた。マックスは、ヌードルスに自分と同じボートに乗って欲しかったんだと思います。

ワンス初見時、「長官」と呼ばれる立場にまで上り詰めたマックスの生存が35年もヌードルスにバレなかったのは何故だろう?と不思議に思いました。
映画ではTVニュースの中でも顔は映し出されないけど(ネタばれになるから当たり前だけど)、マックスがベイリーとして有名になればなるほど顔が露出する機会もあったはず。もしヌードルスに知られたくなかったのなら、顔を整形して完全に別人になるか、NYから逃げたヌードルスを探し出して始末した方が安心ですよね。実際、35年経ってもヌードルスを見つけて呼び戻す力がマックスにはあったのだし。
でもマックスが「自分が本当は生きていることがバレてもいい、むしろヌードルスに気付いて欲しい」と願っていたのなら辻褄は合うと思います。

ただヌードルスはマックスが期待していた以上に鈍かったし、そもそも見ている世界が違っていた。
おそらくヌードルスには、マックスが見ている世界(生き馬の目を抜くような熾烈な競争社会)が見えないんです。
だからマックスがあれこれ痕跡を残しても、気付くことはないまま35年の月日が流れた。

そんなある時、マックスはこれまでの汚職の数々が露見して窮地に追い込まれます。裏で繋がっていた組織(ギャングたち)からトカゲの尻尾切りのように始末されることを察したマックスは、待ち続けたヌードルスを自分から呼び出すことにした。
35年間のことを全て話し、彼に最後の仕事を手伝ってもらおうとしたのです。
マックスはヌードルスに「友達を裏切った俺に復讐しろ、俺を殺せ」と言ったけれど、それはマックスの流儀にのっとったやり方なんですね。
そしてヌードルスは最後まで、マックスの仕事の流儀には賛同できなかった。
殺さないと決めたヌードルスに、マックスが「それがお前の復讐なのか?」と尋ねると、ヌードルスは首を振って「いや、俺の考え方だ」と答えます。

ヌードルスも、マックスに35年間裏切られていたことにはショックを受けた。
でもそれは今の彼を殺す理由にはならない。
自分の中のマックスはもう死んでいて、彼との「良い友情」は35年前に終わっている。
それでいい、とヌードルスは決めたんでしょう。

過去の幸福な思い出があれば生きて行けるヌードルスと、常に未来を見据えて高みを目指し続けるマックス。
彼らはとても仲の良い親友同士だったけれど、見ている世界があまりにも違いすぎた。
それが二人の間に裏切りと悲しい結末を生んだ原因なのだと思います。


③デボラとキャロル

マックスとデボラについては裏切った理由のところで大体語ってしまったので…(笑)
マックスとキャロルについてちょっと語りますね。

キャロルについて引っかかったのは、終盤のベイリー財団の施設でヌードルスと再会するところ。
これ何の施設なのかがよくわからなかったんですが、音声解説によるとベイリー財団が運営する福祉施設で、キャロルは現在ここで働いてるんだそうです。マジか。
で、キャロルはヌードルスに35年前のあの夜のことを語るわけですが…果たして彼女は本当に真実を語っていたのか謎なんですよね。

あの施設で働いているのだとしたら、キャロルがマックスの生存に気付いていないとは考えにくい。
というか普通に考えて、マックスがあの施設でキャロルを働かせてるんだろうなって思うよね…昔の恋人が別人になりすまして作った施設で働いてます、なんて偶然そうそうないでしょ。
であればキャロルも、マックスがベイリーという名で生きていることは知っている。
そしてそのことを、自分からヌードルスに知らせるつもりはない。
ついでに、マックスとデボラの関係についても彼女は勿論知っていて、知らないふりをしているのだろうなとも思いました。
デボラが映っている写真についてヌードルスが「この女優と知り合いか?」と尋ねた時、目を伏せて「いいえ」と答える表情とかね…あーキャロルはまだマックスを愛してるんだろうな、と感じて切なくなりました。

推測ですが、35年前キャロルはマックスが本気で銀行強盗をする気だと信じていたんでしょう。
だから犬猿の仲のヌードルスに頼ってまでマックスを止めようとした。
しかし全てはマックスの計略だった。彼女も自分が手駒にされていたことに後から気付いたはず。
にも拘わらず、35年経った今でもマックスの目の届く所にいる。

ヌードルスがいつまでもデボラを想い続けたように、おそらくキャロルもずっとマックスを想い続けていたのでしょう。
やっぱりこの二人似てると思うなぁ…貞操観念は緩いけど、本命には一途なところとかそっくり(笑)
そしてマックスに関してはライバルのような関係でもある。
キャロルがヌードルスにマックスの生存を教えなかったのは、「(マックスが話していないことを)自分が言うべきじゃない」というマックスへの気遣いと同時に、「教えてやる義理はないわ、自分で気付きなさいよ」というヌードルスへの対抗心もあったんじゃないかなぁ。
キャロルは惚れた相手がヤバい奴だったせいで大変な目に遭ってきたと思うけど、一途にその想いを貫く生き方はかっこいいなと思うのでした。


というわけで、滅茶苦茶長くなりましたが「ここがヤバいよ、マックスさん!!」考でした。
ワンスは長い映画ですが台詞量は控えめで、役者の表情や仕草、情景や音楽にストーリーを語らせる部分が多い作品だと思います。意図的に想像の余地を沢山残した作りになっているんですよね。
そのため「こういう台詞があったから〇〇と言える」と証明するのは難しく、ここに書いたことも想像の域を出ません。観た人の数だけこの作品の真実があると思います。

ただ、これだけ全力で読み解きたくなる作品やキャラクターたちに出会うことも中々ないので、とても貴重な出会いになりました!
そして改めて、雪組版のワンスがどういう解釈で描かれるのかが楽しみでなりません。
ということで、次は「のぞさきがヌードルスとマックスを演じるということについて」をまとめたいと思います!
最後まで読んで下さった方、どうもありがとうございました!!

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」について考える②-①

※原作映画を予習済みの方向けの内容です。
未見で読まれると何の話だかさっぱり分からない上に、重大なネタバレだけ知ることになるのでご注意ください。また、ここに書いたことは全て個人的な解釈です。
そして、この記事また滅茶苦茶長いです!!

【ここがヤバいよ、マックスさん!!】

はい、私だけが楽しいワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ(以下ワンス)語り第二弾です。
何しろ内容が重い作品なのでサブタイトルだけでも明るく(?)してみようとしましたが、昭和生まれのセンス駄々洩れ感が半端ないですね!
と、それはさておき。
今回はマックスの解釈を中心に、ヌードルスとの関係、そしてデボラとキャロルについても語りたいと思っております。

まず最初にワンスの根幹の話をしますね。
この作品のヒロインはデボラで、ヌードルスは生涯を通じて彼女を愛しています。

それでも「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」はヌードルスとマックスの愛の物語である。

私はそう考えています。
これは最初に映画を見た時にも感じたことだったんですが、その時点では自分でも確信が持てませんでした。
腐女子歴が長すぎてそう見えちゃうだけかな~?と思って…(笑)

でもこの映画の字幕版と吹替え版を両方見て、ついでにBD映像特典のレオーネ監督のドキュメンタリーとか、タイム誌映画評論家の音声解説(※)まで全部見て、やっぱりこれはヌードルスとマックスの愛の物語だったなという結論に至ったわけです。
(※評論家のリチャード・シッケル氏のコメントによれば、レオーネ監督は「この映画に愛の物語があるなら、それはマックスとヌードルスの愛の物語だ」と語っていたそう。またデボラ役のエリザベス・マクガヴァンも「この映画はヌードルスとマックスのラヴストーリーであるべきだ」と語っていたとのこと。ということは私の解釈も見当違いというわけではないのね~とホッとしましたw)

彼らの愛を定義することは凄く難しくて、友情という言葉では弱すぎるし、同性愛とも違う。家族愛や兄弟愛に近い気もするけど、そう言い切ってしまうのも違和感がある。
お互いを深く想い、生涯の友と認め合い、自分の命もかけられる存在。それがヌードルスとマックス。
ただ彼らが上手くいかなかったのは、ヌードルスは思い出の中で生きる人間で、マックスは未来を見続ける人間だったから。
その決定的な違いが、二人を悲劇的な顛末に導いてしまった…という切ない物語がワンスだと思うのですよ。

さて、そんな二人を語るにあたり、3つのトークテーマを設けました(カフェブレ風)

①マックスがヌードルスを好きすぎるって話
②マックスは何故ヌードルスを裏切ったのか
③デボラとキャロル

というわけでまずは①から語ります!


①マックスがヌードルスを好きすぎるって話

2人の出会いは少年時代。大体17~18歳くらいの頃だったと思われます。
ブロンクスからロウアー・イースト・サイドへ引っ越してきたマックスが、ヌードルスのスリ現場に偶然通りかかり、酔っ払いの懐中時計を横取りしたのが最初の出会い。ヌードルスは獲物を横取りされたことに最初は腹を立てますが、何だかんだですぐにマックスと仲良くなり、一緒にチンピラ稼業を始めることになります。
そしてこの頃から既にマックスのヌードルス大好きっぷりが分かるエピソードがちらほら…というわけで、まずはマックスのヌードルス好きすぎエピソードを5つ語るよ!


1.デボラとのファーストキス覗き事件

過ぎ越し祭というユダヤ教の記念日に、モーの店でこっそりデボラとデートしていたヌードルス。憧れの彼女と念願のキスができたものの、マックスがその様子を覗いていたせいでデートが台無しになるという場面があります。

この時マックスは「街の人々が出かけている間に空き巣をするため、ヌードルスを誘いに来た」と話していますが、仕事の誘いに来たという割に他のメンバー(コックアイ・パッツィ・ドミニク)はいません。
ヌードルスがデボラを好きなのはちょっと見てればすぐ分かるだろうし、マックスに彼らを応援する気持ちがあるのなら、気を遣って他のメンバーを誘いに引き返してもよさそうなところ。でもあえてマックスは2人の邪魔をして、ヌードルスをデボラから引き離そうとする。
それは2人が結ばれるのを面白く思ってないからでしょう。

マックスにとってデボラは、ヌードルスを巡るライバルのような関係だと私は思っています。
マックスは親友のヌードルスと、自分なりのやり方で暗黒街をのし上がっていこうと考えている。そしてその障害となるのがデボラ。
彼女はマックスと対照的に真っ当な道でのし上がっていこうとしている人で、ヌードルスの想い人。そしてヌードルスに更生して欲しいと願っています。もし彼女の願い通りヌードルスがカタギの人間になってしまったら、マックスは大事な相棒を失ってしまうことになる。それは絶対に避けたい。

だからマックスは、ヌードルスとデボラとの接触を邪魔したのだと思うんですよ。
その女は俺たちの邪魔になるからやめておけ、的な感じというか。
ヌードルスが商売女といちゃつく分には全然構わないけど、自分との関係に支障をきたす存在は遠ざけたいんでしょうね。

そしておそらく、デボラもマックスを同じように考えていた。彼女にとってマックスは、ヌードルスを悪の道に引きずり込む諸悪の根源のような存在だったのではないかな。
ヌードルスの出所祝いパーティーで再会した際、「自分の出所日をマックスから聞いたのか?」というヌードルスの問いに「マックスから?いいえ、違うわ」とデボラが嫌そう~に否定していましたよね。
マックスと自分が関わりを持っていると思われるだけでも嫌なんだろうな…と思ったワンシーンでした。この二人、道ですれ違っても目も合わせないんじゃなかろうか(笑)

後にヌードルスが「マックスとデボラは似ている」と話す場面がありますが、これは本当にその通りだと思います。
マックスもデボラも上昇志向が強く、好きな人間も同じ。ただ、正攻法で上り詰めようとしているのがデボラで、手段を選ばないのがマックス。
この2人の対比も、ワンスの面白ポイントですね。
ついでに、どっちつかずでフラフラとチンピラギャングを続けてしまうヌードルスの人間性もこの2人によって浮かび上がってくる。
そんな面白さもあると思います。


