2019年12月4日

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」について考える②-②

※原作映画を予習済みの方向けの内容です。
未見で読まれると何の話だかさっぱり分からない上に、重大なネタバレだけ知ることになるのでご注意ください。また、ここに書いたことは全て個人的な解釈です。
そして、この記事もまた滅茶苦茶長いです!!

【ここがヤバいよ、マックスさん!!の続き】

②マックスは何故ヌードルスを裏切ったのか

ワンスにおいてストーリーの肝となる、マックスの裏切り行為。
その理由についての解釈は人それぞれだと思いますが、個人的には行き過ぎた承認欲求かなと思っています。
マックスはヌードルスに、自分を理解して認めてくれることを望んでいた。
その想いが、ヌードルスを裏切り、彼を苦しめる結果を生んだ。
この辺、上手く文章化できるか分かりませんが…順を追って整理してみますね。

少年時代、似たようなチンピラ少年だったヌードルスとマックスの立場を決定的に変えたのはバグジー殺人事件でしょう。
バグジーを殺してしまったことにより、ヌードルスは9年間刑務所で過ごすことになりました。この時彼は17~18才。ちょうど少年から大人になり始める大切な時期に、彼は世間から隔離されてしまった。
ヌードルスが出所してきた時、肉体的には大人になったものの精神的には少年の頃のままだったのではないでしょうか。
それに対してマックスは、9年の間に自分の手で会社を興し、裏の世界での人脈を広げ、肉体的にも精神的にも成熟した大人になっていたんですね。
9年という歳月は確実に彼らの間に隔たりを作っていたのに、2人はそれに気付かず昔のように仲良くやっていこうとしてしまった。
これが2人にすれ違いが生まれてしまった大きな原因だと思います。

さて、一緒にギャング業を始めたヌードルスとマックスですが、中々しっくりいきません。
マックスが仕事を円滑に進めるために大物ギャング・フランキーの下に着こうと提案すれば、ヌードルスは「昔は『ボスは要らない』と言ってたじゃないか」と反対する。
マックスが禁酒法撤廃後は政治家とグルになって新しい商売を始めようと提案すれば、ヌードルスは昔と同じチンピラ稼業の方が肌に合ってると反対する。
ヌードルスにはマックスが話す「大人の流儀」が分からないし、知りたくもない。
少年時代のチンピラ稼業よりスケールの大きい仕事は、彼の理解の範疇を超えてしまっているのだと思います。

一方マックスには、9年間蓄積してきたノウハウを活用してヌードルスともっと大きな成功を掴みたいという野望があったのでしょう。そして自分の商才にも自信がある。
でもヌードルスの共感は一向に得られない。それどころか、彼の心は自分から離れていくばかり…。
仕事を取るのか、友情を取るのか…マックスは悩んだと思います。
彼が社会的成功を得るためには、考え方の違うヌードルスが足枷になるのは目に見えている。
ただ、マックスが成功だけを望む男だったならこの時点でヌードルスを見限ればよかったんですよね。それこそ、ジミーの病室で新しく運送業を始めようかという話になった時に、反対して出て行ったヌードルスを追いかけなければ良かった話。
ここでヌードルスを追いかけたということは、マックスはヌードルスとの関係を諦めることができなかったということでしょう。
自らの成功を掴むために潔くヌードルスとの別れを選んだデボラとは大きく異なる点ですね。

そしてマックスはフロリダのビーチで、無謀な銀行強盗計画をヌードルスに提案します。
これはもうハナから真剣な提案ではなかったと思います。砂に書いた、まさに「砂上の楼閣」のような話ですね。
では何故、彼はこんな途方もない話をし始めたのか。
私は、ヌードルスの関心を自分に向けさせることが目的だったのではないかと考えています。

