2019年12月18日

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」エクステンデッド版とジミーの話

※原作映画を予習済みの方向けの内容です。
未見で読まれると何の話だかさっぱり分からない上に、重大なネタバレだけ知ることになるのでご注意ください。また、ここに書いたことは全て個人的な解釈です。
そしていつものことですが、この記事も長いです。


「おめーまだこの映画の話すんのけ!?」と自分でも自分にツッコミを入れましたが、エクステンデッド版&劇団公式の人物相関図を見たらまた語りたくなってしまったもんで…へへっ!
というわけで「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」エクステンデッド版(以下ワンス・エクステンデッド版)の追加シーンと、翔君が演じるジミーについて語ろうと思います。ご興味あればお付き合いくださいませ。

●ワンス・エクステンデッド版の話

さてさて、まずはワンス・エクステンデッド版について。こちらは映画を作成したレオーネ監督の死後、ご遺族の助言などを元にテストフィルムとして撮影された部分を本編に付けたし、「監督の意図に最も近い版」として公開されたバージョンです(とはいえ完全版はレオーネ監督自身の編集によるものなのに対し、エクステンデッド版は監督の死後20年以上経ってから作られたようなので実際の所は分かりませんが)
そんな完全版から追加になっていたシーンは下記の通り。

◆ヌードルスが墓地責任者の女性と霊廟について話すシーン、及び墓地でヌードルスの様子を窺う不審な車のカットが追加。
◆ダイヤ強奪後に車ごと海に飛び込んだマックスたちが海面に浮かび上がるが、ヌードルスだけ浮かんでこないというシーンが追加
◆ヌードルスがベイリー邸の様子を窺っているシーンが追加。この時、墓地で見かけた不審な車が屋敷から出てくるも、そのまま爆発する。ついでに清掃車もちょっと映る。
◆劇場前でデボラを待っているヌードルスと送迎車の運転手が、ユダヤ人として生きることについて話す場面が追加。
◆デボラ暴行後、酒場で泥酔していたヌードルスとイヴの出会い&ベッドシーンと、デボラが汽車に乗る前に一人でレストランにいる場面が追加
◆デボラの主演舞台「アントニーとクレオパトラ」のワンシーンが追加(ヌードルスも客席にいる)
◆ヌードルスと再会する直前に、ベイリー邸でマックスとジミーが密談していたシーン追加

追加シーンで一番印象が変わったのは労働組合委員長のジミーと、ヌードルスの愛人・イヴでした。イヴはデボラショックでヌードルスが作った恋人なのかと思ってたけど、完全に愛人というかヤクザの情婦(イロ)って感じでしたね!
二人の出会いはデボラ暴行事件の直後でして、酒場でやけ酒を煽っていたヌードルスにイヴが声をかけたのが始まり。で、ヌードルスはベロベロに酔った状態で大金をイヴに渡すと「抱かせろ。ただ、名前はデボラと呼ぶ」と迫り、イヴは(良いカモ見つけた!)とばかりに「お安い御用よ」と引き受けた。そのままベッドシーンに突入するも(BGMは何と「アマポーラ」)ヌードルスは酔いつぶれて寝落ち…という、何かもう色んな意味で「あーあ…」とため息ついちゃうシーンでした(笑)。

あとヌードルス、マックス、デボラも追加シーンを見てちょっと印象が変わったかな…でもまぁ、映画としての完成度は「完全版」の方が高いと思います。追加映像部分はテストフィルムを使っていることもあり、画質が急に悪くなるんですよね。何も知らないでエクステンデッド版から見ると違和感が凄いんじゃないかな。
そして全体的に説明的なシーンが完全版ではカットされていたんだな、という印象です。エクステンデッド版の追加シーンを見ると話の繋がりが分かりやすくはなるけど、情報とはありすぎても物語をつまらなくするもの。ヌードルスとイヴの関係なんかは完全版の方が色々想像できる面白さがあったし、そういう「観客の想像に任せる」部分が多い完全版の方がこの作品の雰囲気には合っていたように思います。