2.2人で河にボッチャン事件

少年時代の数少ないハッピー(?)エピソードの一つ。
ギャングの密造酒運搬を手伝ってる最中、仕事の成功に喜んでボートの上で抱き合ったヌードルスとマックスが勢い余って河に落っこちる場面。
水面に浮かび上がったヌードルスはマックスの姿が見えないことに焦り、彼の名を呼んで必死に探します。しかし、実はマックスは先にボートに上がっており、自分を必死で探すヌードルスをニヤニヤ見ているという(笑)
そしてヌードルスに「俺が必要だろ?」と笑いかけ、ヌードルスは不貞腐れたようにマックスの顔に水を吹きかけるという微笑ましい一コマ…なんですが、この「俺が必要だろ?」というマックスの言葉こそ、彼が生涯にわたって抱いていた願望なのではと思うんです。

マックスがヌードルスを必要としていたのは間違いないと思います。
使用楽曲についての考察文でも書きましたが、マックスは理屈抜きにヌードルスが好きで、彼と一緒に成功を掴みたかった。
そしてその想いをヌードルスと共有したかったし、誰より彼に自分を認めて欲しかったのではないかな…マックスがヌードルスに向ける感情には、そんな承認欲求も含まれていたと思うんですよね。

ところで、大人になった2人が仕事で意見が対立し、その口論が終結した際に「泳ぐか?」という誘い文句が出てきます。
一度目は強奪したダイヤの受け渡し時に、依頼主のジョーを殺したことで口論になった時。
二度目は禁酒法撤廃後の仕事の方向性でもめて喧嘩別れしそうになった時。
一度目はマックスがヌードルスに、二度目はヌードルスがマックスに「泳ぐか?」と尋ねて「そうだな、泳ごう」ともう一方が答える。
これは河に落ちた時のエピソードから来ている、2人が仲直りする合言葉なのかもしれないなと思いました。それだけお互いにとって特別な思い出なんでしょうね。
ついでに、口論をすると先に折れるのは必ずマックスの方というのも、マックスとヌードルスの関係性がよく表れているなと思います。


3.再会は二人きりで

仲間のドミニクを殺された怒りで衝動的にバグジーを殺してしまい、9年間服役していたヌードルス。出所したその日、マックスは一人で刑務所まで彼を迎えに行きます。
そして感動の再会~!!
…はいいんだけどさ、この時マックスはコックアイやパッツィには嘘の出所日を教えて敢えて一人で行ってるんですよね!!!!!
ええもうここで察しましたよ…マックスにとって特別な存在はヌードルスだけなのだと。

だってヌードルスが刑務所にいた9年間、一緒に仕事をしていたのはコックアイやパッツィじゃないですか。チンピラの若造に過ぎなかった3人が、表の葬儀屋業でも裏のギャング業でも大金を稼ぐようになるまで様々な苦楽を共にしているはず。
マックスが心からコックアイやパッツィを大切な仲間だと思っているのなら、3人でヌードルスを迎えに行こうと思ってもおかしくない(ヌードルスが収監される時は3人+モーで見送っているのだし)
にも拘わらず、コックアイたちには出所日を偽って教えてまで一人でヌードルスを迎えに行っている。
これはもうヌードルスとの再会の瞬間を誰にも邪魔されたくなかったとしか思えないじゃんかー…マックスよ…そんなにヌードルスを独り占めしたかったんか、マックスよ…。

しかもヌードルスは「刑務所にいる間、家族が世話になった」とマックスに礼を言い、マックスは「お前の取り分だ。ちゃんと帳簿にもつけてる」と何てことないように返事をしている(この時ヌードルスはマックスが葬儀屋業を始めたことも知っていたので、何らかのやり取りはしていたのかも)
更に更に、ヌードルスの出所祝いとして、即座にお相手をしてくれる美女の娼婦とベッド(霊柩車だけど)まで用意しておくという気の回しよう。
なんつーか、もう滅茶苦茶ヌードルスが好きだよね…マックス。ちょっと健気にすら思えてきたわ。
マックスがここまで尽くす相手ってヌードルスだけだもんなぁ。

後にマックスが死亡偽装のトラック事故を起こした時も、コックアイとパッツィは巻き添えにして殺してしまってるわけですしね。そのことについてマックスが何の弁解もしていない点から見ても、彼らはマックスの「特別」ではなかったということでしょう。


4.ヌードルス>>>>>>女

とにかくヌードルスが大好きなマックスですが、性的嗜好はストレートの模様。キャロルとも何だかんだイチャイチャしてますしね。
ただ、そもそもマックスにとって恋愛って生きていく上で重要なことではないのだと思います。
仕事と女だったら迷わず仕事を取るし、ヌードルスと女だったら迷わずヌードルスを取る。それがマックス。
それが表れているなと思ったのが、デボラを暴行した末に失恋したヌードルスがマックスたちのいるアジトを訪れる場面。

傷心からアヘン窟に入り浸っていたヌードルスが久しぶりにアジトへやって来ると、マックスたちが自分抜きで仕事を進めていたことが判明。その件でヌードルスとマックスが言い争いになり、マックスが「一緒に仕事をする以上、女の問題を持ち込むな!」と怒るとヌードルスは「ならお前も自分の女を連れ込むな!」とキャロルが同席していることを責めます。
さらにキャロルを侮辱する言葉を続けるヌードルス。そこでキャロルが反論すると、マックスは彼女をかばうどころか「俺はこの女を愛しているわけじゃない!」と何故かヌードルスに弁解するようなことを言ってキレ始め、しまいには何も悪くないキャロルを怒鳴りつけて追い出してしまいます。

この場面、どう考えても悪いのは逆切れした上にキャロルを追い出すよう仕向けたヌードルスだと思うんですけどね。売り言葉に買い言葉とはいえ、ヌードルスの望み通りにキャロルを追い出しちゃうマックスもさぁ…!お前、ホントそういうとこだよ!!(笑)
キャロルは被虐嗜好のある女性なので、マックスはわざと横暴な態度を取ったのかな?とも一応考えてみましたが、まぁないでしょうね…キャロルには気の毒ですが。

だってさぁ、ヌードルスとマックスが言い争いを始める少し前に、コックアイがアヘン窟へヌードルスを探しに行った時の話をするじゃない?その時、アヘンの幻覚作用でコックアイを「デボラ」と呼んだことをからかうと、マックスは即座に「よせ!」とコックアイを制止するんですよ。
ヌードルスがからかわれた時と、キャロルが侮辱された時の反応の違いが顕著すぎて、わたしゃもうチベットスナギツネ顔で2人を見ているしかなかったわ…。

マックスにとって大切なのは、ヌードルスと一緒に仕事をすること。
そのためならヌードルスに注意を促すこともあるけど、他の誰かがヌードルスを馬鹿にするのは許さないし、ヌードルスと自分の間に割って入るのは(一応)恋人ですら許さない。
そう、それがマックス!!(書いてて段々面白くなってきました)

しかしマックスも相当ひどいけどさ…「キャロルを部屋から叩き出せばいいのか!?」とまくしたてるマックスにウンともスンとも言わず、黙って新聞に目を落として肯定するヌードルスも大概ひどい男よな~!?
「そこで黙りこむのずるくない!?都合が悪くなると黙る子供か!?」とメモを取りながら思わず突っ込んでしまったわ(笑)

そもそも何故ヌードルスはキャロルを嫌っているんだろうか…?
性に奔放なところが気に入らないのかとも思ったけど、同じく貞操観念ゆるゆるなペギーとは昔から仲良くやってるからそういうわけでもなさそう。となると、ヌードルスも自分とマックスの間に割り込んでくる女が気に入らないとか??(この場面の冒頭、マックスとの会話にキャロルが割り込んできた時に固まってたもんな)
マックスとデボラがヌードルスを巡るライバルであるように、ヌードルスとキャロルもマックスを巡るライバルなのかもしれない。
…あ~ホントめんどくさい男たちだよ、ヌードルスとマックス…!


5.お墓と息子の件

ワンスの現在(1968年)パートは、謎解きミステリーのような面白さもありますよね。
35年ぶりにヌードルスをNYへ呼び戻したのは誰なのか、という謎を解くため様々な手掛かりや情報を集めて真相に至るという。
この過程もワンスの面白さの一つですが、結末を知ってから見返すと「これ全部マックスがヌードルスを自分の元へ呼ぶために仕込んだことなんだよな…」とあまりの手の込みように呆れるやら感心するやら、何とも言えない気持ちになります。
さすがヌードルスのためならどんな苦労もいとわないマックスだよ。ある意味天晴だよ。

その中でも特に驚いたのはヌードルスの名前で建てたお墓(霊廟)と、息子の名前。あれびっくりしたわ、ホント!!
ヌードルスが35年ぶりにモーの店を訪れたのは1968年11月(TVニュースの日付より)
そのきっかけとなったユダヤ教会からの墓地移設の案内状発送は1968年3月頃。
ただ、霊廟の建立年は1967年となっていました。つまりユダヤ教会からの案内があった時にはもう、マックスたちのお墓は移設済みだったということになります。
ということは、墓地移設の案内状をヌードルスを呼び戻すために使ったのは、あの霊廟へヌードルスを誘導するためだったと考えられる。マックスが与えた最初のヒントが「お墓」で、連想させるために墓地移設案内状を使うのが丁度良かったのかもしれません。

手紙の誘導通りに霊廟を訪れたヌードルスが壁の銘文に気付くよう、そこへ鍵をぶら下げる。銘文を読んだヌードルスは驚き、訝しみながらも、「鍵」というヒントを元に今度は駅のロッカーへ。
そしてそこで現金と「仕事の依頼」を見つける。
謎解きゲームのようにヒントを一つずつ渡して、自分の元へヌードルスを導こうという算段ですね。このまだるっこしさにもマックスの性格や願望が表れているな~と思います。
(一つ分からないのは、ヌードルスがいつベイリー長官邸のパーティー招待状を受け取ったのかってことなんですが…ベイリーというヒントはTVニュースで映画を見ている観客には伝えられるので、招待状云々は編集でカットされたのかもしれないな~と思っています)

で、話を戻してお墓ですよ。
マックスは死んだことになっているので、墓を移設するのは分かる。
でも別にあんな立派な霊廟を建てる必要はないし、そこに「建立 ヌードルス」なんて銘文を刻むのホント…何考えてんだよ~マックス~~!?

…いや、ヌードルスのことだわ。マックスが考えてるのヌードルスのことしかなかったわ、そうだわ。

というわけであれは、マックスの願望墓だと思います。
「ヌードルスが自分(とコックアイ&パッツィ)を想って立派な墓を建ててくれたら嬉しいな☆」というマックスの願望の結晶。それがあの墓。
例えるなら、好きなアイドルの名前を婚姻届の「夫(妻)になる人」欄に書き込んで妄想にふけるドルオタのようなもの。
マックスの場合その願望というか妄想を形にできるだけの財力があったので、あんな墓を作っちゃったんじゃないかと思います。
それ以外の理由が私には思いつかんかった…有り余る愛と金がなきゃ建てないよなぁ、あんなの…。

あと息子!!
息子にヌードルスと同じ名前(デイビッド)を付けるとかさ…もはや愛以外に何の理由があるというの…???
デイビッド君は見た感じ20才前後くらい?ということは、ヌードルスと生き別れてから15年以上経っていた頃にマックスは自分の一人息子にヌードルスと同じ名前をつけたってことで…更につい最近も、ヌードルスの名前で過去の自分の墓を作っちゃったりしてるってことで…。
…マックス…お前、ほんと、さぁ……。
おそらく何も知らずに亡くなったであろうマックスの奥さんと、やっぱり何も知らないだろうと思われるデイビッド君…せめてデイビッド君の未来が明るいものであるよう願いたいですね…。

あ、そうそう名前と言えば、ヌードルスの本名はデイビッド・アーロンソンと言うらしいですが(霊廟の銘文より)、何で「ヌードルス」って呼ばれてるのかが未だに分かりません!!(笑)
マックスは本名のマクシミリアンからの愛称だし、パッツィも本名パトリックだから分かる。コックアイは本名フィリップだけど、彼は斜視でコックアイという仇名が付いたのだろうと思う。
でもヌードルスがどっから来てるのか分からねぇ…理由をご存じの方がいらっしゃったら是非教えて下さい(笑)


はい、以上「マックスがヌードルスを好きすぎるって話」語りでした。
他にも色々あるんだけど切りがないのでこの辺で…マックスのヌードルス愛が半端ないってことが伝わっていましたら幸いです。
そしてこの時点で滅茶苦茶長い記事になっているので、続きは次の記事にします…。

2019年11月23日

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」について考える①

※原作映画を予習済みの方向けの内容です。
未見で読まれると何の話だかさっぱり分からない上に、重大なネタバレだけ知ることになるのでご注意ください。また、ここに書いたことは全て個人的な解釈です。

それと、この記事長いです!!