この時マックスが一番望んでいたことは、ジミーの労働組合と裏で組んで運搬業を始めること。
そして自分のやり方をヌードルスに理解してもらい、今後も一緒に仕事を続けていくことです。
ただ、今まで通りの話し方では上手くいかないとも分かっている。

だからまず、子供でも無理だと分かる(ヌードルスでも無理だとすぐに理解できる)計画の話から始める。
そこでヌードルスが「冗談だろ」と笑うもよし、「できるはずがないからやめろ」と止めるもよし。とにかく一度彼と同じレベル(子供レベル)まで仕事の認識レベルを落として関心を引き、共通の感覚を得る。そこから「確かに連邦準備銀行は無理かもしれないが、俺はお前と一緒ならこれくらいデカい仕事もできると思っているんだ」と説得体制に移行し、段階的に自分の仕事についての考えを理解してもらう…。
イメージとしては、家庭教師が最初に担当する生徒の学力レベルを確認し、理解できる範囲から徐々にステップアップしていく、そんな感じ。
そして最終的に、ヌードルスから新しいビジネスについて賛同を得る。
これがマックスの狙いで、銀行強盗計画はそのためのブラフだったのではないかと思います。

ところがここでもヌードルスはマックスを突き放してしまうんですね…「お前は狂っている」という地雷ワード付きで。
この時ヌードルスがマックスときちんと向き合い、真意を探っていたら彼らの結末は全く違った形になっただろうなと思います。
しかしヌードルスは「自分がマックスの仕事を理解できないのは、彼が狂っているからだ」と考えることを放棄してしまった。

そしてマックスも、思いがけず地雷ワードを言われたことでカッとなってしまい、ヌードルスの説得に失敗してしまった。
この失敗により、マックスは言葉でヌードルスに自分を理解させようとすることを諦めたのでしょう。
口で言って分からないなら、実際に見てもらって理解してもらうしかない。
そう考えたマックスは、

・フランキーのような大物ギャングや政府高官を味方に付ければ、自分の死すらたやすく偽装ができること
・新しい仕事は多額の儲けを生み、社会的に成功できること

を行動で示そうとした。
その結果、マックスはベイリーとして生まれ変わり実業家としても政治家としても成功します。
ただ彼にとって誤算だったのは、ヌードルスが自分の成功にちっとも気付いてくれなかったことでしょう。
そう、マックスはヌードルスに自分が生きていると気付いて欲しかった。気付いて、自分の価値を認めて、必要として欲しかったのだと思います。

ただここで引っかかる点もあります。
何故、マックスは共同基金とデボラまで奪ったのかということ。
この点もちょっと考えてみますね。


●共同基金を奪った理由

マックスはヌードルスを出し抜いて、少年時代から貯めていた彼らの共同基金を奪いました。
ではマックスの目的は金だったのか?いいえ、彼はお金に困っていたわけではないので違うでしょう。
フロリダでヌードルスに話した100万$の蓄えというのは共同基金のことだと思いますが、それ以外に個人の資産もあったはず。ビーチでくつろいでる姿から見ても、金目的で親友を裏切るほど困窮しているようには見えません。

では何故金を奪ったのかといえば、考えられる理由は二つ。
一つは、死亡偽装後に自由に使える資金とするため。
ここでポイントになるのは、金だけが目的ならそもそもあんな手の込んだ死亡偽装工作をする必要はないということ。単に金を独り占めしたいだけなら、ヌードルス・コックアイ・パッツィの3人を不意打ちで殺害してしまう方がよっぽど簡単なはずです。
まず死亡偽装をするという目的があって、その後のことを考えて金も確保しておいたというところでしょう。

そしてもう一つは、自分の生存をヌードルスに気付かせるため。
繰り返しになりますが、マックスの最大の目的はヌードルスに自分の仕事を理解してもらうことです。
その証明の一つとして、マックスは自分の死を偽装するトラック事故を起こした。
ヌードルスを密売酒の運搬トラックには乗せず、不自然な程に黒焦げな替え玉死体を用意し、ロッカーの鞄の中身も先に入れ替えておく(鞄の中身に新聞紙を詰めておいたのも、身元判別が難しい遺体の死亡ニュースが早々に新聞で報じられるのはおかしいというヒントだったのかも?)