●人物相関図とジミーの話

見た瞬間、「なっっっっっが!!」とつい笑ってしまった劇団公式の滅茶苦茶長~~い人物相関図www
あれを見て、イケコ先生は当時の社会情勢を分かりやすくする人物関係を作ってくれたんだな~!!と嬉しくなりました。
映画初見時、ジミーの労働組合とギャングの関係ってのがよく分からなかったんですよね。なのでベイリー長官の汚職事件のあたりも何とな~くしか把握できず…「とりあえず、悪いことやってたのがバレたんだな!!」くらいの理解度でした(笑)
でも当時の時代背景やジミーのモデルとなった人物についてちょっと調べてみると、おそらく映画公開当時は特に説明しなくても「あぁ、ジミー・ホッファの事件が元ネタか」と分かる観客が多かったんだろうと思います。名前もそのまんま「ジミー」にしてるくらいだし。
ということで、ざっくりですがワンスのジミーのモデルとなったジミー・ホッファという人物についても紹介しますね!


大恐慌時代、ドイツ系移民のジミー・ホッファ(以下ホッファ)は食品チェーン店で配送の仕事をしていました。しかし過酷な労働条件に不満を募らせ、ある時ついに同僚たちと仕事をボイコット。ストライキを起こして労働条件の改善を迫りました。
当時、アメリカでは多くの移民が過酷な労働条件で働かされていましたが、ストライキは法律で禁止されていました。その上雇用者たちは、反抗的な労働者を暴力で従わせることも多かったようです。超不景気だったこともあり、雇用側が圧倒的に強い立場にいたわけですね。そんな中、法律にも暴力にも怯まず立ち上がり、仲間たちを扇動するカリスマ性も持ち合わせていたホッファは、やがて全米トラック運転手組合(労働組合)の委員長になります。

しかし、ホッファは「やられたらやり返す」タイプの人間でもありました。雇用者側の暴力に対抗するために、自分もギャングを味方に引き入れたのです。アメリカの労働運動の裏側では、雇用者側と労働者側のそれぞれが雇ったギャングやマフィアの抗争が起こっていたのでした。
そしてホッファは、雇用者には「こちらの条件を飲まないとストライキを起こすぞ」と迫り、ストに非協力的な労働者(スト破り・非組合員と呼ばれる人たち)には「ストに協力しないと痛い目を見るぞ」と脅し…えげつない手を使いながらも支持者を集め、組合をどんどん大きくしていきました。その影響力は政治の世界にまで広がり、1960年代には共和党・民主党に次ぐ第三の政治勢力にまで成長します。
しかし裏社会との繋がりや、組合年金の不正運用を問題視されて1967年にはついに投獄されることに。それでもなんやかんやで上手く立ち回って4年で出所し、再起を計っていたホッファですが…1975年7月30日、彼は突然失踪します。

この失踪は全米中で大きな話題となり、「車ごと圧縮機にかけられた」とか「バラバラにされて野球場に埋められた」とか様々な都市伝説が生まれました。いずれにせよ、もう旨味がなくなった彼を邪魔に思った裏社会の誰かに殺されたのだろう、というのが一般的な見解のようです。


というのが実在したジミー・ホッファの来歴なのですが…最後の辺り、誰かを思い出しませんか?
そう、映画の中でマックスが辿った末路と似ているんです。
大物のマフィアやギャングたちと裏で繋がって上手くやっていたはずが、いつの間にか用済みの人間と見なされて始末されてしまう…そして一際ゾワッとしたのが、「ジミーは殺されてバラバラにされた」という都市伝説の部分。
ワンスのクライマックスで清掃車を登場させたのは、この都市伝説を彷彿とさせる意図もあったんじゃないかと思います。

ワンス・エクステンデッド版では、ヌードルスとマックスがベイリー邸で再会する直前に、マックスとジミーが密談する場面が追加されていました。TVニュースのインタビューでは「自分は清廉潔白だ」なんてしれっと話していたジミーの、本当の姿が分かる場面になっています。
マックスとジミーは35年間癒着しながら、お互いに利益を得ていました。しかし汚職の嫌疑から逃れられなくなったマックスをジミーが見限り、マックスの権限を他者に譲って自殺するように迫るのです。この時のやり取りで、ニュースで報道されていた自動車爆発事件もジミーの差し金らしいことが分かります。追い詰められたマックスは、自分だけ逃げようとしているジミーに怒りをぶつけながらも、最後には権限の譲渡を受け入れます。そしてジミーは今夜中に命を絶つようマックスに言い残してパーティー会場へ姿を消し、入れ替わるようにヌードルスがベイリー邸へやって来る…という流れです。