「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」。
大好きな雪組でのミュージカル化が決まらなければおそらく一生見ることもなかっただろうこの映画、「観劇前に予習しとこ☆」と軽い気持ちで視聴したのが2019年10月上旬。
それがまさかこんなに深い沼にハマることになろうとはね~…いやはや自分でもびっくりです。

それもこれも、さきちゃんが演じる予定のマックスが色んな意味でヤバい奴だったから!!!!!(笑)

これに尽きます。
ただ初見時はストーリーを理解するのに手いっぱいで「マックスって何かヤバくないか…?」と思いつつも、どうヤバいのかが自分の中でも全然まとまりませんでした。だってなげーんだもんこの映画…!!
今一般的に出回ってる「完全版」で229分ですよ。229分。カップ●ードルが76個作れちゃう時間。「エクステンデッド版」は更に長くて251分あるんですって、アンビリーバボー!

でもそんな長~い映画を見て確かに感じたこと。それは「マックスはヌードルスをこじらせすぎていてヤバイ」ということ。
では彼はどこでどうこじらせてしまったのか…?
その答えを探るため、私は決意した。

そう、映画の内容を全て書き起こそうと…!!(クレイジーですね!!!)

作品の謎は作品の中に答えがあるはず。
であれば丁寧に内容をさらうしかない!!と考え書き起こし作業を始めたものの、映画をまた頭から見返し、内容や台詞のメモを取り、それをノートに清書して…ってやってたらノート完成まで1か月以上かかったし軽く腱鞘炎になったのであまりお勧めはしません。
いや、勧めても誰もやらんだろうけど。

まぁそんなわけで前置きが長くなりましたが、私なりにこの映画を解釈してみた話、そして今の雪組(というかのぞさき)がこの作品を上演することについて語ってみたいと思います。
語りたいのは主に3点。

●映画で使用されている楽曲とその意図について
●ここがやばいよ、マックスさん!!
●のぞさきがヌードルスとマックスを演じるということについて

書いてるうちに他にも語りたいこと出てきそうなんだけど…そん時はそん時だな(笑)
というわけで、最初は「映画で使用されている楽曲とその意図について」から!


「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(以下ワンス)は、劇中で流れる美しい音楽も魅力の一つ。
映画音楽の巨匠・モリコーネが作曲した音楽はもちろんですが、ポピュラーミュージックも印象的に使われています。
そしてその音楽が、作品を理解する重要なポイントになっていると思うんですね。レオーネ監督作品の特徴の一つに、「音楽にストーリーを語らせる」という手法があるらしいし(Wiki情報)
というわけで特に印象的な4曲について紹介しつつ、私なりの作品解釈を書いてみます。


①「God Bless America」…作品全体への監督からのメッセージ

私はこの映画で初めて知ったんですが、アメリカでは第二の国歌と称される程親しまれている曲だそうです
1918年、ユダヤ系アメリカ移民のアーヴィング・バーリンによって作詞作曲された曲で、舞台の劇中歌として作られたものの使われないままお蔵入りになってたのだそう。
それから20年後の1938年、ナチスドイツの台頭に憤ったバーリンはアメリカ愛国歌として改めてこの曲を世に送り出そうと考えます。歌の内容は、「アメリカに神の祝福がありますように」という愛国心に溢れたもの。人気歌手ケイト・スミスが歌ったこともあり、ラジオで流れるやいなや大人気となったこの曲は全米中に広まったのだとか。

ワンスの中では、映画の冒頭と終盤にこの「God Bless America」が流れます。
まず冒頭の出演者クレジットから、イヴが登場する辺りまで。
そして終盤の、若者たちを乗せた自動車がヌードルスの横を通り過ぎていく場面。
OPテーマとEDテーマみたいな感覚ですかね?正確にはEDではないけれど。

ただ正確性を考えると、映画の冒頭でこの曲が流れるのはちょっとおかしい。
というのも、ケイトが「God~」を歌ったのは1938年。
そして映画冒頭のシーンは1933年。
時代が合わないんですよね。他の挿入曲は一応時代が合っている(と思う)ので余計にこのずれが目立つ。

なのでまぁ色々考えた結果、この曲こそ作品全体に込めたレオーネ監督のメッセージなんだろうな、と思うことにしました。
付け焼刃知識ですが、レオーネ監督はイタリア人で英語も殆ど話せなかったのだそう。ただ幼い頃からアメリカに強い憧れを抱いていた。寡作の映画監督ですが、代表作と呼ばれる作品はアメリカをテーマにしたものばかりです。そんな憧れの結晶の一つが「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」という作品だったのでしょう。

ワンスの中ではアメリカという国の近代史、それも血生臭いギャングの抗争や彼らと癒着していた政治家などあまり褒められたものではない暗部が描かれています。
ただ映画を見ていても、アメリカのそんなダークサイドを強く批判したり、逆に礼賛したり、という主張は感じませんでした。
清濁併せ呑むというのかな…おそらく、アメリカの華やかでエネルギッシュな面も、ダークで混沌とした面も、全部ひっくるめて監督は大好きだったんだろうな~と思うんですよ。愛がなければ、こんなに長くて執念のこもった作品は作れないんじゃないかな。

セルジオ・レオーネが長年憧れ続けた「アメリカ」という国を寓話的に描いたこの作品。
作品内で描かれた「アメリカ」は実際のアメリカとは異なる部分も沢山あることでしょう。モデルになった実在の人物はいても、そもそもフィクションだし、様々な描写も誇張されている。外国人が考えた想像の中のアメリカに過ぎないと捉えることもできるかもしれない。
それでも監督はアメリカを心から愛している。
そんなアメリカ愛、アメリカ賛歌の想いが「God Bless America」には込められていたのでしょう。私はそう感じました。


②「アマポーラ」…ヌードルスにとってのデボラ

2曲目は「アマポーラ」。映画の中で最も印象的に使われている曲ですね。
1924年にスペイン出身の作曲家ホセ・ラカジェが発表したラブソングですが、これはヌードルスにとってのデボラを象徴する楽曲なんだなぁ…と歌詞を見て↓思いました。


ひなげしよ、美しきひなげしよ、
いつだって僕の心は君だけのもの
君が好きだ、僕の愛しい子、
花が昼の陽射しを愛するように

ひなげしよ、美しきひなげしよ、
嫌な顔をせずに私を愛しておくれ
ひなげしよ、ひなげしよ
君はどうして一人でいられるのだろうか
Wikipedeiaの日本語訳より引用)


わたくし、曲は知っていてもどんな歌詞かは知らなかったんですよ。そしたらまぁ超~~ヌードルスっぽい曲だったのでレオーネ監督の選曲センスに膝を打ちました。いや、アマポーラ以外の曲も膝打ちっぱなしなんですけどね!

ストリートキッズ上がりのギャングという闇の世界で生きてきたヌードルスにとって、デボラは光の世界で生きている憧れの人。
少年の頃から、そして年老いてもなお、ヌードルスが恋焦がれ続けたのはデボラただ一人。まさに「いつだって僕の心は君だけのもの」なんですよね。
ただ、悲しいかなこれは片想いソング。
「嫌な顔をせずに私を愛しておくれ」という歌詞がヌードルスにハマりすぎていて何かもう切なくなっちゃったよ…。
デボラもヌードルスにはずっと心惹かれていたし、本当に好きだと思ったのはヌードルスだけだというようなことも言っている。ただ彼女は恋のために何もかも捨てる人間ではなかった。女優として成功するためには、ヌードルスのギャング業が障壁になることを分かっていたんですよね。
だから彼女は、いつまでもギャングを続けているヌードルスに「嫌な顔」をし続け、好意を伝えても彼の手を握り返すことはしなかった。おそらく、ヌードルスがカタギの仕事に鞍替えしていたらデボラと結ばれる未来もあったんじゃないかなと思います。

そして個人的に面白いなと思ったのが歌詞の「君はどうして一人でいられるのだろうか」という部分。
デボラはヌードルスの想いに応えはしなかったものの、他に恋人を作ったりはしなかった。
ヌードルスにとっては、自分のものにはならなかったけど誰かのものになったというわけでもない。
ずっと一人で咲き続けていてくれる孤高の花、それがデボラ。
だからこそ、ヌードルスの心にいつまでも咲き続けていたのかもしれません。

ところが物語の終盤、デボラが誰かのもの(マックスの愛人)になってしまったことが判明!
それが明かされる楽屋での場面でも「アマポーラ」がBGMで使われるんですが、ここだけ大分印象が違うんですよね。
それまでに使用される場面は
・少年時代、デボラのダンスをヌードルスが覗き見るシーン(2回)
・青年時代、ヌードルスとデボラの再会シーン
・青年時代、ヌードルスとデボラのデートシーン
の主に3つ。
どれもヌードルスにとってはデボラとの美しい思い出の場面であり、「アマポーラ」のメロディも美しくドラマティックに流れます。

それが楽屋の場面では、モリコーネ作曲のBGMに交じって「アマポーラ」の主旋律だけが聞こえる、という使われ方をしているんですね。
これはデボラがもう「一人で咲き続けていてくれる花」ではなくなってしまったことを表しているのと同時に、ヌードルスの美しい思い出が失われたことを表しているのかな、なんて考えました。

ワンスでは「思い出」や「喪失」が大きなテーマにもなっているので、そういう意味でもとても印象的なアレンジだと思います。


③「Yesterday」…ヌードルスにとってのマックス

3曲目は「Yesterday」。
ザ・ビートルズが1965年に発表した世界的大ヒットソングですね。
ポール・マッカートニーが亡くなった母親を想って作った曲らしいのですが、それが明かされたのは2001年のこと。それまでは「自分の元を去っていった恋人を想った曲」と解釈されていたそうなので、映画公開時の1984年の解釈もこちらでしょう。

で、私が気付いた限りですがワンスでは2回BGMに使われています。
1回目は、35年ぶりにNYへ戻ってきたヌードルスが駅に佇んでいる場面。
そして2回目は、最後の最後にマックスと決別する場面。

1回目の使われ方は、「時の流れ」を印象付ける意味が強かった印象です。
1933年のあの日、街から旅立ったヌードルスはもう過去のこと(=Yesterday)である。そしてこの映画は過去と現在(1968年)を描く物語である、という映画の導入的に使われたのかなと思います。

それに対して、2回目の使われ方は…正直しんどい!!(だがそこが良い!!)
「アマポーラ」の項で、ワンスは「思い出」や「喪失」が大きなテーマになっていると書きましたが、それが一番如実に表れているのがこの場面ではないかなぁ…。

