2020年1月19日

雪組「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」キャスト別感想

※作品への感想(という名のダメ出し)はこちらの記事にて

☆ヌードルス@望海風斗

原作映画とのギャップに虚無顔になってしまった(※個人の感想です)ヅカ版ワンスですが、だいもん(望海風斗)の演技・ダンス・歌はやはり最高に素晴らしかったです。
とにかく歌が多い!!ちょっと心配になっちゃうくらい歌いまくってましたが、「ミュージカル」と冠したタイトルにふさわしい心に響く素晴らしい歌声を堪能しまくれたのはありがてぇことでした!!この歌が聴けるだけでも舞台を観に来る甲斐はあるよなぁ…。
きいちゃん(真彩希帆)とのデュエットも複数あったし、お二人の歌声を楽しむには最高の公演だったと思います。

…ただ申し訳ない、私はどーしても自分の中のヌードルス像と全然違うヅカ版ヌードルスに馴染めず!!最後まで違和感ばかりを感じてしまったので、だいもん演じるヌードルスが魅力的な人物とは思えませんでした…悲しい。
だいもんは大好きなんですよ!!
だから観劇していてときめいたり萌えたりする場面も沢山あったんだけど、それはヌードルスというキャラクターに対してではなく、いわば「中の人」であるだいもんへのときめきなんですよね。

やっぱり、ヌードルスを宝塚作品の主役に据えるのは無理があったんじゃないかなぁ…主人公ではあるけれど、なんせ寡黙だし「傍観者」のようなポジションのキャラクターなので。
台詞ではなく、表情や視線、ちょっとした仕草で感情を表現する人物というのは映像作品だからこそ映えるもの。多少大げさに表現しないと感情が伝わりにくい舞台演劇(なおかつスター制度がある宝塚)には、向かないタイプの主人公だったと思います。

ってことで前置き長くなっちゃったけど、「ストーリーはさておき、だいもんのここに萌えたよ!」ってところを!書きますね!!

まずオープニング!も~~~出てきた瞬間からかっこいい!!!
隙なく着こなしたスーツの上にトレンチコートを羽織り、目深にかぶったソフト帽から覗く横顔の美しさと背中のかっこ良さ…たなびく煙草の煙さえもセクシーダイナマイツ…これこれ、これぞ宝塚のギャングだよ~!!!といきなりテンションが爆上がりした瞬間でした!
このオープニングは翔くん(彩凪翔)やあーさ(朝美絢)もギャング姿でクールに踊るので、お芝居というよりはショーのワンシーンのようで楽しかったです。銀橋に雪組が誇るイケメン男役たちがズラーッと並ぶところなんか壮観だし、目が足りない~!!ってなっちゃった!
しかしこの場面もだいもんは「ヌードルス」としてのご出演なんですね。
てっきり「ギャングスター」という概念を演じているのかと思ったよ(だってキャラが違いすg…ンガックック!)

かーらーの少年時代のヌードルス!これがびっくりするくらい可愛いんだまた!!
ぶかぶかの洋服にもっさりした(笑)髪型が本当にお可愛らしくてね~…それに加えて将来の夢を語るキラキラした瞳、デボラとの二人きりの戴冠式と不意打ちのキス…幼い恋人のような関係を初々しく演じるだいきほにはキュンキュンしてしまった場面でしたわ~。

そしてキャストボイス等でも話題になっていた、一幕のラスト…!!
タキシードのタイをほどき、デボラを押し倒したが拒まれ、傷心のあまり真っ赤な薔薇をまき散らし、苦悶の表情を浮かべながらソファで足を組み天を仰ぐ…。

一連の流れのビジュアルが強すぎるんですけど…?????

なんかもう、薔薇を勢いよく引っこ抜いてウワーッ!!とまき散らす姿に圧倒されちゃいました。こんなに激情のままに薔薇をまき散らすのが似合う人を初めて見たかもしれないし、深く傷ついている時のだいもんの演技って最高に萌えるなと改めて実感。
ちなみに原作映画ではこの場面って陰惨な暴力シーンでもあるので、ヅカ版でどう描かれるか凄く気になっていたのですが…(笑)
ヌードルスの中の暴力的な衝動を、薔薇をまき散らすという耽美な表現に置き換えたのは上手いなぁと思いました(しかしあの別れ方なら、デボラのヌードルスへの愛はずっと残っていてもよさそうなのにな~~やっぱり脚本に納得いかんのだよな~…)

そしてそして、最後の壮年期がまた超~~~渋かっこよくてね…!?
若い頃とは違う落ち着いた雰囲気や、挫折を味わった男の孤独や哀愁を漂わせた姿…これ、これですよ!!私が観たかっただいもんのヌードルスは…!!!
ちょっとした仕草からもにじみ出る「男の哀愁」にグッと来たし、もっとそういう面を活かしたヌードルスを見たかったなぁ…。
ナウオンステージでだいもんが「映画のロバート・デニーロのように演じたかったけど、小池先生にもっと感情を出すよう指摘されて~」というようなお話をされていたのを見て、余計にその思いが募っております。私ももっとクールでちょっとニヒルな、渋みのあるだいもんのお姿を観てみたかったよぉ…。

でもスーツやタキシードの着こなしはさすがのかっこ良さだし、歌声も本当に素晴らしかったので、新年早々目と耳が幸福に包まれました!!色々思うところもあったけど、かっこいいだいもんを拝めて良かったです!!
東京公演も楽しみにお待ちしております~!!