コックアイとパッツィは顔が識別できる状態で死んでいたし、ファット・モーはギャングに暴行されていて動ける状態ではなかった。恋人のイヴも殺されているし、キャロルは共同基金の存在すら知らない様子だった(フロリダでのマックスとの会話から)
ヌードルスが冷静に事態を把握していれば、この時点でマックス生存の可能性に気付けたかもしれません。そのための痕跡を、マックスは敢えて残していたのだと思います。
まぁ残念ながらヌードルスは最後まで全く気付きませんでしたけどね…。


●デボラを奪った理由

もう一つマックスがヌードルスから奪ったものと言えば女、そうデボラです。
マックスはデボラを少なくとも15年以上愛人として側に置いていたようですが、この二人に恋愛的な感情が芽生えるとはどうにも考えられないんですよねぇ…どっちもヌードルス一筋だし。

仮に愛が芽生えていたのなら、マックスは後妻としてデボラを迎えてもよかったのではないかしら。デボラの方も、楽屋でヌードルスと再会した時の態度がもっと違ってたんじゃないのかな。あの時のデボラは、マックスに会えばヌードルスがショックを受けると心配して、ヌードルスのために二人の再会を防ごうとしてましたからね。
そして何より、この二人は「恋より仕事」に生きる人たち。
お互いの利害が一致したから一緒にいると考えた方が、個人的には納得がいきます。

ではまず、デボラの方のメリットは何か。
彼女は年齢を重ねてもなお舞台で主演を務めるスター女優です。
が、女優としての成功を讃えて「君は年にも萎れぬ花だ」と褒めるヌードルスに「自分は年で萎れた花だ」と寂し気に語ります。そして彼女は今、大物政治家となったマックスと愛人関係にある。
おそらく、舞台の主役は自分の実力で得たものではなく、マックスの後援があるから回ってきた仕事ということなのではないでしょうか。
デボラはマックスをパトロンに迎えて主演女優の地位を守る。そしてマックスはデボラをベイリー財団の広告塔として利用する。両者にとって利益を生む関係です。

加えてマックスにとっては、デボラも自らの成功を示すカードの一つだったのではないかと思います。
デボラはかつて、愛していたヌードルスとの付き合いは断ちました。それは彼がギャングで、自分の女優活動の妨げになると考えたからです。
でも彼女は、嫌っていたマックスからの援助は受け入れた。これは彼がもうギャングではなく、実業家や政治家として社会的地位を確立していたからでしょう。

マックスは、社会的に成功すればデボラも手に入れられることをヌードルスに証明したかった。
これが、デボラを愛人にした理由だと私は思っております。


●全てはヌードルスに自分を認めさせるため

マックスが共同基金を奪ったのも、デボラを愛人にしたのも、目的ではなく手段に過ぎないと思います。
本当の目的は、ヌードルスに自分を認めてもらうこと。そして彼に必要としてもらうこと。
少年の頃、密造酒の運搬中に河へ落ちたヌードルスに、マックスはボートの上から「俺が必要だろ?」と問いかけました。
あの問いは大人になってもずっとマックスの中にあって、ヌードルスの「お前が必要だ」という答えを待ち続けていた。マックスは、ヌードルスに自分と同じボートに乗って欲しかったんだと思います。