物語の終盤、ヌードルスは自分が殺してしまったと思っていたマックスが実は生きていたこと。彼に裏切られ、金だけでなく愛するデボラまで奪われていたことを知ります。そして「お前を裏切った俺に復讐しろ。俺を殺せ」とマックスに迫られて逡巡する。
しかしその瞬間、彼の脳裏には少年時代のマックスとの幸せな思い出がよみがえってくる。遠く失われた、もう二度と戻らない大切な時間。
ヌードルスがそんな記憶の淵から戻ってきた瞬間、「Yesterday」がBGMで流れ始める…。


Why she had to go I don't know she wouldn't say
I said something wrong,now I long for yesterday
(彼女は何故離れて行ってしまったんだろう?僕には分からないし、彼女も言わないだろう。
 僕が何かまずいことを言ってしまったのかな。今、僕は昨日に焦がれている)


↑まさに「Yesterday」の歌詞の心境だと思うんですよ、この時のヌードルス。
マックスが何故ヌードルスを裏切ったのか。それはマックスの口からハッキリとは語られません。
それでも、いつしか生まれたヌードルスとの心の溝がこんな結末を招いたことは、これまでの彼らを見ていれば分かる。
そして、ヌードルスが「戻れるものなら、無邪気に笑い合った少年時代に戻りたい」と願っているであろうことも。

青年だった1933年にも、年老いた1968年にも、過ぎ去った幸福なひと時に焦がれていたのがヌードルス。
「Yesterday」はそんな彼の人となりを、非常に上手く表した一曲だと思います。
彼にとって「自分の元を去っていった恋人」とは、マックスと過ごしたかけがえのない少年時代だったのではないでしょうか。


④「Night and day」…マックスにとってのヌードルス

最後はこちら、「Night and day」。1932年にコール・ポーターが発表した大ヒット曲です。
この曲も気付いた限りでは2回劇中で使われています。
1回目は、ヌードルスとマックスがバカンスで訪れたフロリダのビーチの場面
2回目は、終盤でヌードルスがベイリー長官ことマックスの屋敷を訪れる場面

これはねぇ…解釈で悩みましたが、マックスからヌードルスへのラブコールなのかなと思っています。
改めて別の記事で触れたいと思いますが、マックスとヌードルスの関係って両片思いだと思うんですよね。
彼らの想いは恋愛的なLOVEではないと思いますが(少なくともヌードルスはそう。マックスは…分からん)、親友として心から愛し合っている。
でもお互いの見つめている方向が違うので、どうしてもすれ違ってしまうという。

そういう前提で、まず1回目のビーチの場面から考えてみます。
フロリダに来る直前、ヌードルスとマックスは仕事の方向性の違いから喧嘩をします。そして「もう話しても無駄だ」とばかりに出て行ったヌードルスを、マックスが慌てて追いかけて「考え直した」というようなことを伝え、仲直りの証としてて二人(+それぞれの恋人)でフロリダにやって来る。
でも、マックスの「考え直した」は口先だけで実際はそんなことないんですよね。ヌードルスが離れて行ってしまうのが嫌だから、その場をやり過ごすために出た言葉。そんな感じ。


Night and day under the hide of me,
There's an oh, such a hungry yearning, burning inside of me.
(夜も昼も 心のどこかで あなたを求めてやまない気持ちが燃え盛っている)


↑この歌詞ほど情熱的ではなかった…かもしれませんが、マックスは少年の頃から、大人になってもずっとヌードルスを必要としていたと思います。ヌードルスにとってデボラが心の支えだったように、マックスにとっての心の支えがヌードルスだったんじゃないかな。これは理屈云々ではなく、純粋にマックスはヌードルスが大好きで、彼と生涯の友でいたかったんでしょう。
だからマックスは、ヌードルスとの関係が上手くいかなくなっていることに悩み、この先も関係を続けていくための道を模索していた。そんな心情が「Night and day」に表されてるのではないかな、と思います。

そして2回目にこの曲が使われるのが、ベイリー長官邸の入口にヌードルスが立つ場面なんですよねぇ…。
この時ベイリー邸ではパーティーが開かれているので、「Night and day」はパーティー会場のBGMとして使われているのかなと思ったのですが…入口でそれが流れているってのが、さぁ…!!
入口って来訪者を迎える場所じゃないですか。そしてこの日マックスが一番会いたかった人はヌードルスじゃないですか…。
もーホント、マックスそういうとこな!?
結局、ヌードルスを手ひどく裏切っても、マックスがヌードルスを求める気持ちはずっと燃え続けてたんだろうと思うんです。じゃなきゃ息子にヌードルスと同じ名前をつけたり、ヌードルスの名前で自分の墓を作ったりしないだろうと思うので。


And its torment won't be through
'Til you let me spend my life making love to you,
Day and night, night and day.
(そしてこの苦しみが止まることはない 
 あなたと生涯愛し合えるようになるまでは 夜も昼も 昼も夜も)


先ほどの歌詞の続きです。
マックスがヌードルスを求める想いは恋にも似た苦しみを伴った。そしてその苦しみは今も続いている。35年間、変わることなく。
そんなマックスの心の内がこの曲に込められているのではないかな、と私は考えております。

あ、「じゃあ何でマックスはヌードルスを裏切ったんだ?」という点についての解釈は長くなるのでまた改めて!


⑤おまけ

4曲だけ紹介と思ったけど、他の曲のことも調べたので折角だからちょこっと書き残しておきます(笑)

●「泥棒かささぎ 序曲」

映画中盤、赤ちゃん取り換え事件の場面で流れる曲。ロッシーニ作のオペラ「泥棒かささぎ」の序曲です。
暴力的な描写が多いこの作品の中で、とてもユーモラスな場面ですよね~。やってることは酷いんだけど、音楽の軽妙さとあいまって悪ガキたちの悪戯みたいに見えてくるという(笑)
台詞の音声も一切入らないので、まさに「音楽にストーリーを語らせる」という使われ方ですね。

「泥棒かささぎ」は、ヒロインが奉公先で銀のスプーンを盗んだと疑われて処刑されかけるんだけど、間一髪で犯人が鳥のカササギだったと分かって無罪放免。最後には恋人とも結ばれてハッピーエンド、という物語。

赤ちゃんを盗むことなく居所を分からなくするというヌードルスたちの犯行内容にも合っているし、これまた巧みな選曲だと思います。


●「Summertime」

ジョージ・ガーシュウィンが1935年にオペラ『ポーギーとベス』のために作曲した超有名なアリア。
これまた映画の終盤、ヌードルスとマックスが対峙する場面で使われています。
具体的には、ヌードルスがマックスを殺さないと決め、立ち去る前に最後の言葉をマックスにかける辺り。
この曲についての解釈は自分の中でもまだ固まってないんですが…これ、子守歌なんですよね。


夏になれば暮らしは楽になるよ だから坊や 泣くのはおよし
いつか坊やも大空へ羽ばたいていくだろう
でもその時までは父さんと母さんがお前を守るからね


「Summertime」の歌詞をざっくりまとめると↑な感じ。
そしてヌードルスはこの時、マックスの無事を祈りながら「おやすみ」と言って去っていく。
ヌードルスが心からマックスの無事を祈っていたのか、口先だけの慰めだったのか、はたまた皮肉だったのか。本当の所は分かりません。それでもヌードルスにも、マックスが彼なりに自分との思い出を大切にしていたことは伝わっていた(懐中時計を見た時の表情にそれは表れていると思う)
だからこそ「お互いに辛かった」という言葉が出てきたのかな、と。
 「Summertime」 は35年以上すれ違い、お互いに苦しみ続けた二人の男の魂を慰めるための子守歌であり、鎮魂歌だったのかもしれない。
そんな風に今は考えています。


というわけで、「映画で使用されている楽曲とその意図について」のお話でした。
最後まで読んで下さった方、いらっしゃいましたらどうもありがとうございました~!!
「ここがやばいよ、マックスさん!!」と「のぞさきがヌードルスとマックスを演じるということについて」についてはまた改めて書きたい所存です。

2019年10月22日

花組「A Fairy Tale -青い薔薇の精-」感想

2019年10月20日、花組「A Fairy Tale -青い薔薇の精-/シャルム!」を観劇して参りました!
いやぁ何というか…お芝居もショーも内容的には「ウーン??」と首をひねってしまう点が色々あったんですが、どちらも最後には必死で嗚咽を堪え、肩を震わせながらべっちょべちょに泣いてしまったという(笑)

あー私、明日海りおさんと、彼女が率いる花組が大好きなんだなぁ…と改めて実感した。そんな公演でした。

とりあえず、お芝居の「青薔薇」を書こう~と内容を思い返してみたのですが。
一言で言うと、「超~華やかで美しく、出演者のレベルがめっちゃ高い学芸会」って感じの内容でしたね…!!内容うっっっっっっす!!!!(笑)
植田景子先生が、「みりおさん(明日海りお)を薔薇の精にする」という思いつきだけで作った舞台って感じ??
単純明快(すぎる)筋書きとか、どストレートすぎる(説教臭い)メッセージとか、穴だらけの設定とかとかとか。個人的な印象としては、景子先生が描きたい場面がいくつかあって、その場面と場面をつなぎ合わせて作った話なんだろうなと思いました。なのでつなぎ合わせで作った部分は穴だらけ、みたいな。

お話は「白い薔薇の精・エリュが、かつて出会った人間の少女・シャーロットに【忘却の粉】を振りかけないまま別れてしまったため青い薔薇の精にされてしまった。元の姿に戻るため、精霊が見える人間・ハーヴィーの手を借りてシャーロットを探す」ってだけの内容。
まぁ別に複雑なストーリーである必要はないけど、まず「青い薔薇の精にされる」ことがどれだけ恐ろしいことなのかってのがよく分からない。「エリュだけがどこか違う世界に囚われてしまっている」とかそういう事情があれば元の精霊に戻りたくなるのもまだ分かるけど、別に青くなっても精霊の仲間は常に一緒にいるし。エリュが罪を犯したせいで世界中の薔薇が咲かなくなった、とかそれくらい切羽詰まる事情があってもよかったんじゃない?と思う。
それか、「エリュにとってシャーロットとの思い出がつまった庭を、昔の姿に戻したい」って理由で精霊たちがシャーロットを探すなら分かるんだけど、荒れた庭に薔薇を咲かせたいと思っているのはハーヴィーたち人間側の事情として描かれてしまっている。
もう物語の動機が最初っから弱すぎるんだよな~!!精霊たちは「なんとなく困ってるんで助けて下さい」って感じでハーヴィーを巻き込んでいて、ハーヴィー気の毒だな…と思いながら観ていました。
ハーヴィーの職場に精霊たちがドヤドヤ押しかけてくる場面とか、最初吹き出すかと思ったわ…精霊たち、めっちゃ自由やないかい!!と思ってwww
精霊たちが閉じ込められた「ミスティワールド」とは一体なんだったんだ本当に…ロンドンまでは普通に来られるんやんけ…。

かと思えば、庭師のニックとシャーロットの母・フローレンスの関係や、ラストシーンのエリュとシャーロット&エリュとハーヴィーの会話はきちんと書き込まれている。「あぁ、景子先生はこの場面がやりたかったんだな」という場面と、それ以外の部分の落差が激しすぎるんじゃ~!!
謎の老婆の杖に留まっている小鳥が動いたりとか、探偵の場面でわざわざ「ベイカー街」って壁に住所を貼り付けたりとか、そういう細かいこだわりよりストーリーにもう少しこだわっておくれよ~!!??って感じでしたねぇ…小鳥はかわいかったけどさ。

ただ、舞台美術やお衣装、そして音楽はとっても美しかったし素晴らしかったです!!
ウィングフィールドの薔薇園の場面や、ロンドンの雑踏、ヴィッカーズ社のオフィス。
どれも19世紀末英国!という雰囲気がとてもよく出ていて、ヴィクトリア朝時代の英国好きとしてはも~たまりませんでした…そしてお衣装!!これがまた最高!!フロックコートとバッスルドレスを愛してやまないオタクなので、「Time is Money」の場面は大興奮でした!!ありがとう、ありがとう衣装の有村先生と衣装部の方々!!!
あと音楽もとっても素敵でしたね~。どの曲も旋律やハーモニーがとっても美しく、ちょっとセンチメンタルでぐっときました。
ストーリー的には「ウーン…」でも、視覚・聴覚的に楽しめる舞台だったのはとてもありがたかったです。