☆デボラ@真彩希帆

デボラも映画とは大分違うキャラクターになってましたが、きいちゃんはこういう「一本芯が通った」女性役がとても似合うな~と思いました。
ヌードルスと惹かれ合いながらも、恋より夢を選ぶ。自分の選択を信じて進み、後ろは振り返らない。
何とまぁかっこいい生き様であることよ…でも恋と夢の間で揺れる姿に乙女心もきちんと感じられて、そこはさすが宝塚でしたね。

特にキュンとしたのは少女時代!も~すっごく可愛かったです!!
戴冠式ごっこの時に王冠を待つ横顔がウルトラソーキュートで、そらヌードルスも不意打ちキッスしたくなるわ…って思いました。
「皇帝と皇后」の歌もちょっと子供っぽく歌ってるのが可愛くてねぇ…その後の二人が辿る道に思いを馳せると、何とも切なくなる曲でもあるのですが。

ブロードウェイスター時代のきいちゃんも凄く良かったんですが、あの「あれ、私『1789』(もしくは古の紅白歌合戦)を観に来たんだっけ??」っていう衣装のインパクトが凄すぎて…(笑)
あ、でも制作発表会の時にも着ていた白いドレスは素敵だったな~!!あれは映画のデボラをイメージしたドレスですよね。とっても似合ってて綺麗だった~!!
そしてヌードルスに迫られて拒む時に薔薇を投げるのを見て「あの薔薇投げるものなんだ!?」とびっくりしていたら、その後だいもんが投げるというよりまき散らす姿にまたびっくりするという(笑)

あと印象的だったのが、壮年期にヌードルスと再会する場面。
少女時代の溌溂!キラキラ!とした雰囲気とはまるで違う、人生の酸いも甘いも噛み分けてきましたという大人の女性として登場してくる姿にドキッとしました。ここのヌードルスとの会話で「今、幸せか」という問いにお互いが「少しは」と答えるところ、とても良かったです。だいもんもきいちゃんも、お互いにこみ上げてくる感情を抑えてるんだろうなぁというのが感じられてね…だいきほコンビって歌だけでなく、お芝居もやっぱり好きだなぁと思いました。
この時着ていたジャケットも素敵だったなぁ~!デコルテがとっても綺麗で、元女優っぽさある~!!と謎の感動をしました。

ただこの場面でキャロルを労わるデボラの姿は見ていて辛かったな…。
キャロルがあんな状態になってしまった原因はマックスが死んだと思ったからで。そんなキャロルを見舞いながらも、デボラは実は生きているマックスの愛人に納まって何不自由なく暮らしているという…これじゃデボラが悪女みたいじゃない!?

きいちゃんの歌も演技もとても良かったですが、デボラとマックスとキャロルの関係性が最後まで引っかかってしまって…うーん、やっぱり脚本に納得がいかーーん!!!(また言っちゃったテヘペロ☆)


☆マックス@彩風咲奈

ビジュアルが鬼強い………(卒倒)

いや~~~少年期は滅茶苦茶可愛いし、青年期は滅茶苦茶かっこいいし、ビジュアル的には過去最高にときめきましたわ…え、さきちゃん(彩風咲奈)ってかっこよくない?かっこいいですね!!知ってた!!!!!

マックスはヌードルス以上に原作とはキャラクターを変えられちゃったので(詳しくは『雪組「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」の脚本にガッカリした話』の記事を読んでくれよな!なっがいけど!!)、こちらもマックスというよりはさきちゃん自身に萌えまくりました…ウウ、サキナアヤカゼ、チョーカワイクテカッコイイ;;;;;

まず少年時代がホンット可愛くてね!?ぶかぶかの上着にキャスケットという服装も可愛いし、ヌードルスとバグジーのやり取りを見守りながら「どっちに付こうかな」と思案している時の様子がまためっちゃ可愛い…。
酔っ払いから懐中時計を盗む場面は舞台用にアレンジされてましたが、マックスの抜け目なさや大胆さが表れていてとても良かったな~!!少年時代のヌードルスとマックスがワチャワチャ仲良くしてる場面って凄く短いんだけど、のぞさき史上最高(多分)に無邪気可愛い二人が観られたのは本当にありがたかったです…欲を言えば原作のあのシーンとかあのシーンとかもっと見たかったけどね!!
でもこの場面だけでも、マイのぞさきメモリアルに加えられて良かった…じーん…。

一転、ヌードルスがバグジーを殺してしまって警察に捕まる場面は切なくてさぁ…ヌードルスを守ろうとするも、あっけなく警官に防がれるマックスが何かもう可哀想で…。
コックアイとパッツィにかける「…行こう」という短い言葉に、彼が味わった悔しさや無力感、そして権力に負けない強さを手に入れてやろうという決意すら感じられて、切ないんだけどめっちゃ萌えました!

で、青年期ですよ…スーツ&タキシード祭の青年期…。
も~~「暗黒街の若き顔役」なんて肩書背負っちゃってるからさー!?スーツのお仕立てが大変よろしいんですよ!!三つ揃いをスマートに着こなした姿が滅茶苦茶かっこいいし、オフィスの机に腰かける時がまたがっごいい…;;;;もう頭のてっぺんから爪先まで全てがパーフェクトでした…足を組む時の角度がまた良いのよ~~!!ただでさえ長い足が更に長く見えた気がする(笑)
あとヌードルスが戻ってきて「お前に悪の流儀を教えてやる」と歌うところの振付がめっちゃ好きです。ジャケットをバッと開けて脇の辺りのシャツがチラ見えした瞬間、「生きてて良かった…」と生の喜びを噛み締めました。は~ありがたや!!