ワンス・完全版ではこのマックスとジミーのやり取りがカットされていたこともあり、労働組合とギャングの関係なぞ知らない私のような人間には正~直話が分かりませんでした!
でもある程度アメリカの近代史や社会事情を知っている人が見れば、この場面がなくてもマックスとジミーが癒着していたことは想像が付くことでしょう。
加えて、その後に登場する大型トラックの清掃車とゴミをバラバラに粉砕するローラー。あれを見ればホッファの事件を思い出す観客も多いだろうし、説明っぽくなる密談シーンをカットして想像の余地を残した方が面白いとレオーネ監督は考えたのかもしれません。

ちなみにあの清掃車の場面、歩いて来るのがマックス役のジェームズ・ウッズではなく別の役者だって初見で気付かれた方っているのかなぁ…?私は言われるまで全然気付きませんでした(笑)
これはBDの特典映像でジェームズ・ウッズがコメントしていたのですが、あの場面で監督はあえて替え玉の役者を使ったんだそうです。本当にマックスが清掃車に飛び込んだのかどうか「見た人の想像に任せたい」と考え、意図的に観客を戸惑わせようとしたんだとか。マジか、監督の狙いがすごすぎて恐いよ!!
「一つ確かなのは、マックスが翌日の夕食には現れないこと。それが伝わるのが大事で、どうやって死んだかは関係ない」というのが監督の言だそうですが、ホッファの最期を皮肉る意味も込められていたんじゃないかなぁ…ワンスにおいて、ホッファをモデルに作られたキャラクターはジミーですが、マックスにもホッファのイメージが投影されていたように思います。
それと同時に「大きなトラックの陰にマックスが姿を消す」という映像が、ヌードルスとマックスの出会いの場面(馬車の陰でスリを企んでいた場面)を思い起こさせる効果も生んでおり、とても重層的な意味を持つ場面にもなっています。
清掃車の外装に「35」と大きく書かれていたのも印象的でしたねぇ…ヌードルスとマックスが35年ぶりに再会したことにかけているんでしょう。
彼らがすれ違い続けた35年という長い時間。ヌードルスが大切にしてきた美しい思い出。そしてマックスが築き上げてきた全て。それら全てがゴミ清掃車に粉砕されてしまったかのような虚しさと哀愁。
台詞が一切ないのに、ここまでインパクトのある場面を作ったレオーネ監督って凄いなぁと改めて思います。

ただまぁ、1930~70年代のアメリカの労働問題を詳しく知っている人なんて現代日本では少ないでしょうし、舞台版ではそこら辺を分かりやすくするためにもジミーの役を膨らませたんだろうと思います。
青年期の人物相関図を見るとジミーがストライキを起こす運送会社の社長や、その会社と癒着しているマフィアの存在がしっかり書かれていますもんね!映画ではあまり描かれていない、労働組合のカリスマリーダーとしてのジミーが見られるんじゃないかとワクワクしますわ~!!
そしてエクステンデッド版のマックスとの密談シーンもあるとしたら更に楽しみ!
マックスを追い詰めるジミーの「こいつが一番悪者なのでは?」感がとても良かったので、舞台上でさきちゃんを追い詰める翔君が見られるかもしれないと思うと…は~~めっちゃ楽しみじゃんね!?
「ひかりふる路」で、さきちゃんのダントンを追い詰める翔くんのロラン夫人がさ、も~滅茶苦茶好きなんですよね…そんな雰囲気がまた見られたら嬉しいなぁ。
ついでにマックスとジミーはどちらもジミー・ホッファをモデルにしている部分があると思うので、その二人を彩彩が演じるというのも面白いのではないかと!思います!!まーどっちも酷い人間ですけどね!!(笑)