正直、素晴らしい芝居心と演技力をお持ちの明日海りお様の退団作としては勿体なさすぎる脚本でしたが…景子先生の「ハンナのお花屋さん」はすごく良かったのに、大事な大事な作品でどうしてこうなっちゃったのか悔やまれますが…でも主要人物の誰かが死んで悲しく終わる、とかよりは良かったかな。ラストシーンの美しさに少しは救われたような気持ちです。
さて、以下はキャスト別感想~。


☆エリュ@明日海りお

こ、こんなペラッペラなお役なのに何て素敵なお芝居をされるんだろう…;;;;;と色んな意味で泣けました。
みりおさんのあの美貌、そしてストイックすぎるほどの舞台への探求心と気高さ。「薔薇の精」というファンタジーな設定がしっくりきてしまうのも納得なのに、脚本の内容が薄すぎて…やっぱり勿体なかったなぁぁ…。
みりおさんが長年磨かれてきたスーツや燕尾服での男役芸はショーで堪能できたから、「薔薇の精」って役柄についてはまぁよしとするにしてもだよ。トップスターで!!それも大事な大事な退団公演なのに!!!ただ舞台に立っているだけ、みたいな場面が多いのはどーーーなのケイコ!!!!!先生!!!!!
まぁそんな立ち姿一つとってもお美しいし、歩いているだけでも本当にお美しいなぁ、優雅だなぁ…と惚れ惚れしましたけども。でもやっぱりみりおさんが宝塚の男役として舞台に立つ最後の作品なのだから、もっと深みのあるお芝居が観たかったなぁというのが正直なところです。

と、脚本への不満たらたらで観劇していたのに、最後の最後でハーヴィーに「君なら、この庭に素晴らしい花を咲かせられる、必ず」と話す台詞でべっちょべちょに泣いてしまったという…うう、あんな台詞ずるいよ~;;;;;
あの一言の台詞のためにここまでの90分があったんだろうな~と思うと何とも言えませんが、観られて良かったなとも思います。

みりおさん、今まで沢山のときめきと感動を舞台から客席へ届けて下さって本当に、本当にありがとうございました。
初めて「エリザベート」であなた様の姿を観た時の衝撃と感動。思えば、今の私のヅカオタライフはあの舞台から始まりました。
そして「ポーの一族」…幕が上がり、センターに背中を向けて立っていたエドガーの姿。背中を向けて立っている、それだけで鳥肌が立ったあの感覚。そして歩いている姿を見て胸がいっぱいになり、涙が溢れたあの感動は一生忘れないし、永遠に私の宝物です。
出会いに心からの感謝を。
大千秋楽のその日まで、輝きを増し続けるみりおさんを応援しております!!


☆シャーロット@華優希

可愛かった!!
トップ娘役お披露目作品で少女から老婆まで演じるって中々ハードでは…と思いましたが、どの時代もきちんと演じ分けできていたと思うし、お婆さんになってからエリュと再会する場面は泣けました;;;
なにしろ台詞が良かった…「心の奥にあなたがいたから、生きてこられた」という台詞はみりおファンの心の代弁になっていたと思うし、こんなに深い声も出せる方だったんだなぁと驚きました。
お衣装も可愛かったな~…白いバッスルドレスはとっても綺麗だったし、少女時代の花柄ドレスも、喪服の黒いドレスも可愛かった…途中で下着姿になるところはびっくりしたけど、あの時代の下着にも萌えるオタクとしてはドロワーズが見られて嬉しかったですね!!

ダンスと歌はお世辞にも上手いとは言えないし、何かと叩かれがちな娘役さんではありますが…彼女のお芝居は好きなので、これからも頑張ってほしいなと思います。


☆ハーヴィー@柚香光

すっげーー普通の人だ!!とびっくりするくらい普通の人を演じているれいちゃん(柚香光)が新鮮でした…!!
いや、直近で観てるのが花男の道明寺とCASANOVAのコンデュルメルで、どっちも濃かったから…(笑)
でもこういう普通の人って派手なビジュアルや勢いでは誤魔化しが効かない分、役者としての力量が試される役でもあるのかなと思います。
そしてそんな役を、丁寧に、温かく演じているれいちゃんの姿に胸が熱くなりました…素敵な男役さんになられたなぁ~;;;;

しかしニックおじさんのマイティ(水美舞斗)とも絡むかと思っていたら、台詞での回想だけだったのはちょっと残念だったな…れいまいで甥っ子とおじさんとか萌えるな~!と思っていたので(笑)
でもみりおさんとのデュエット曲は素敵だったし、最後の握手のシーンはすごくすごく良かったし。青いフロックコートの衣装もとても良く似合っていて素敵でした!!れいちゃんには青がよく似合うな~。いや、赤も黒も似合いますけど、何たって元がよろしいから…。

みりおさんから花組を引き継いで、れいちゃんがどんな素敵な花を咲かせるのか。
これからも見守っていけたらいいなと思います。


☆ヴィッカーズ社長@瀬戸かずや

あきら(瀬戸かずや)のおひげ×フロックコートは最!!!高!!!だな!!!!!!と改めて思いました。
いやホント、スーツも似合うけどフロックコートも滅茶苦茶似合う~;;;ほんとイケオジあきらのビジュアル、最高にカッコ良くて大好きです;;;;
やり手社長って役柄も似合いすぎて「わ、分かるwww」感満載でしたが、もっと嫌味な人間に描かれているのかと思ったらそうでもなくてちょっとびっくりでした。設定を確認したら父親から事業を引き継いだ2代目社長だそうで、そういうプレッシャーもあって仕事人間になってるって感じなのね。なるほど。
「Time is Money」の場面はとにかく華やかだし、曲も素敵だったし、フロックコート祭で滅茶苦茶楽しかったです!!
しかしヴィッカーズ社の社員、若いイケメンだらけで社長は顔で雇ってんのか!?て思っちゃった…www目の保養だったのでいいんですけどね!!


☆ニック@水美舞斗

庭師役だったので衣装は地味だったものの、素朴で温かな雰囲気がとっても良かったです!!マイティの爽やかな笑顔がとっても眩しかった…!!
雇い主の奥方に叶わぬ想いを抱いている…というちょっと切ない役でしたが、その奥方・フローレンス役の城妃美伶ちゃんとのお芝居が凄く良かったです。つい差し出しかけた手が届かないのがさ~切なくてさ~!!短い場面だけど、あの何とも切ない表情やお芝居があったからこそ、ニックの想いがハーヴィーに受け継がれていったんだろうなと。
フローレンスが描いた絵を、生涯宝物にしていたっていう話も素敵だったな~。
あ、あと薔薇をエア剪定(笑)している姿も良かったです!庭師の動きをすごく研究されたんだろうなぁ…めっちゃカッコ良くてたくましい背中でした。惚れる。


☆フローレンス@城妃美伶

とっても美しくて気品あふれる奥方様であらせられました;;;;
作品の中で彼女は「幸福の象徴」だったのかなぁ…穏やかで、優しくて、笑顔が似合う女性。そんな素敵な女性をしろきみちゃん(城妃美伶)がとても魅力的に演じていて凄く良かったです!!
彼女も本当はニックに惹かれていたのか、それとも深い信頼があっただけなのか…つい深読みしたくなるような、ニックとの関係性も素敵でした。
お花のついた白い帽子と、淡い紫のドレスも似合っていて綺麗だったなぁ………エーーーーン退団寂しいよぉぉ;;;;;
しろきみちゃんのお芝居も歌もダンスも全部大好き…なので退団はとてもとても寂しいけど、最後のお役が素敵な役で良かった…!!しろきみちゃんが美しい花娘として舞台に咲き誇る姿が見られて幸せです!!寂しいけど、最後まで応援し続けます…エーン…!!


最後に、印象に残った方々を箇条書きにて~。

●羽立光来氏の存在感がやっぱりびっくすぎるwww演じているのはコッテコテの成金男って感じなんですが、あのクルンとまるまった前髪がソーキュートすぎました!葉巻がまたよく似合ってて良かったし、最後の妖精姿とのギャップがまた最高でしたwww

●役名の「Misterious Lady」ってなんやねん…と思っていた乙羽映見ちゃん、ピノキオのブルー・フェアリーみたいでとっても素敵でした!!ドレスも綺麗だったし、歌声が本当~に素敵で;;;退団されてしまうのが惜しまれますが、美しい歌声を本当にありがとうございました!!

●帆純まひろくんの出番が多くて嬉しかった!!ハーヴィーのれいちゃんとずっと一緒にいるし、にこにこ見守ってしまいましたわフフフwww

●ドレスがめっちゃくちゃ好みで目で追ってしまった方がいたんですが、お顔を確認したら春妃うららちゃんで「ドレスだけじゃなくてお顔まで可愛い!!」と心臓撃ち抜かれました…青いドレスがとっても似合ってて素敵だったし、こんな奥さん私も欲しいってなったわ…。

●9歳のシャーロットを演じた都姫ここちゃんがやっぱり滅茶苦茶可愛い…花男の時にめっちゃ可愛い子だなと思ったけど、改めて見ても可愛い…花組は私好みの娘役さんが多いので今後も楽しみです(笑)

2019年10月19日

雪組全ツ「はばたけ黄金の翼よ」感想

2019年10月14日、雪組全ツ「はばたけ黄金の翼よ/Music Revolution!」の川崎公演を観劇して参りました!
私は「はばたけ」の過去公演も原作も全く知らなかったので、演目発表になった時のざわめきっぷりに「そんな有名作なの!?」とびっくりしたんですが…麻実れいさん退団作の再演として話題になったのもあるけど、

●主人公が2番手男役に鞭で打たれるシーンがある(しかも鞭で打つ理由が、主人公への愛をこじらせた故っていう)
●当時トップ娘役が不在だったので、ヒロインに若手男役が抜擢された

の2点で特にざわめいていた印象。ま、そりゃ~ざわつくわな!特に鞭!!(笑)
というわけで私も「誰がだいもん(望海風斗)を鞭で打つのかな~!?」と2番手キャラ・ファルコの配役を楽しみにしていたし、あーさ(朝美絢)に決まった時は「ウェェェェェェイ!!!!こじらせあーさ!!!!超楽しみ~!!!!!!!」と太鼓(エア)をドンドコ打ち鳴らして踊り狂う勢いで喜んだものです。
が。

…ファルコ、鞭打たないやんけ……(ショボン…)

問題のシーン、小柳先生演出で変更になっていたようで…なんてこった!!
あの美しい瞳に狂気を宿らせ、鞭を振るうあーさをめっっっっちゃくちゃ楽しみにしてたのに!!!!!!(笑)

でもまぁ全体的にはとても良かったです。王道ラブストーリーなだいきほがやっと観れた!!という多幸感がすごい…ここまで長かったよねぇ…。「20世紀号に乗って」もハッピーエンドだったけど、あれは映像に残らない作品だったし。
改めて、だいきほハッピーエンドおめでとうございます…!!「末永く幸せに暮らしました」で終われるだいきほは!ここにあった!!