ワンス初見時、「長官」と呼ばれる立場にまで上り詰めたマックスの生存が35年もヌードルスにバレなかったのは何故だろう?と不思議に思いました。
映画ではTVニュースの中でも顔は映し出されないけど(ネタばれになるから当たり前だけど)、マックスがベイリーとして有名になればなるほど顔が露出する機会もあったはず。もしヌードルスに知られたくなかったのなら、顔を整形して完全に別人になるか、NYから逃げたヌードルスを探し出して始末した方が安心ですよね。実際、35年経ってもヌードルスを見つけて呼び戻す力がマックスにはあったのだし。
でもマックスが「自分が本当は生きていることがバレてもいい、むしろヌードルスに気付いて欲しい」と願っていたのなら辻褄は合うと思います。

ただヌードルスはマックスが期待していた以上に鈍かったし、そもそも見ている世界が違っていた。
おそらくヌードルスには、マックスが見ている世界(生き馬の目を抜くような熾烈な競争社会)が見えないんです。
だからマックスがあれこれ痕跡を残しても、気付くことはないまま35年の月日が流れた。

そんなある時、マックスはこれまでの汚職の数々が露見して窮地に追い込まれます。裏で繋がっていた組織(ギャングたち)からトカゲの尻尾切りのように始末されることを察したマックスは、待ち続けたヌードルスを自分から呼び出すことにした。
35年間のことを全て話し、彼に最後の仕事を手伝ってもらおうとしたのです。
マックスはヌードルスに「友達を裏切った俺に復讐しろ、俺を殺せ」と言ったけれど、それはマックスの流儀にのっとったやり方なんですね。
そしてヌードルスは最後まで、マックスの仕事の流儀には賛同できなかった。
殺さないと決めたヌードルスに、マックスが「それがお前の復讐なのか?」と尋ねると、ヌードルスは首を振って「いや、俺の考え方だ」と答えます。

ヌードルスも、マックスに35年間裏切られていたことにはショックを受けた。
でもそれは今の彼を殺す理由にはならない。
自分の中のマックスはもう死んでいて、彼との「良い友情」は35年前に終わっている。
それでいい、とヌードルスは決めたんでしょう。

過去の幸福な思い出があれば生きて行けるヌードルスと、常に未来を見据えて高みを目指し続けるマックス。
彼らはとても仲の良い親友同士だったけれど、見ている世界があまりにも違いすぎた。
それが二人の間に裏切りと悲しい結末を生んだ原因なのだと思います。


③デボラとキャロル

マックスとデボラについては裏切った理由のところで大体語ってしまったので…(笑)
マックスとキャロルについてちょっと語りますね。

キャロルについて引っかかったのは、終盤のベイリー財団の施設でヌードルスと再会するところ。
これ何の施設なのかがよくわからなかったんですが、音声解説によるとベイリー財団が運営する福祉施設で、キャロルは現在ここで働いてるんだそうです。マジか。
で、キャロルはヌードルスに35年前のあの夜のことを語るわけですが…果たして彼女は本当に真実を語っていたのか謎なんですよね。

あの施設で働いているのだとしたら、キャロルがマックスの生存に気付いていないとは考えにくい。
というか普通に考えて、マックスがあの施設でキャロルを働かせてるんだろうなって思うよね…昔の恋人が別人になりすまして作った施設で働いてます、なんて偶然そうそうないでしょ。
であればキャロルも、マックスがベイリーという名で生きていることは知っている。
そしてそのことを、自分からヌードルスに知らせるつもりはない。
ついでに、マックスとデボラの関係についても彼女は勿論知っていて、知らないふりをしているのだろうなとも思いました。
デボラが映っている写真についてヌードルスが「この女優と知り合いか?」と尋ねた時、目を伏せて「いいえ」と答える表情とかね…あーキャロルはまだマックスを愛してるんだろうな、と感じて切なくなりました。

推測ですが、35年前キャロルはマックスが本気で銀行強盗をする気だと信じていたんでしょう。
だから犬猿の仲のヌードルスに頼ってまでマックスを止めようとした。
しかし全てはマックスの計略だった。彼女も自分が手駒にされていたことに後から気付いたはず。
にも拘わらず、35年経った今でもマックスの目の届く所にいる。