しかしエクステンデッド版…Amazonの商品説明には「マックスとジミーの密談シーンが追加されている」とだけ書いてあったので、「密談ってどのタイミングでしてるの!?35年前!?それとも現在!?」と悶々としましたが(それによってマックスとヌードルスの解釈が変わるかもしれないと思ったので。結果的に、エクステンデッド版を見てもそこは変わりませんでした)
このタイミングでムービープラスがエクステンデッド版を放送してくれたのが本当にありがたかったです!ツイッターで放送を知ることができたのもメチャメチャありがたかった…は~インターネットありがてぇ!!

とりあえず、観劇前に出来る限りの予習はしたように思うので後はイケコ演出版を楽しみに楽しみに待ちたい所存です!!
人物相関図でマックスからデボラへの→を見て「おっ、そう来るのね」と思ったし、清掃車は出てこないそうなのでどういう結末になるのかも楽しみだよ~!!


…あと本当~にどうでもいい余談ですが、ギャングとマフィアの違いって皆さんご存じでした?私は知りませんでした。
どっちも犯罪と暴力で金を稼いでるのは同じなんですが、マフィアはイタリアのシチリア島で活動する、あるいはシチリア島にルーツをもつ組織というのが元々の定義なのだそう。
だからヌードルスたちはマフィアではなく「ユダヤ系ギャング」と紹介されるわけですね、なるほど。

2019年12月7日

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」について考える③

※今回は考察というより、ただの長い萌え語り文です。


【のぞさきがヌードルスとマックスを演じるということについて】

長々と書いてきた「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」の考察ですが、書き始めたきっかけは最初の①に書いた通り「さきちゃんが演じる予定のマックスが色んな意味でヤバい奴だったから」でした。

でも実はもう一つ大きな理由がありまして、それは「さきちゃんが望海さんともう一度『ドン・ジュアン』を演じたいと思っている」と知ったことでした。
というのも、「ワンス」のマックスって「ドン・ジュアン」のドン・カルロと似ている部分があるのでは?と思ったんですよ。
もちろん、人物としては全然似ていません。ただ、ドン・カルロがドン・ジュアンに対して抱いていた感情と、マックスがヌードルスに対して抱いていた感情には共通点があるように思ったのです。

というわけで、「ドン・ジュアン」から始まった【のぞさき】を振り返りつつ、お二人がヌードルスとマックスを演じることについて語りたいと思います。
あ、ちなみに今回は超!個人的な!萌え語りです!!
読んでも作品解釈に役立つような内容はあまりないと思いますんで、そこんとこよろしくお願いします!!


さて、私がワンスのBDを観賞する少し前、雑誌「婦人画報」にさきちゃんのインタビューが掲載されました。
過去の出演作から特に印象深い場面を語るという内容で、さきちゃんが挙げていたのが「ドン・ジュアン」の「悪の花」というナンバー。ご覧になった方ならすぐに「分かる」と深く深く頷く場面かと思いますが…酒と快楽に溺れる日々を過ごす超プレイボーイのドン・ジュアン(だいもん)と、そんな彼を善の道へ導こうと奮闘する友人ドン・カルロ(さきちゃん)がお互いの主張を激しくぶつけ合う、まさに「殴り合いのような」デュエット曲です。
そしてそのインタビューの中でとても印象的な言葉がありました。


ドン・ジュアンに対する気持ちはなんだったのだろうといまだに思うんです。友情なのか、それを超えた愛情なのか、正しい道を歩ませたいという使命感なのか……。これだ!という感情は最後まで見つかりませんでした(「婦人画報」2019年11月号 p.325より)