そういえばマックスのヌードルスLOVEっぷりは映画よりかーなーり薄まってはいたけれど、出所に合わせて高級スーツを仕立ててプレゼントしたり、キャロルにヌードルスのチャームポイント(笑)を話し聞かせていたりと、何だかんだ大好きぶりが感じられたのは良かったです。…でもやっぱりヌードルスのお迎えは映画のようにマックス一人で行って欲しかったな…グスン。

そしてそうキャロル!キャロルと一緒にいる時のマックスが最っっっっっっっっっっっ高にカッコ良かったし萌え死にました…。
いや、やってることは酷いんんだけどね、怒鳴りつけるし手も上げちゃうし。
でも女性を手荒に扱うさきちゃんって初めて見たからすっごく新鮮で「こんな顔もされるんだ~!」とゾクゾクしたし、暴力的な面を見せながらもキャロルへの愛もちゃんと感じられるのがまたね…堪らん…ってなりましたね…!!!

クラブインフェルノで二人が踊っている時に漂う濃密な空気とか、大人のカップル感ムンムンでめっちゃ良かったな~!!
ハバナ祭の場面で、ナンパ男に絡まれていたキャロルを見て「俺の女に何してる」と助けに入る姿にも滅茶苦茶萌えたし、その後キャロルとずっとイチャイチャしてるのに更に萌えました…も~そのまま結婚してもらえませんかね!?二人とも白い衣装だし、祭の喧騒から抜け出したままチャペルに駆け込んでくれ~!!(笑)

観劇前に楽しみにしていたのぞさき萌え要素については見るも無残に期待を裏切られたわたくしですが、さきあさという新たな萌えの扉がパッカーン!!!!と勢い良く開いたのが、ワンスにおける一番大きな収獲でした。
ありがとう、マックス&キャロル…二人に滅茶苦茶萌えたおかげで、私は嘆きの炎で身を焼き尽くさずに済んだわ…(笑)
それだけに終盤の二人の姿は悲しくて「脚本ェ…」ってまたケチつけたくなってしまうけど、オタクらしく妄想補完しながら強く逞しく生きて参りたいです。頑張る!


☆ジミー@彩凪翔

出番はあまり多くないものの、物語のキーマンとして凄く美味しい役どころだったのではないかと思います。
全体を通して、翔くんのお芝居はとてもとても良かったですね!衣装こそ地味めだけど、あの美しい瞳からみなぎる意志の強さは圧倒的な存在感を放っていました。ストライキの場面で、上手く立ち回りながら労働者たちを扇動する姿はかっこ良くもあり、ちょっと恐ろしくもあって凄く良かったな~。

でもヅカ版でジミーの役が変化したことで、一番割を食ってしまったのがマックスだと思うんですよ…。それがやっぱり悲しくて、ジミーについてはあまり語れそうにありません。そんなこともある、人間だもの。みつを。
終盤のマックスとのやり取りは、原作映画通りの設定で見たかったと切に思います。
対等に渡り合ってきた男たちのパワーバランスが崩れた瞬間のヒリついた空気を、彩彩で見たかったんだよ~…エーン!!

そんな私の不完全燃焼っぷりを、フィナーレで全部吹き飛ばして下さったのは滅茶苦茶ありがたかったです!!!!!フィナーレの翔くん超~カッコ良かった~!!!!!
翔あさがシンメで歌って踊ると、あまりの美しさに目と耳が本当にびっくりしますね…何というありがたさ…!!
宝塚にフィナーレがあって良かった~!!と改めて噛み締めました(笑)


☆キャロル@朝美絢

「♪あなたに~会え~て~本当に~良かった~」と小田和正の名曲をあーさキャロルに捧げたい。
も~嬉しくて嬉しくて言葉にならないよ…!!ホンットに魅力的なキャロルを演じて下さってありがとう、あーさ!!!!!

キャロルも映画とは全然違うキャラクターになってましたが、彼女の場合設定が変わることは初期段階で分かっていたのでね。
ショックを受けるどころか、イケコ先生素晴らしいアレンジをありがとう!!と感謝したい唯一のキャラクターとなりました。
あ、でも最後はなーやっぱちょっと納得いかないけどなー…(笑)

キャロルはデボラとあらゆる面で対照的な女性として描かれていたけど、セクシーでコケティッシュな魅力を振りまきながらも、内面はとても繊細でマックス一筋ってところがもう最高でさ~!!
ある意味「男の理想」みたいな女性だなって思いました。いや女の私から見てもめっちゃ可愛くて魅力的でしたけども。
そしてそんなキャロルの姿が、「美貌(外見)が話題になりがちだけど、中身は更に更に魅力的」というあーさ本人にも重なって見えてね…イケコ、ええキャスティングするやんけ…と超上から目線で思っちゃったわ。
いやだって最初はさ~、今このタイミングであーさに女役振っちゃう!?ってびっくりしたもん…でも蓋を開けたら納得でした。これは確かにあーさに演じて欲しくなるの分かりみマックス(笑って欲しい所です)

歌姫という役柄もあって、一人で歌う場面も多かったですがこれがまたすっごく良かった!!
歌がどんどん上手くなっているな~とは以前から思っていましたが、単純に技術面だけでなく表現力も物凄く上がってるなぁと。いや~素晴らしい…。
しかも情感たっぷりに歌う内容がさ、「私が惚れた男」という超お惚気ソングっていう!!(笑)
この曲、前半の歌詞が「彩風咲奈の魅力を熱く語る強火担」て感じだったんで最初に聞いたときはホントにびっくりしたわ!!
しかもそれをしっとり艶っぽく歌ってるのがあの朝美絢様ってのがもう…ありがたすぎて涙出ちゃうね、はー…。