女性キャラの人物関係が私には若干複雑だったものの(「●●の妹」とか「▲▲の娘」とかの説明に頭がこんがらがった…)、大筋は長年敵対している王族の王様とお姫様が政略結婚して、最初はいがみ合うものの段々と惹かれ合っていき…という「ザ☆少女漫画」な王道ストーリー。
しかも舞台が中世ってことでコッテコテなコスチュームプレイものかと思っていたら、そこはさすが小柳先生でした。中世のクラシカルでゴージャスな世界観は活かしつつも、お芝居のテンポや演出は現代的で、とても観やすかったです。
まぁストーリー後半~終盤のジュリオとビアンカには「それでいいんか!?」と若干モヤっとしたけど…時代のせいということにしておこう…。

ゴージャスな衣装や世界観は「これぞ宝塚」な雰囲気が味わえるし、ストーリーも少女漫画的な胸キュンポイントが多い。そして書き下ろしの新曲もあるから、だいきほのすんばらしい歌も楽しめる…と、「全国ツアーで初めて宝塚を観る方」にはうってつけなお芝居だったのではないかと思います。まぁその、チケット難すぎて初めての方でも観られる公演になってたのかは正直よく分からないんですけど…。
でもこの公演でまた全国に宝塚ファンが増えて、その中から未来のスターが生まれたら素敵ですね!
さてさて、以下はキャストごとの感想です。


☆ヴィットリオ@望海風斗

か~~~~~~~~っこいい!!!!!!!(ズキュウゥゥゥゥン!!)
ビジュアルは最初「うーん、微妙…」と思ってたんですが、中身があまりにかっこ良かったので最終的にはだいもんのヴィットリオ様にメロメロになりました…「カリオストロ(「ルパン3世」の時の)再びかな?」くらいに思っててどうもすみませんでした…。
冷酷で、自国の利益しか考えていない権力者。でもヒロインとの出会いで段々変わっていき…って役どころがまぁハマることハマること!俺様だけどピュアなだいもんが最っっっ高でした!!

好きな場面も沢山あったなぁ…クラリーチェに「この国で一番の剣の使い手を教師につけよう」と告げて呼び出して、教師として自分が行っちゃうところとか(「この国で一番の剣の使い手と言えば俺のことだ」というのがまた気障で俺様で最高~!!)
クラリーチェの命を救うために自ら剣を捨てて捕らえられ、牢に繋がれて鞭で打たれる場面とか(鞭を打つのがファルコではなくなったけど、鞭打ちの場面はあって良かった!美しいお方が鞭で打たれ苦しむ姿の背徳感よ…っか~!!たまらんばい!!)
そしてラストシーンの、旅立とうとするクラリーチェを無理に引き留めようとせず、「また戻ってくればいい」と言って背中を見せるところ!!最高!!台詞はうろ覚えなんですけど、ヴィットリオがクラリーチェの自由な魂を愛していること。無理に引き留めても彼女の心は自分のものにならないと思っていること。それでも最後には自分の隣にいて欲しいと願っていること…そういう様々な思いが伝わってきて、「キュン☆」を通り越して「ギュンッ!!!!!」と体がねじ切れる勢いで萌えました…あ、あんなに自信満々な俺様暴君だったくせして~!あーんな寂しげな背中を見せられたら堪らなくなっちゃうよ!!好きです!!!
なんだろう、まとめるとツンデレ暴君キャラ?あの望海風斗様のツンデレ暴君って最高じゃない??イエス、最高です!!(確信)

…しかしあの、あまりにも胸キュン展開が凄くてですね…お芝居を観ながら「私、夢小説を読んでいるのか?それか乙女ゲーをプレイしてるんだろうか…??」て感覚になりました(笑)
自分に刃向かってきたクラリーチェに「面白い女だ」と興味を示したり、「本当は最初に出会った時から惹かれていた」って告白したり…この辺がオリジナル脚本通りかは存じ上げないのですが、さすが乙女ゲー要素を宝塚に取り入れた小柳先生だな…と思ったのでしたw


☆クラリーチェ@真彩希帆

わ、私が観たかったきいちゃん(真彩希帆)の姿がここにある…!!!!!
と観劇中、思わずガッツポーズしそうになりました…私はですね、ずーーーーっと剣を振り回して戦うきいちゃんが観たかったんです!!あ、勿論ヒロインとしてね!!

ちょっと「はばたけ」の感想からずれますが、私はだいきほで「エル・アルコン」を観たいなとお披露目の頃から思ってまして。というのも、だいもんの「女は抱かれていればいい」という悪い男な台詞が聞きたくて堪らなかったのと、戦うヒロインとしてドレス姿で剣を振るうきいちゃんが観たかったからなんですが…もう叶わぬ夢だろうな、と諦めておりました。
でもその夢にとても近いものが!「はばたけ」で観られたんです!!しかも「エル・アルコン」とは違うハッピーエンドで!!!ううう嬉じい~;;;;;

きいちゃん演じるクラリーチェは、中世のお姫様でありながら「自分の生きる道は自分で決めたい」というとても現代的な感覚を持った女性。
ヴィットリオのために長い髪を切り、彼を救うために困難へ挑んでいく強さがある一方で、親の仇である男に惹かれていく自分に戸惑う少女らしい一面もあり…そんなヒロインをとても魅力的に演じていたと思います。
序盤でヴィットリオを「マントヒヒ!醜い豚!!」とののしるところはとっても可愛かったし、剣の稽古を受けるところも可愛かったし、髪を切って少年のふりをするところも可愛かったし、最後は自分の心に素直になってヴィットリオの背中に抱き着くところも可愛かった…つまり全部可愛かった…。きいちゃんがこんなにヒロインらしいヒロインを演じてくれて、あたしゃ嬉しいよ…。

歌声も相変わらずの美しさで…だいもんとのデュエット曲は新曲ですよね?
青木先生の素敵なメロディーとだいきほのデュエットも堪能できて、大満足でした!!


☆ファルコ@朝美絢

登場してきた瞬間、「美ーーーー!!!圧倒的に美ーーーー!!!!!美は!!!正義!!!!」と心の中で叫んでしまうくらい、めっちゃ美しくてかっこよくてヤバくて最高でした…ホント最高でした…(大事なことなので2回言いました)
プラチナブロンドのストレートロングヘアがとんでもなく似合っていたし、中世の華やかな衣装がまた似合うのなんの…!!あの黒地に金の装飾を施した騎士姿(?)が最っ高~~にカッコ良かった…何回でも言うけど本当~~~にカッコ良かった…。

「ひかりふる路」のサン=ジュスト、「壬生義士伝」の斎藤一、そして「はばたけ黄金の翼よ」のファルコ。
こんなに「滅茶苦茶顔が良いけど中身がやべー奴」がハマるあーさは本当に素晴らしいと!!思います!!!(誉めてます!!)
どれも私の萌えツボをざっくざく刺してくるから、観れば観るほど好きになってしまうよ~!!しかもどんどん上手くなってる&輝きが増し増しになってるんだよ~!!マジ勘弁してほしい…好きです!!!!!

ファルコはこじらせキャラとは聞いてたんですが、あーさの美しいお顔×ファルコのヤンデレキャラって組み合わせがもう強すぎてですね…。
ヴィットリオを心配するあまりクラリーチェを亡き者にしようとしたり、その件で国外追放されたら可愛さ余って憎さ百倍とばかりに敵国側に寝返って見たり、でもやっぱりヴィットリオを憎み切れずにクラリーチェ共々命を助けたり…ちょっと(?)やり過ぎな面もあるけど、本当にヴィットリオを大切に思っていたんだろうなと思うと、彼の辿った運命って切なくもあります。あんなにねぇ「♪ヴィットリオのために~」て歌ってたのにねぇ…。
でもその的外れな愛情と、報われずに堕ちていくところがまたいいんだよな~~~!!!!!!!

それだけに、こじらせすぎてヴィットリオを鞭で打つ場面が変更になってしまったのはやっぱり残念だな…ただ鞭で拷問するってだけなら他の作品でも見ることあるけど、こじらせた愛ゆえってのは中々ないだろうからなぁ~。うーん、観てみたかった!

あとこれはショーも含めてだけど、あーさがトップスターの主演作で二番手男役を務めていたことがとてもとても嬉しかった…!!今後ますますのご活躍を楽しみにしている身としては、この公演の評判が人事に結びつきますようにと祈るばかりでございます…はぁ…。
とりあえずファーストフォトブック、予約しまぁす…!


☆ジュリオ@永久輝せあ

「はばたけ」に不満があるとすれば、ジュリオが今一つよく分からないキャラだったってことかな…善人なのか悪人なのか、有能なのか無能なのか、最後までどーにも分からなかった。
序盤でビアンカと話している時は、妹・クラリーチェを敵国に嫁がせることに抵抗を感じていて、その姿に嘘はなさそうに見えてたんですけど。
その一方でヴィットリオを陥れるために兵を蓄えたり、ファルコを仲間に引き入れたり、ついにはクラリーチェを利用してヴィットリオを捕らえたり…。裏で手を引くグリエルモ伯爵の存在があるにしても、クラリーチェを心配して胸を痛めていたジュリオはどこにいっちゃったんだ??って感じでした。
婚約者のビアンカのことも大切にしていたはずなのに、ヴィットリオを罠にハメるために彼の寝所へ向かわせることを了承したり…うーん、時代背景的に女性が犠牲になることはあっただろうけど、それにしたってビアンカは可哀想だったし、最後に2人が結ばれる前にちゃんとフォローをしてあげてほしかったなぁ。

でもひとこちゃん(永久輝せあ)自身は衣装もよく似合っていてカッコ良かったし(羽根つき帽がめっちゃ似合ってた!)ビアンカ役の彩みちるちゃんと結ばれる姿が見られたのも嬉しかった!!
この公演で雪組の王子様姿も見納めか…と思うとやっぱり寂しいけれど、ひとこちゃんが花組でどんなスターになっていくのかも楽しみです!!頑張って欲しい~!!


☆ロドミア@朝月希和

だいもんに届かぬ想いを抱いているひらめちゃん(朝月希和)って役どころが新鮮だな…!!と最初驚きましたが、とっても良かったです!!
キャラクターとしては結構過激な行動に走ったりもしていたけど、それも全てヴィットリオへの愛ゆえ…と書いててファルコを思いだし、そういえばこの2人兄妹だった!!なるほど、兄も妹もヴィットリオをこじらせている「こじらせ兄妹」だったんだな!!と妙に納得した次第です(笑)
いやでもホント…血は争えない感が凄いというか、愛憎のふり幅が兄も妹も激しすぎるというか…この2人の親って、いったいどんな親なんだ???(笑)

それはさておき、ロドミアが酒場で歌う場面はひらめちゃんの歌声と妖艶な雰囲気がとても素敵だったし、最後にヴィットリオを守るために自ら毒を飲んだところは切ないけどかっこ良かった…;;;残念ながらロドミアの恋は実らなかったけど、ヴィットリオに彼女の愛がちゃんと届いたのは良かったねぇ…。

お芝居も歌もダンスもできるひらめちゃんがいなくなってしまう穴は大きいな…と改めてションボリしていますが、花組に戻られたら「マスカレード・ホテル」でヒロインですしね!応援するっきゃないや…!!(でもやっぱり寂しいよ~エーン…!!)


☆ジーノ@彩海せら

可愛い。
前から思っていたし知っていたけど、あみくん(彩海せら)は可愛い。ジーノの末っ子キャラ的な可愛さがあみくんに合っていてとても良かったし、ロドミアに憧れつつも全然相手にされないところも可愛かった!!
男役スターとしては可愛すぎたり、「少年」てイメージがつきすぎるのってあんまりよくないのかな?分からないけど、学年を重ねると段々大人っぽくはなっていくと思うので、今のうちにあみくんの少年役を沢山見ておきたい。そんな気持ちでいっぱいです。
あみくんも何でもできるタイプだから、将来は素敵な男役スターになるだろうなぁ…と思いつつも、今は少年役を!私は!!見たい!!

そして「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」ではドミニクを演じてくれるといいなと願っています!!(欲望に素直)


と、また大分長くなったのであとは簡単に~。

●久城あす君のグリエルモ伯爵もすごく良かった~!!あす君は悪役を演じても上手いんだなぁ…出番も多くて嬉しかったです!