ヌードルスがいつまでもデボラを想い続けたように、おそらくキャロルもずっとマックスを想い続けていたのでしょう。
やっぱりこの二人似てると思うなぁ…貞操観念は緩いけど、本命には一途なところとかそっくり(笑)
そしてマックスに関してはライバルのような関係でもある。
キャロルがヌードルスにマックスの生存を教えなかったのは、「(マックスが話していないことを)自分が言うべきじゃない」というマックスへの気遣いと同時に、「教えてやる義理はないわ、自分で気付きなさいよ」というヌードルスへの対抗心もあったんじゃないかなぁ。
キャロルは惚れた相手がヤバい奴だったせいで大変な目に遭ってきたと思うけど、一途にその想いを貫く生き方はかっこいいなと思うのでした。


というわけで、滅茶苦茶長くなりましたが「ここがヤバいよ、マックスさん!!」考でした。
ワンスは長い映画ですが台詞量は控えめで、役者の表情や仕草、情景や音楽にストーリーを語らせる部分が多い作品だと思います。意図的に想像の余地を沢山残した作りになっているんですよね。
そのため「こういう台詞があったから〇〇と言える」と証明するのは難しく、ここに書いたことも想像の域を出ません。観た人の数だけこの作品の真実があると思います。

ただ、これだけ全力で読み解きたくなる作品やキャラクターたちに出会うことも中々ないので、とても貴重な出会いになりました!
そして改めて、雪組版のワンスがどういう解釈で描かれるのかが楽しみでなりません。
ということで、次は「のぞさきがヌードルスとマックスを演じるということについて」をまとめたいと思います!
最後まで読んで下さった方、どうもありがとうございました!!

2 件のコメント:

  1. アプローズ2019年12月8日 14:14

    綿密な考察同意しながら読ませていただきました。ヌードルス、マックス、デボラ、キャロルの4人の“誰が誰をどんな風に愛していたのか?”“誰がどこまで真実を知っていたのか?”の組み合わせによって観た人の数だけ解釈が生まれる興味深い映画ですよね。私はマックスがヌードルスを裏切った理由はヌードルスを今の境遇から逃がすためだったらロマンチックだなと。仰るように少年のようなヌードルスですから、ギャングとして世渡りができず早晩破滅(死)するだろう。そう考えたマックスがヌードルスを組織に追われることなく逃がすために一芝居うつ。そして黒幕はデボラ。ヌードルスとのレストランデートでパトロンがいることを匂わせていたデボラです。ギャングの大ボスか政治家とつながっている。デボラとマックスは愛するヌードルスを少年のまま自分たちの汚い世界から逃がしてやる共犯関係だった。
    私はすぐエンタメとして盛り上げるにはどうしたらいいか考えてしまいますが、カアネさんの考察のほうが自然だし芸術路線ですよね。小池先生は原作映画通りに色々解釈できるようにされるのか、それとも何らかの解釈を示されるのか、楽しみです。  アプローズ

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  2. 初めまして、コメントありがとうございます!
    おっしゃる通り、人間関係をどう読み解くかによって解釈が変わる味わい深い映画でした。一言で愛と言っても、「誰が誰をどんな風に」は凄く大きなポイントになりますよね。
    そしてアプローズさんのマックスとデボラの共犯説、滅茶苦茶興奮しました!!(笑)
    ヌードルスのために裏で手を組む二人ってゾクゾクしますね…マックスのためにヌードルスとキャロルが手を組んだように、ヌードルスのためにマックスとデボラが手を組んだ可能性もあるかもしれません。NYを離れたヌードルスに組織の手が及ばなかったのはマックスの根回しかなと思ってましたが、デボラも一枚かんでいたとしたら面白いし、とてもロマンチックだと思います。

    映画がいかようにも解釈できる分、私も小池先生版がどうなるのか本当に楽しみです。初日が待ち遠しいですね!

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