そして今回、何より驚いたのはあーさが女役として寄り添った時にさきちゃんが何万倍も輝いて見えたこと!!
さきちゃんファンとしては物凄い衝撃でしたし、「男役をよりかっこ良く見せるのが娘役(女役)」という言葉をこれ程実感したのは初めてでした。本当に、こんなに違って見えることがあるんだなぁ…。
これはあくまで私の主観の話ですので「全然そんなことなかったよ」と思われた方も大~勢いらっしゃると思いますが、これまでで一番かっこいい(自分比)さきちゃんのお姿をただありがたく拝むばかりでしたわ。

何かね…さきあさが並んだ瞬間に「うわ、思っていた以上にお似合い!!」とビジュアル的にもテンション爆上がりしたし、あーさが役柄としてだけでなくさきちゃん本人も慕ってくれていることが伝わってきて、も~嬉しくてしょうがなくなっちゃったんですよね!
そしてさきちゃんもあーさを心から信頼しているからこそ、全力でぶつかっていけるんだろうなと。
媚びるのではなく、互いに尊重し合っているお二人の良い関係がマックスとキャロルの姿から伝わってきて、萌えと尊みで頭が何度も大爆発よ…さきあさがこんなに良い相乗効果をもたらすとは本当に思ってなかったよ~~ウッウッ尊い;;;;

だからも~最後のサナトリウムの場面とか切なすぎてさぁ…ワンスで唯一泣けたのは、キャロルの一途さとあーさの演技力にでした。
記憶喪失のくだりも原作ファンとしては「どうしてこうなった???」と思わなくはなかったですが、ハバナの歌を聞いて記憶を取り戻すキャロルが愛おしすぎたのでそこはもういいです。
ただデボラのことを「この人ね、女優さんなのよ」と話す姿があまりにも悲しかったわ…。

も~マジで何でマックスとデボラを愛人関係にしてくれちゃったんだYOー!!??

そこがなければ、マックスもまだキャロルを愛しているけれど「彼女をそんな風にしたのが自分だと、知られるのが恐いんだ…」とキャリエール(@ファントム)みたいなことを考えて遠くから見守っているだけ…とか妄想もしやすかったものを。
いや、どんなにしにくかろうと妄想はするけどね。勝手に。

とりあえず、あーさキャロルが最高に可愛かったハバナ祭の場面が良いアングルで映像として残ることを祈ります。
そしてできればカフェブレで放送して欲しい(笑)


さて、メインの5人だけでまた滅茶苦茶長い感想文になってしまったので、あとはサクッと簡単に~。

●にわさん(奏乃はると)のファット・モーが滅茶苦茶ファット・モーだった!!ギャングの世界に深入りすることはないけど、ヌードルスたちとの友情も大切にしている温かみのあるお役がとても合ってました。少年時代のファット・モー役のたっちー(橘幸)も可愛かったし(スチル写真のケーキとのツーショット可愛すぎない?)、どちらのファット・モーも魅力的でした!

●まなはる(真那春人)コックアイのビジュアル再現度にびっくり…!!カラコンとメイクでそれっぽく見せてるのが本当に凄いなと。そしてやはり抜群の安心感…ハーモニカの演奏も素敵でした!

●あがちん(縣千)のパッツィー、そんなに目立つキャラでもないはずなのにあがたワールドが炸裂している気がしてさすがだなって思いました(誉めてます!)「ラジオもあるぜぇ」とドヤったり、「ダイナマイトだぁ!」とはしゃいだりしているところ、何か可愛くてキュンとしましたwフィナーレのロケットも、か…可愛かったよ!!(ド迫力だった…)

●あみくん(彩海せら)のドミニクが思った通りの可愛さだった~!!!何だか出てくるたびにバグジーに捕らわれている気がして「…あれ、ドミニクってヒロインだったか?」とも思いました。まぁ可愛いから仕方ないですね…(?)

●バグジーのしゅわっち(諏訪さき)もあっという間に殺されて退場してしまうけれども、チンピラのボスっぽさが出ていて凄く良かったな~。そしてしゅわっちはハバナ祭の時にキャロルにベッタベタ触りまくっていたのが最高だったよ!(笑)

●プロデューサー・サム役のカリ様(煌羽レオ)が最っ高でしたwwwあのコートの着こなし、そしてガウン姿…もうこってこてすぎて惚れ惚れしちゃいましたわ。そして短い時間でもワイルドビューティー(笑)として圧倒的な存在感を示してくれたりさちゃん(星南のぞみ)も素敵でしたね!!

●作曲家としてデボラを支える役どころだったあやなちゃん(綾鳳華)も可愛かった~!きいちゃんとは同期コンビでもあるから、二人がきゃっきゃしている場面はとても微笑ましかったです。

●最初と最後に出てくるロックンローラー男ことはいちゃん(眞ノ宮るい)とかりあん(星加梨杏)がめっちゃ可愛い~~!!ここも同期コンビをイケコ先生が意識されたのかな?こういう配役は嬉しいですね。

あと彩みちるちゃんがバービー人形みたいでとっても可愛かったし、叶ゆうり君はやっぱりギャングが似合うと思ったし(誉めてます)、久城あすくんと杏野このみちゃんの宝石屋夫婦も面白かったし、病院患者を熱演していたケンジさん(ゆめ真音)が何だか愛おしくてとても印象に残りました!
一禾あおくんに台詞があったのも嬉しかったな~!!ロケットでも大活躍だったし、これからのご活躍が楽しみです。

2020年1月13日

雪組「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」の脚本にガッカリした話

※あくまで個人の感想です!!!そして原作映画のネタバレを含むよ!!!