●叶ゆうり氏が一瞬めっちゃかっこいい姿で登場するのにすぐ引っ込んでしまい、次の場面では酒場の主人の姿で出てきたもんだから「あの叶ゆうり氏は幻だったの…?」と思いました。プログラム確認したら幻じゃなかった、良かった!ボルツァーノ兵姿の叶ゆうり氏、もっとゆっくり拝みたかったわぁ…。

●舞踏会の場面で、有栖妃華ちゃんが歌手として出てきたのすごく嬉しかった~!!素敵な歌声をありがとう、ありすちゃん!!

●にわさん(奏乃はると)の教皇様、お供が二人いて何だか水戸黄門みたいだな…と思って観ていたんですが。ヴィットリオとジュリオの決闘シーンで、追い詰められたグリエルモ伯爵が「教皇も殺してしまえば問題にならない!」と言い始めたところで「水戸黄門で悪役が逆切れする時のパターンだ!!」と改めて思いました(すっごいどうでもいい感想だなと思ったけど書いておきたかった)

ショーの感想も書けたら書きたいな…大劇場版と大体同じ構成だったけど、印象はかなり変わったので。

2019年10月14日

雪組「ハリウッド・ゴシップ」キャスト別感想

※作品全体の感想は前記事に書いております。

☆コンラッド・ウォーカー@彩風咲奈

まずはさきちゃん(彩風咲奈)、KAAT芸術劇場での主演おめでとうございます!!!!!!!!
あの「ドン・ジュアン」を上演した劇場に、さきちゃんが主演として戻ってきて下さったこと、改めて嬉しいしおめでたいな~と噛み締めております…じわ~~…。

演じたコンラッド君はまぁ…脚本的に後半がちょっと残念だったものの、前半はとにかく!最高に!!カッコ良かった!!!第1幕は本当にありがとうね田淵先生!!!!!
冒頭の吹替え用エキストラダンサーとして登場する場面でマタドール役っていう設定もさ、「分かってる~!!田淵先生分かってる~!!」とオペラを持っていない方の手で拳握りしめちゃったもんね…マタドール咲奈最高にかっこいいしセクシーだし足が長い;;;;;帽子を投げて女たちを侍らす辺りとか、「SUPER VOYAGER!!」を思いだして「ウヘェ~!!」っていきなりひっくり返るかと思ったわ…。
あ、そういえばこの場面で監督に「吹替えだからどうせ後ろ姿しか使わない」と言われたり、プロデューサー室でアマンダに「あんたは黙ってて!」と言われて「はい!」て脇に下がったりするところ、「20世紀号に乗って」のブルースちゃんを思いだしてめっちゃツボりましたwwwブルースちゃんと言えば後頭部だし、大物女優に怒られてヒュンッとなるところでもホントそのまんまでwww
その後のタンゴレッスンの場面でも「Gato Bonito!!」の曲が使われていたし、あえての演出だとしたら田淵先生やりよるわ…話のまとめ方は今一つだけど(すみません)こういうファンサービスはありがたいです、サンキューな…!

私、男役スターさんが大勢の娘役さんを侍らす(笑)場面がとても好きなので、アマンダの最終試験でモテモテなコンラッド君にすっごいニヨニヨしちゃったんですけどw
でも一番印象的、かつグッと来たのは、アマンダさんとの別れの場面で彼女を抱きしめるところだったんですよねぇ…あの場面、アマンダ役のみとさん(梨花ますみ)の熱演が素晴らしかったし、それを静かに受け止めて別れを告げるさきちゃんのお芝居も凄く良かったな~…前半のビジュアル的なカッコ良さとは違う、コンラッドの男としてのカッコ良さはあの場面に凝縮されていたように思う(この作品の本当のヒロインはエステラではなく、アマンダだったのでは??とも思う)

最後のエステラとくっつくシーンはまぁ、ストーリー的には「???」だったし、飲食店のカウンターに乗って踊ったらダメでしょ!?とは思うものの(笑)明るく楽しくハッピーに終わってくれたので良かったです!!ダイナーの女主人、きゃび様(早花まこ)とのダンスも素敵だったしw
イケコ先生~!!ハリゴシは最後にお亡くなりになったりしないハッピーエンドでしたよ~!!!!!(「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」の制作発表会ネタ)

あ、あとそうだフィナーレ!!!あれさー!!なんなの!!??あんなに全力でこの世の女全てを撃ち落としに来る彩風咲奈が見られるなんて思ってなかったんですけど!!!????好きです!!!!!!!!!!
黒燕尾群舞も最高にカッコ良かったし、娘役さんたちとのダンスも滅茶滅茶カッコ良かったけど…デュエダン…すごい振付だった…何アレ…ウィンクにバキューンに…他にも何かやってらっしゃいましたよね??(あまりのことに記憶が飛んでる)
相手役のかのちゃん(潤花)が最初「ひゃ!」てなってしまったってのも分かるわ~…あんな男役の必殺技(?)を「超ウルトラスターマイン☆尺玉1万発!!」みたいな勢いで次々やられたらそりゃ「ひゃ!」てなるわ~…しかも至近距離でだもんね…頑張った、頑張ったぞかのちゃん…。

まぁそんなわけで話のオチにはモヤモヤしつつも、さきちゃんの歌もダンスもお芝居もこれでもか!というくらい堪能できた充実の2時間超でした!!観られて良かった!!
色々書いたけど、前の主演作「CAPTAIN NEMO」だからな…謎のモールス信号とか謎のマトカとかは出てこない分、良かった…かもしれない(ネモのトンチキっぷりも好きだけどね!)


☆エステラ・バーンズ@潤花

ポスターの印象で、もっとキッツイ性格のキャラかと思ったらそうでもなくてびっくりした!普通~に可愛いヒロインでした。
かのちゃん(潤花)、「ファントム」の時のメグの演技が印象的だったというか強烈だったというか…ちょっと苦手だったので心配だったんですが、最初から最後まで安定したお芝居で良かった…いや、他のお芝居では普通だから当たり前なんだけどw
しかしかのちゃんな…滅茶苦茶推されてる娘役さんですが…私はどうにもお顔が苦手でしてね…ゴニョゴニョ。
まぁ歌は心配だけどお芝居もダンスもできるし(ついでにスポンサーもついたらしいし?)このまま駆け上がっていくんでしょう。
あ、でも歌も前よりは安心して聴けたかな?高音は弱そうだったのでそこは今後の課題かと思いますが、抜擢されたからには研鑽を重ねてより素敵な娘役さんになっていってほしいなと思います。

しかしエステラのあのドレス、もうちょっと綺麗なラインにならなかったのかなぁ…あの時代のローウェストでクラシカルなドレスやワンピースって好きなんだけど、レースがもたついて見えたのが残念でした。女優になってから着ていたワンピースも、あのたすき掛けみたいな紐?のデザインが謎で気になっちゃって気になっちゃって…。
折角のヒロインなんだからもう少し綺麗なラインのお衣装を着せてあげて欲しかったなぁ…あ、でもウェイトレス姿は良かったです。


☆ジェリー・クロフォード@彩凪翔

前半の鼻持ちならない大スター!!っぷりが最っっっっっっっっっっっ高だっただけに、後半が……でしたが、それでも翔君は終始カッコ良く、美しく、素敵でした!!
いやでも後半のね、クスリで身を滅ぼしていく辺りは脚本の粗さが残念ではあったものの、翔君の鬼気迫る演技は素晴らしかったな…観ているこちらも、現実と夢の区別がつかなくなる感覚にゾクゾクしました…!
ジェリーはなぁ…設定は良かっただけに、脚本を丁寧に書き込めばもっと良いキャラになったと思うんだよなぁ~。特にアマンダとの関係や、ジェリー自身が抱えるコンプレックスや精神的な弱さが描かれていれば、もっと説得力のある物語になったと思う。勿体ない。
折角さきちゃんとバチバチ火花を散らして熱いお芝居ができるライバル役だったのにさ、前半は「何か嫌な奴」で、後半は「何か可哀想な人」で終わってしまうキャラクターになってしまったのがとても残念…残念だよ田淵先生…ライバルキャラの書き込みって大事なんだよ田淵先生~!!!
最後、生きていてくれたのは安心した…でもあの退場のさせ方はやっぱりな~モヤモヤする~!!

とか思ってたら、フィナーレが死ぬほどカッコ良くて全てのモヤモヤが吹っ飛びました!!!!!!!!
すごい…黒燕尾で背中向けて立っているだけで見ほれるカッコ良さ…田淵先生ありがとう、フィナーレ用意してくれてホントにありがとう!!

でも何であがちん(縣千)と組ませてタンゴ踊らせたの!!!???wwwwww

ナウオンステージを先に見てたから、翔君があがちんと組んで踊るのは知ってたけど…実際見ても「???なんでだ???」てなったわwww
男役同士が黒燕尾姿でタンゴを踊るとか、ぶっちゃけ大!好!物!!ですけど、それでも「????なんでだ????」てなったわwwwww

いや、だって男役同士でタンゴさせるなら、そこはさきちゃんとじゃない!!!!????(笑)

…いや、翔君と実際タンゴ踊ることになったらさきちゃんの身とか心臓とか色々心配ではあるけど(お察し)、でもほんとなんであがちんだったんだろうなぁ…スターとしての格の問題なんかなぁ…いや、あがちんは好きだけど、ホント…素敵だったけど不思議なフィナーレだった…w


☆アマンダ@梨花ますみ

キャスティング発表になった時に、みとさん(梨花ますみ)ってことは思った以上に「往年の」大女優なんだな~とびっくりしたアマンダさん。
でも結果的に、アマンダがみとさんくらい実際に年を重ねられた方だったからこそ、この作品は成立したんだなと思います。
あんまり言うとすみれコード的にもアレかもだけど、みとさんと翔君が恋人関係ってやっぱり無理があって、「アマンダのお金や地位だけが目的なんだろうな」と勘ぐってしまう並びですよね。これがもしアマンダ役が翔君と学年近めの上級生とかだったら、「本当はジェリーはアマンダを愛していたのでは?」とか深読みしてまいそう。なのでこのキャスティングはとても良かったと思います。
そしてアマンダの方は、本当にジェリーを愛していたんだろうな…というのが切ないところ。「自分にはもう若いころのような魅力はない」と頭では分かっていながら、嘘で着飾ってでも輝き続ける女優でいたいというアマンダの女心が、みとさんの熱演で痛いほど伝わってきました。彼女はきっと死ぬまでずっと女優なんだろうなぁ…。
もしかしたら、落下事故で重体になってしまったジェリーを陰でずっと面倒見続けたりするかもね。彼女の復讐劇は苦い結末になってしまったけど、その先に少しでも明るい未来もあればいいなと思います。


☆ピーウィー@真地佑果

あの髪型ずるくない!!!!????