2019年1月11日~12日にかけて雪組「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」を観劇して参りました!
も~楽しみすぎて東京公演まで待ちきれず、9年ぶりくらいにムラまで馳せ参じましたよ!!久し振りの宝塚大劇場、とっても楽しかったです!!
土日は貸切公演が多いので、できるだけ多く観るならここしかなかったんですよねぇ…友人の協力もあり、無事3回観劇できて僥倖でございました。

で、感想なんですが…。
雪組ファンの自分としては滅茶苦茶楽しめたので大歓喜している一方で、原作映画ファンの自分としては怒りを通り越して絶望し、ひたすら「何でじゃー!?」とちゃぶ台をひっくり返し続けてる感じです。そのせいで観劇後は全然感想がまとまらなかったし、色々考えすぎて夜も眠れなかったわ!!(笑)
とりあえず、雪組ファンとして大歓喜!の部分は主にキャストに対する感想になるので、作品自体に感じたことを先に書こうと思います。
さっき書いた通り原作ファンとしては絶望したので、またダメ出し感想になると思いますがそれでもいいよって方だけどうぞ!長くなりますが!!
雪組への感想を見たいって方はキャスト別感想だけ読んで頂ければ幸いです!!後日書くので!!


さて。
原作のある作品を舞台化、特に宝塚歌劇として上演する場合、様々な困難や制約があることはわたくしも存じております。
元々の表現媒体が違うので物語や演出を変える必要は出てくるし、宝塚の場合スターシステムの関係で原作のキャラクター設定を変えたり、すみれコードに合わせて表現をマイルドにしたり…。その結果、原作とは大分趣の異なる作品に仕上がることもあるけれども、原作の良さを活かしたアレンジにより「宝塚版」として成功する例も多いと思います。
で、私の中でその宝塚版への昇華が上手い方といえばイケコこと小池修一郎先生でした。
「ポーの一族」や「るろうに剣心」は原作ファンとしても「ありがとうイケコ!!!」とお礼を申しあげたい出来でしたし、「エリザベート」や「スカーレットピンパーネル」はオリジナルに近いだろう外部上演版と比べてみると「宝塚版」としてとても上手くアレンジされていると感じました。
原作の面白さは踏襲しつつ、宝塚版としてよりドラマティックに、ロマンティックな作品に仕上げて下さる…イケコへのそんな信頼があったからこそ、先に原作映画を予習しても大丈夫だろうと思っていたわけです(そして軽い気持ちで原作映画を見た私が、どっぷりハマって大分ヤバくなっていたのは過去記事「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカについて考える①~③」をご参照くださいw)
おまけにイケコ先生が長年舞台化を夢見ていた大好きな映画だと言うじゃないですか!それを充実期を迎えている今の雪組で上演するっていうんだからメチャメチャ期待が膨らんじゃうじゃないですか!!

だからも~楽しみ要素がハチャメチャに大きかった分、今回の脚本・演出にはマジでガッカリしちゃったのよ、イケコ!!!!!!!!!!

以上です。
はー、言葉にして吐き出したらスッキリした!(笑)
ガッカリポイントは色々あるんだけど、大きくは

●ヌードルスとマックスの根本的なキャラクター像の変更
●デボラの心変わり
●アメリカという国の描き方

の3つかな~。
もうモヤモヤが止まらないからうだうだ書くぜ私は!!ここは私の感想ブログじゃい!!!思ったことを自由に書くわいワハハ!!!


●ヌードルスとマックスの根本的なキャラクター像の変更について

まずヌードルスとマックスについて。
ここはさ~…ホンッッッッッッッットに色んな意味で楽しみにしていたのでガッカリ感がマジ半端なかったっす。絶望っす。
1回目の観劇後は「はっ?????何でこうなったの??????」て疑問符しか出てこなかったもん…。

ヌードルスは元々寡黙で、感情の起伏をあまり表に出さない人物。
カッとなると自制が効かなくなる面はあるものの、基本的に慎重派で高望みしないし、争いも好まないタイプ。

なのでそもそも「いつか皇帝になりたい」なんて大きな野望を抱く人物ではないんですよねー!!!???

ヅカ版で子供時代のヌードルスとデボラが「いつか皇帝と皇后になりたい」と夢を語り合う場面、とても微笑ましくて可愛くてキュンキュンしたけど、「皇帝になりたい」なんて言いだした時点で「あっ、この人はもうヌードルスじゃないな」って思いました。
ヌードルスにも貧しい生活から抜け出したい気持ちはあっただろうけど、世界の頂点を目指すような野心家ではない。だからこそ超野心家のマックスとは反りが合わなくなっていったわけだから、このキャラ変更でもうラストシーンの面白さは半減って感じでした。原作映画ではヌードルスとマックスの違いが際立つからこその名場面だったのにね。

それでも、刑務所から戻ってきた時にヌードルスの野心家キャラが無くなっていたらまだ良かったんですけどねぇ…何で宝石強盗に乗り気で参加しているのか謎だったし、依頼主のジョーを裏切る場面でも映画版ほどマックスを強く糾弾することもなく(まぁ裏切りの前提条件自体変更されてたわけだけど…)
生きるためにコソ泥程度の悪事はするけれども、大金を奪ったり、人を平気で裏切ったりという悪には抵抗を感じるヌードルスのピュアな面や葛藤が無くなってたのは本当にガッカリしたな…。大人になりきれないピュアさがヌードルスの魅力だと思うし、その葛藤に苦しむだいもん(望海風斗)を私は拝みたかったよ~。

ヅカ版だと、ヌードルスは大金を貯めるためなら犯罪にも積極的に身を投じていく印象でした。イケイケドンドンなマックスのやり方にもあまり抵抗がなさそうな感じがしたなぁ。それは全て「皇帝」になってデボラを手に入れるためだから、まぁ愛のためではあるんだけれども…ギャングをやめて欲しいと願うデボラに、ギャング業で稼いだ金を平気で貢ぐヌードルスって魅力的かなぁ?そこに葛藤はなかったのだろーか?本当にデボラを手に入れたいなら、薔薇の部屋やティアラを用意するよりもそのお金で真っ当な事業を始めた方がよかったんじゃないの??

ヌードルスがギャング業に乗り気かそうでないかとでは、デボラの「足を洗って欲しい」という訴えへの葛藤が全然違うと思うんですよ。
映画のヌードルスはマックスの強引なやり方が自分には合わないと感じていたけれども、他に生きる術を知らないのでギャングをやめることもできないでいた。そこへデボラが「ギャングのあなたとは付き合えない」とNOを突きつけることでヌードルスの中に葛藤が生まれ、ドラマも生まれたわけです。
イケコは何でヌードルスを中途半端に野心家っぽくしちゃったのだろう…同じ貧しい境遇で育ったマックスやデボラたちのように大きな夢に突き進めなかったからこそ、ヌードルスの哀しみや虚しさは際立ったのに。


そして更に更に心底ガッカリしたのがマックスのキャラ変ですよ……はー………ため息が深い。
原作ワンスの一番の見どころは、最後の最後、ヌードルスが殺してしまったと思っていたマックスと再会する場面だと思ってます。
ここでマックスが、最初から自分の死を偽装して別人になりすますつもりだったこと、ヌードルスの密告すら彼の策略の内だったこと、「親友を救おうとしたはずが殺してしまった」という罪悪感を敢えてヌードルスに与えたこと、そして彼から金も女も奪ったことを告白する。
マックスはヌードルスを手ひどく裏切ったからこそ、他の人間に始末される前に彼に真実を打ち明け、自分に復讐するよう仕向けた。そして全てを知ったヌードルスはマックスの裏切りにショックを受けながらも、彼との思い出を大切にすることを選び、殺しの依頼は断った。
この時のマックスの「これ(俺を殺さないこと)がお前の復讐なのか?」という言葉に対し、「違う、俺の考え方だ」と首を振るヌードルスの答えが何とも切なく、哀愁を感じる名場面です。
マックスを裏切ったと思っていたヌードルスの方こそが、実はマックスに裏切られていた。
でもマックスの中にもヌードルスとの友情はずっと生きているんですよね。その象徴が、酔っ払いから奪った懐中時計。二人の出会いのきっかけとなった懐中時計を、マックスはヌードルスを裏切ってからもずっと大切に使い続けていた。そしてヌードルスもそれに気付いて、何とも言えない切ない表情を浮かべるという…。
お互いに裏切りながらも、確かな友情で結ばれてもいた2人の人間ドラマこそがこの作品の真骨頂…と思っていたのに。のに。


何で!!マックスはたまたま生き残っただけって話になっちゃったのーーー!!??


もうさー…ヅカ版でキャロルが「マックスが酔っぱらっていつか銀行を襲撃するって話してた」て言い始めたところで嫌な予感はしたんだけどさー…まさかマックスが本気で連邦準備銀行を襲撃する愚か者にされてしまうとは思いませんでしたよ…!!しかもダイナマイトで扉を爆破するって何!?馬鹿か!?馬鹿なのか!?「オーシャンズ11」だってそんな雑な金庫破りしなかったでしょ!!??アメリカの連邦準備銀行って日本で言えば日本銀行よ~~~!!!???
ホント何でだよイケコ~!!マックスはそんな馬鹿でも無鉄砲な人間でもないでしょ~!!??

一応説明すると、映画版のマックスは禁酒法がいずれ終わることは予見していて、その後のビジネスにも当たりをつけてました(ジミーと裏で手を組んでの運送業)
ただそれをヌードルスに反対されて、じゃあ連邦準備銀行を襲おうと言い始めるんです。4人ばかしの小規模ギャングで中央銀行を襲撃しようだなんて、どう考えても正気の沙汰じゃないですよね。
で、実際マックスはこれを本気で言ってたわけではなくて、実は裏で自分の死亡偽装を画策しており、ヌードルスの密告に合わせてトラック事故を起こして見事に偽装を成功させ、ロッカーの共有財産も奪い去ります。
そしてマックスはベイリーと名を変えて政財界で大成功し、ヌードルスは親友を殺してしまった罪悪感だけを抱えてNYを離れて身を隠した…という流れ。
まぁ細かく言えばマックス一人の力でここまでできたわけではないんだけど、悪事に関してはマックスがヌードルスの一枚も二枚も上手の賢い人物だったことは確かです。

それがまぁヅカ版では、無謀すぎる銀行強盗計画を本気で実行したら爆発事故に巻きこまれ、たまたま生き延びたのでジミーに助けを求め、そのせいで最終的にはジミーにやり込められるというただの小悪党に…悲しい…私が見たかったのはそんな小物のマックスじゃないよ…。
ベイリーになったのも保険証が必要だったからってそんな…なんつーちんけな理由だよ…!?
まぁマックスがそんな暴挙に走ったのはお金に困ってたからってことにされてたけど、それもイケコが勝手につけた理由だしさぁ…原作のマックスはやり手だから不動産投資に失敗して資金の焦げ付きなんて出さないよぉ…。

何より、マックスこそがヌードルスを裏切っていたという重大なエピソードを変えてしまったせいで最後の再会から決別への流れが全然面白くないし緊迫感もない!!!!!