いや~、さきちゃんとタンゴを踊る場面があるのは事前に知っていたし、稽古場風景も見たから大丈夫だと思っていたのに…まさかアフロ執事とは思わなかったから、出てきた瞬間吹き出すかと思った…www
そんなに出番が多いわけでも台詞が多いわけでもないのに、あの出オチ(と言ってすみません)インパクトが物凄くて、しばらく思いだし笑いしてしまってましたwいや、でもさきちゃんとのタンゴ素敵だったよ!!男役姿で女役を踊る真地くんというある意味貴重な瞬間が見られて良かったですw


☆ダイナーの女主人@早花まこ

「クセが強いんじゃ~~!!!!!!」

ときゃび様(早花まこ)が登場する度、頭の中で某芸人のツッコミ声が聞こえました。ホンっと濃かったし面白かったwww
コンラッドの「良いキャラしてる」っていう台詞、さきちゃんのアドリブかと思ったわwww
でもエステラを見守る優しい叔母さんとしての一面もあって、ダイナーの場面はどのシーンも安心感がありました。ダイナーの常連客2人も良い味出してるな~、誰が演じてるんだろ?と思ったら料理に頭突っ込むおじさんがまなはる(真那春人)だったのには驚きました…なるほど納得の安心感…(笑)


☆コンラッドのエキストラ仲間たち@煌羽レオ、眞ノ宮るい、縣千

配役を見た時に「めっちゃ踊れる人たちだ」と思ったお三方、劇中劇でも踊りまくってた!なるほど納得キャスティング~!!
ストーリー的に一番重要なのはカリちゃん(煌羽レオ)演じるマリオで、よくあのジェリーに取り入ったな…と敵ながらアッパレみたいな気持ちです。いやだってあの大スタージェリー様だよ?エキストラ風情の話なんて聞いてくれなさそうなのに、上手くやったな~マリオ!やったことはアレだけど!!カリちゃんのちょっと陰のあるミステリアスな雰囲気がハマっててとても良かったです。
あと特に何をしているわけでもないんだけど、あがちんが何かもう…気になって仕方なくてw私は1回のみの観劇だったので、さきちゃんを中心に観ていたのですが…オペラの視界の中にチラッチラ入り込んでくるあがちんが、常にニッコニコしていて空気読めてなさそうな雰囲気出してるのが何とも面白かったんですよねwwwあがちんて背が高くてスタイルも良いし、顔も整ってて芝居もできてダンスはあのキレなのに…見てると何か面白くなってきちゃうんだよなぁ~(けして悪い意味ではないです)これからも楽しみな男役さんの一人ですw
そして3人の中では一番大人しめというか、良い意味で普通の人って感じのはいちゃん(眞ノ宮るい)!も~癒し。はいちゃんは癒し。カリちゃんもあがちんも何か濃いから、はいちゃんが普通~な感じで舞台上にいてくれたのがとても良かったです。コンラッドも、はいちゃん演じるトーマスと一緒にいると何か落ち着くんじゃないかな。最後にコンラッドと映画を撮ろうって言ったのもトーマスなんじゃないかなって気がする。控えめだけど、はいちゃんがこの中にいてくれて良かったな~と思うエキストラ仲間チームでした。


あと、まなはるとしゅわっち(諏訪さき)の監督&助監督コンビも見ていて楽しかったし、記者たちがいっぱい出てくる場面ではケンジさん(ゆめ真音)をつい探してしまったよ~メガネ姿が可愛かったです!!

雪組「ハリウッド・ゴシップ」全体感想

2019年10月13日、雪組「ハリウッド・ゴシップ」を観劇して参りました!!
いや~…始まる前は(チケットが取れなさ過ぎて)「この公演観られないのでは…」と青ざめておりましたが、まさか始まってからも(超大型台風接近で)「この公演観られないのでは…」と青ざめることになろうとは思いもしませんでした。
私は運良く自宅も被災せず、交通機関の復旧も早かったため無事観劇することができましたが…楽しみにしていたのに観られなかった、という方も沢山いらっしゃったと思います。自然災害なのでどうしようもないことではありますが、もう二度と自然災害による休演が起こらないことを祈ります…。

さて、気を取り直して舞台の感想ですが!

……第1幕は面白かったんだけどなぁ……。

って感じでした!!悪いとまでは言わないけど、うーん…ちょっと期待しすぎてしまったのかもしれない。大筋は良かったけど、細かい部分が色々引っかかってしまって、ストーリーそのものにはそこまで惹かれなかったです。
自分の中で引っかかったのは多分、

●恋愛ドラマとしても成長ドラマとしてもチョット…
●悪役?が中途半端
●結局あのポスターは何だったんや…

ってあたりかな…ってこう書くとすっごいダメな作品みたいだな!?(笑)
うーん、いや、ちゃんと良い点もあったんだよ。さっき書いた通り第1幕は面白かったし、展開も早いからあっという間に終わった!って感じたし。
あとミュージカル映画を撮るって話だったのもあって、歌やダンスシーンが多くて華やかだったのはとても良かった!!フィナーレもすっごく良かったし!!「フィナーレだけ3万回くらい見たいな!!」って思ったもんね!!

でもやっぱり後半がねぇ…「???」だったんだよね~…。

てことでまたダメだし感想になっちゃいそうですが、まぁ自分のために書いてる観劇記録ですし「ハリゴシ凄く面白くて感動した!!」って方は私と感性が合わないんだなってことで一つよろしくお願いします(何を)


●まず「恋愛ドラマとしても成長ドラマとしてもチョット…」って話

この作品の主軸になるのは、主人公・コンラッドとヒロイン・エステラとのロマンスと、コンラッドが無名のエキストラから映画スターへと一気に駆け上っていく栄光と挫折。
なんだけど、まずエステラはいつコンラッドに惚れたんだ?????っていうのが私にはよく分からんかった…。
コンラッドがエステラを気に入ったのは、ダイナーで働いていた理由を聞いたのがきっかけかな?と思ったんだけど、エステラは??
ジェリーに薬物を勧めたのがコンラッドという話を聞いて(実際は違うけど)、軽蔑した感じだったじゃん?
それが何でダイナーで再会してすぐに良い雰囲気になっちゃってんの???
私の記憶がすっ飛んでるのかな~??1回観ただけでは「???何でくっついたんだ、この二人???」で終わっちゃいました。
話の流れとしては、

コンラッドを軽蔑し、ハリウッドに別れを告げたエステラは、ダイナーにやってきたコンラッドと話そうとしない
→コンラッドはそんなエステラに「スターに憧れるあまり、自分を見失っていた。エージェントもやめ、昔のエキストラ仲間とも仲直りして、一からやり直すことにしたんだ」と真摯に話し、ジェリーと薬物の関係についても知っていることをきちんと話す
→コンラッドの真剣な様子を見て、かたくなな態度を少し緩めるエステラ「…それで、今日は何をしにここへ?」と尋ねる。
→「君と、もう一度映画を撮りたいんだ。今度は誰かに仕立て上げられたスターとしてではなく、映画を愛する者同士として」とコンラッド。エステラは少し考え込み「…あなたが真剣に言ってるなら、考えてもいいわ」と返事。大喜びのコンラッドと、満更でもなさそうなエステラ。2人は今後良い関係になりそう…と匂わせて終幕。

くらいの方が自然だったんじゃないかな…んでフィナーレで2人のデュエダンがあれば、「あの2人、上手くいったみたいだな」とニマニマできて良かったんじゃないかな~なんて思ったりしました。
別に話の中で無理やりくっつけなくてもいいと思うんだよねぇ。

とまぁ、恋愛ドラマ的に最後は謎だったんですが、コンラッドの成長ドラマとしても…ウーン、何でだ??って思う部分がちらほら。
コンラッドは映画に登場するヒーローに憧れて映画俳優を志したという設定なのに、スターになった途端に横暴で嫌な奴になっちゃったのが謎で…。アマンダに「常にスターとしての自分を演じろ」とは指導されてたけど、それだったら「常にヒーロー然とした映画スター」を演じる方が自然だと思うんです。
そもそもライバルであるジェリーが正にそういう横暴キャラなんだから、同じ「横暴キャラ」を演じたら自分も敵を作って同じ憂き目に遭うかもしれないじゃん??であれば、ジェリーとは反対に良い人キャラを演じて共演者やスタッフに味方を増やし、ジェリーを追い落とすって方が話としても面白かったんじゃないかと思うんですが、どうでしょ。
「スターだからって好き勝手やると、周りに敵を作って足を引っ張られる」ていう失敗パターンはジェリーが担当するんだから、コンラッドには「良い人を演じて味方を増やしても、やりすぎればメッキが剥がれて全てを失う」とか別の失敗パターンを担当して欲しかったな。で、そこから「虚構の自分を見せようとするのをやめて、本来の自分を見つめ直す」とした方が、「虚構の街ハリウッドを描く」というテーマにも合ってたんじゃないかと。
コンラッドに限らず、キャラクターの設定と行動がきちんと結びついていないと感じたり、行動が突飛に見える人物もいたりと、全体的にキャラ設定の弱さが気になりました。

あ、あとどうでもいいけどこの作品の時代って禁酒法時代だからコンラッドとエステラがお酒で乾杯してるっぽい場面もちょっと気になりました!!(「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」の映画を観たばかりだったもんでw)


●「悪役?が中途半端」って話

第1幕ではジェリーが悪役然としているけど、第2幕ではそのジェリーを追い詰めるさらなる悪が薬物…コカインとなる。
「ってオイ、急だな!?しかも薬物って!?」とコカインの話が出てきた時つい突っ込みそうになったわ!!
たしかに売人をやってたマリオがコンラッドに「良い仕事があるぜ」と紹介しようとしたり、楽屋に戻るジェリーをマリオが追いかけていったりとかそういう描写はあるにはあったけど…第1幕のジェリーを見ていて、クスリに走りそうな雰囲気は感じなかったんだけど???
普段は自信満々な態度を取りながらも、時々妙に不安そうな様子を見せる…とか、第1幕でジェリーのそういう「トップに上り詰めたが故の孤独や不安感」の描写があったらさ、そこまで違和感もなかったと思うけど。伏線張るならもうちょっと丁寧にやってほしかったなぁ…でないと「手っ取り早くスキャンダルになるもの」として薬物が出てきたって軽い印象になっちゃってモヤモヤする…。
それでジェリーがあんな風に追い詰められて、錯乱して転落したまま出番が終わりって…ジェリーが可哀想すぎでしょ…ジェリーはたしかにアマンダを踏み台にして捨てた酷い奴だけど、ジェリーだって!!頑張ってるんだよ…!!!(笑)

あ、あともう一つ悪っぽく?描かれているパパラッチたち。
前半は普通の芸能記者として描かれているのに、後半で急に「スクープのためなら心無いことを言う連中」って描き方になるのに、やっぱり「お、オウ、急だな!?」ってなりました(笑)
薬物にしてもパパラッチにしても、「悪いもの」という世間一般のイメージがあるから使いましたっていう取って付けた感を感じてしまいまして。もう少し要素をしぼって、作品内で「ハリウッドの暗部」を丁寧に描いた方がスッキリして良かったんじゃないかと思います。

あ、あとプロデューサーのハワードも、折角専科のはっちさん(夏美よう)を連れてきたのに、その場のノリと勢いだけでやって来た適当な人物に見えちゃって残念だったな…「古だぬき」なんて揶揄されるくらいだから、もっと狡猾でやり手な部分を見せて欲しかった。


●「結局あのポスターは何だったんや…」て話(笑)

あのポスターの是非は一旦置いといて、あんな印象的なポスターだったら劇中にそういうシーンが登場するんだろうなって思うじゃん?思いません??私は思った…んだけど。

…あんな場面、あったっけ…???

え、ありました?エステラがコンラッドを引っぱたく場面…私、目を開けながら寝てたんだろうか???全然記憶にないんだけど…あるとしたらジェリーに薬物を流していたのがコンラッドだって疑惑をかけられて、エステラが立ち去る場面だよねぇ…うーん?????
まぁポスターはあくまでイメージだけど…エステラがあのポスターと同じくらい怒っていたなら、ダイナーで再会した時にすんなりコンラッドを受け入れてカップルになっちゃうのってやっぱりどーなの!?って思うし。
で、あればあのポスターにした意味とは!?って考えちゃうし…(未だにパーフェクト先行画像を引きずっている)
ポスター撮影時、コンラッド役のさきちゃん(彩風咲奈)もエステラ役のかのちゃん(潤花)も大変だったって話を思いだすにつけ、「田淵ィ…」と思わず西の空へ向かって演出家の名をつぶやき、奥歯をかみしめてしまう私なのであった…。

とまぁつい脚本にダメ出しをしてしまったけど、推しの主演舞台だから厳しい目で見てしまうんだ、すまない…!!
いやでもホントに、前半が面白かっただけになー…後半の失速ぶりが残念でした。
でもミュージカルシーンはどの場面も楽しかったし、オリジナル作品だけあって適材適所なキャスティングも良かったと思います!
てことで、キャスト別の感想も…と思ったけど、長くなったので次の記事にします。