まず、ジミーがマックスに死を迫って銃を置いていくのはまぁいいとして、その銃を丁度良いとばかりにヌードルスに渡そうとするのおかしくない?ヌードルスに殺して欲しかったのなら自前の銃を用意しておくもんでしょ!?何でたまたまジミーが置いてった銃を渡すのさ!?
このヌードルスに急いで銃を渡すところ、マックスがより一層愚かに見えるからマジで変えて欲しい…。

あと何でマックスがヌードルスに殺されたがったのかも分からないんですよね。ヅカ版だと裏切ったのはヌードルスだけだから、マックスの方にこそ密告され裏切られたことへの恨みがあるのでは?生き延びたことをヌードルスに25年も黙っていた理由もよく分からないし…(デボラとの関係があるから言い出しづらかったのかもだけど、再会したのは10年前と言ってたし、それまでの15年は何してたんだよって思う)
それをいきなり25年経って呼び出して、「生きてたことを黙ってて悪かった、殺してくれ」と頼むのも変だし、断られて「俺を見捨てるのか!!」とすがるのも全然意味が分からない…見捨てるんじゃねーよ、ホントにヌードルスにはマックスを殺す動機がないんだよ…だって映画みたいに裏切られてないんだもん…むしろ「あの時は裏切って悪かった。俺のせいでやけどを負わせた」って謝らなきゃいけないのはヌードルスの方じゃないの…!?
最後の「何もしてやれないが、諦めるなよ」というヌードルスの無責任な励ましもよく分からんし、細かいことを言えば初めてやって来た屋敷で「裏口から帰るよ」と教えられてもいない裏口から出てくのも分からん…何で裏口知ってるんだよヌードルス…。

マックスをキャラ変してしまったせいで色々と話の辻褄が合わないのに、場面の流れは映画通りにされてしまったせいで名場面が珍場面にされてしまった印象でした。
ホント何でなんだイケコよぉぉ;;;;;;;


あとこれは本当に分からないんだけど、純粋にストーリーとしてヅカ版のワンスって面白いですか…?
私はどうも原作との違いに違和感ばかり感じてしまうので、ヅカ版が物語として面白いのかつまんないのかもう分からんのよねぇ。
映画版で面白く感じたのは、マックスが実は生きていたという真相に至るまでの経過と、ヌードルスとマックスが再会した瞬間のカタルシスだったんですけど、それが舞台だと印象が薄い気がするんだわ…。まず舞台だと最初にヌードルスが「マックスたちはあの晩皆死んだ」とサラッと話すだけなので、初見だと印象に残らない可能性もあるんじゃないかなーと。映画ではもっと現在と過去を行ったり来たりするし、ヌードルスがマックスたちの墓を訪れる場面もあるので「ヌードルスだけが生き残った」という要素が印象付けられるんですよね。
まぁ舞台だと時間軸を行ったり来たりするのが難しいのは分かるんですが(「壬生義士伝」の時も大変そうだったし)、プロローグの壮年期の後は少年期→青年期→壮年期と時間軸通りに進んでいくから、原作映画の少しずつ過去の謎を紐解いていくような面白さも感じなくて。
マックスが生き延びたことも観客にはすぐにバラしちゃうしなー…たしかにヌードルスは知らないわけだけど、観客も知らないままラストシーンを迎えた方がドラマティックだったと思うんだけど。まぁマックスの裏切り自体無かったことにされちゃったから何を言っても詮なきことですがね!

ちなみに原作映画は最初にアメリカで公開された時、監督の意に反して制作会社が「物語を時間軸通りに並べ替えた」編集版が上映され、大不評だったそうです(監督は滅茶苦茶落ち込んだそう)
その後、監督が意図した「現在と過去のエピソードを行き来しながら、少しずつ真相が明かされていく」という編集版(今でいう完全版)が公開されて、こちらは大絶賛されました。
私はヅカ版観劇後、このエピソードを思い出して何とも複雑な気持ちになったのでした。イケコはこの映画を舞台化して、何を一番観客に伝えたかったのかなぁ…。


●デボラの心変わりについて

ヌードルスとマックスのキャラ変同様、デボラも映画とはキャラクターが変わったというかもう別人でしたね!(笑)
ただ、性格が丸くなったことやヌードルスへの好意をはっきり示すようになった点については特に何も思いません。舞台だし、宝塚だし、ヒロインだし、まぁこれくらいの変更はあるわよね~って感じ。

ただ、解せぬ…ってなったのは最後の最後、デボラがマックスを愛するようになっていたこと。
あれマジで分からないんですけど!!何で!?デボラはヌードルス一筋でしょ!!??

ヅカ版デボラはブロードウェイスターからハリウッドに進出し、始めは良かったものの後ろ盾を失って引退状態に。その後はチャリティー活動だけしている、という経歴になってましたが、映画では年をとっても女優を続けています。
そしてその陰にベイリー長官ことマックスがおり、二人は愛人関係で結ばれている。デボラはベイリー財団のチャリティー活動もしているけれども、それと引き換えのように女優としても活躍し続けているという、どこかビジネスライクな愛人関係として描かれていました。ヌードルスと再会した時も、ベイリー長官邸でマックスと再会すればヌードルスがショックを受けるだろうと心配して彼を止めようとしています。色々あった二人だけど、デボラの中にはまだヌードルスへの情が残っているんだろうなと感じた場面です。

それがヅカ版ではいつの間にかデボラがマックスを愛するようになっているという…えっ何でそうなったの???
偶然再会したマックスの話を聞いて、同情しちゃったとかそういうこと?でも連邦準備銀行の強盗計画なんてアホなこと実行して、たまたま生き延びただけの男ですよ??しかも政財界で成功したとはいっても汚職まみれだし、「真面目な人よ」なんてどっから出てくるんだその評価…。
女優業を続けられなくなって、行き場を失ったデボラをマックスが囲っているってんなら分かるんだけど…囲われているだけで愛情がないのであれば、マックスを励ますための誕生日パーティーを企画しようなんてしないよねー…。
デボラ→マックスへの愛はいつどこで何をきっかけに生まれたんだろうか…さっぱりわからん。

マックスの方は少年時代にデボラを密かに思っていたというエピソードがあったけど(これもヅカ版オリジナル設定だけど)、青年期のマックスは何だかんだキャロルを愛していて、デボラに未練なんてなさそうだったのになぁ。なのでヌードルスがマックスに「良かったじゃないか、恋が実って」と皮肉めいたことを言う時も、違和感バリバリで全然響きませんでした。
映画みたいにマックスがヌードルスを裏切ってデボラを奪ったのなら、皮肉りたくなる気持ちも分かるけどさー…マックスは裏切ってないじゃん。これじゃヌードルスがただ羨んでひがんでるだけみたいじゃん。っはー、響かんわー!!

映画でも、マックスが何故デボラを愛人にしたのかはハッキリしないところがあったけど、裏切られた絶望感をヌードルスに味わわせる大きな要素にはなってたんですよね。だからこそマックスの「俺を殺せ」という要求の動機にもなりえたし。
それがヅカ版では愛人関係になった理由がますます分からなくなってたし、その必要性すら感じなくなってたんですけど…せめてデボラは映画と同じように、「誰と一緒にいようと、本当に好きなのはヌードルス一人だけ」という一途さを貫いて欲しかったな。それが細やかな救いでもあったのに。
あの終わり方じゃ、折角再会した親友と初恋の人を再び失ったヌードルスがあまりにも可哀想でさー…夢も希望もありゃしねぇよぉ…。


●アメリカという国の描き方

ヅカ版で凄く違和感があったのは、「マックスがアメリカを憎んでいる」という描写。
これも何でそうなっちゃったんだ?要素でしたねー…だって原作映画は監督のアメリカ愛が溢れてたじゃん。

プログラムのコメント等から察するに、「移民の物語」が大好きなイケコが移民要素を強調したくて付け足しちゃったのかなぁという印象です。
全編を通して「ユダヤ系移民はアメリカでは生きづらい」ということがヅカ版では強調されていたし、ヌードルスも「ダビデの星よ~」とか「神よ~」とかやたら歌っていたけど、映画ではそこまで民族色って強くなかったので観ていて不思議でした。
たしかに1930年代という時代背景的にユダヤ系は特に生きづらかっただろうし、貧しい生活から社会への恨みが募っていったということはあると思うけど…レオーネ監督のアメリカの描き方には憧れと愛を強く感じたんですよねぇ。
残酷な面も汚い面もある、でもエネルギッシュな華やかさにも溢れているのが監督の描くアメリカ。明も闇もどちらも等しく魅力的な国。そしてヌードルスやマックスたちは、その国で激動の時代を必死に生きぬいた。
その姿に「アメリカへの憎しみ」なんて感じなかったんだけどなぁ。

ヅカ版のマックスが連邦準備銀行を襲おうとしたのは、この「アメリカが憎い」という感情も動機の一つになったのかな、とは思いました。
でもこれもイケコのオリジナル設定なんですよね~~~~!!
マックスの父親が精神病患者だったというのは原作通りだけど、「アメリカを呪いながら死んでいった」というのはイケコオリジナルなのでね…やっぱりよく分からないですね…。

これはあくまで私の解釈だけどさ~映画を作ったレオーネ監督はアメリカにめっちゃ憧れてたし大好きだったと思うんだよ~「♪God Bless America~」と思っていたと思うんだよ~~そんなアメリカをさ、何で登場人物たちに「どうしようもなく憎い国」って言わせたんだろう…ちょっと悲しい。
少なくともワンスという作品において、「移民たちの恨みの物語」を描かなくてもよかったんじゃないかなって思いました。だって原作にはないんだもの。ただでさえ尺が足りないんだから、原作にない主義主張は突っ込まずにイケコオリジナル作品でそのテーマを描いてくれないかなーって思っちゃったのでした。
イケコのオリジナルアレンジって好きなものも多いけど、このアレンジは何を狙ってたのかよく分からなかったです。

まぁもしかしたら、映画の原作であるハリー・グレイの本にはそういう描写があるのかもしれませんけどね(ヅカワンスのクレジットも原作はセルジオ・レオーネではなくハリー・グレイとなっているし)


というわけで、雪組のワンス脚本にガッカリしたという話でした。良いと思った所も沢山あるんですけどね~!!
ガッカリ感があまりに大きくて吐き出さないと消化不良でぶっ倒れそうだったもんで、ハハハ(笑)
良かった点はキャスト感想の方で書けたらいいなと思います。萌えポイントについても語りたい~。
こんなグダグダ長文に最後までお付き合いくださった方、どうもありがとうございました!!