…「ドン・ジュアン」大好きマンのわたくし、この部分を読んだ瞬間「ッアーーー!!!」と叫んで思わず天を仰ぎましたわ。そう、それだ!!って思ったんですよね。激しく同意ってやつです。
さきちゃんが演じたドン・カルロ君は滅茶苦茶良い奴で、女性にも紳士的で礼儀正しい好青年で、人としてかなりKUZUなドン・ジュアンと何で友人なのかが分からないくらいで…むしろ唯一の欠点が「ドン・ジュアンの友人」ってところなのでは?と思うような人物でした。
でもカルロ君はひたすらにドン・ジュアンのことを想い、どんなに冷たくあしらわれても諦めず、彼を良い方向へ導こうと説得し続け、最後には一人で死を選んだジュアンのことを「死ぬことはなかったのに」と悼むのです。
一応カルロ君にはエルヴィラという好きな女性がいる設定ですが、どう見てもジュアンへの想いの方がデカすぎて「あんた、あの子(ジュアン)の何なのさ!?」と作品を見る度に問い詰めたくなりました。ていうか未だに心の中で問い詰めてます。

ただその「デカすぎるジュアンへの想い」が一体何なのか、私も長いこと答えは出ませんでした。
だからこそ、さきちゃんの「これだ!という感情は最後まで見つかりませんでした」というコメントに天を仰いだわけです。
ドン・カルロがドン・ジュアンへ向けていたのは、「友情」や「愛情」のように単純にカテゴライズできないけれど、とてもとても大きくて深い感情。答えはそれで良かったのだ、と思って。

そして、同じように「カテゴライズできないけれど、大きくて深い感情」を友人に対して抱えていると思ったのがワンスのマックスでした。
ドン・カルロは「大切な友人(ドン・ジュアン)には自分と共に善の道を歩いてほしい」と願って行動していた人だと思います。
それに対して、マックスは「大切な友人(ヌードルス)には自分と共に悪の道を歩いてほしい」と願って行動していた人だと思うんです。
善と悪という方向性こそ真逆だけど、「大切な友人と、同じ道を歩いていきたい」という二人の願いは同じだったと思うんですよ。そのためにドン・カルロもマックスも、最後まで諦めずに一緒に歩きたい道を友に示し続けた。
そういうところが、二人を似ていると思った所以です。

宝塚では、どんなに評判の良かった作品でも同じキャストで再演が行われることはまずありません。
どれだけ願っても、のぞさきで「ドン・ジュアン」が再演されることはないでしょう。…滅茶苦茶残念ですけど。
ただ、全く同じではなかったとしても、さきちゃんの中で「最後まで見つからなかった感情」が再びだいもんへぶつけられる瞬間をもう一度見られるかもしれない(そして考えたくないけど、これが最後のチャンスになるかもしれない)
そう感じたからこそ、絶対にお二人のヌードルスとマックスを見たいと思ったし、こうして萌え語りをするためにも原作をきちんと理解せねば…と思ったわけです。
いや~長い道のりでした…!(笑)

のぞさきの好きな所は色々ありますが、中でも濃厚な人間ドラマを見せてくれる所が私は本当に好きなんですよね。

「ひかりふる路」のマクシムとダントンは深い絆で結ばれた親友でありながら、政治的な考え方の相違からやがて関係に亀裂が生じ、マクシムはダントンを死に追いやる。
「ファントム」のエリックとキャリエールは実の親子だが長年名乗り合うこともできずにすれ違い、理解し合えたのも束の間、最後にはキャリエールがエリックを銃殺…。
「壬生義士伝」の貫一とジロエは幼馴染の大親友であったが、身分の違いから進む道が分かたれてしまい、ジロエは貫一に切腹を命じなくてはならなくなる。

…なんかさ、濃いっていうか重いっていうか、人間関係をこじらせすぎじゃない…?
共通してるのは、どれも「お互いを大切に思う気持ちに嘘はないのに、時代背景や環境のせいで気付けば関係がこじれてしまっていて、ついには悲劇的結末を迎えてしまう」ということ。
そう、どれも本当にね…とても深い友情や家族愛で結ばれていた人たちなんですよね。
ダントンはマクシムが狂気の道に堕ちないよう命懸けで彼を止めようとした結果の死だし、キャリエールはエリックを愛していたからこそ「殺してくれ」という彼の望みに応えて銃を撃った。
そしてジロエは国を守るために貫一を殺してしまったことから、自らも悲劇的な運命を辿るという…。

せ、切ねぇ~!!ライバルとか敵役とかではなく、親友や親子なのに毎回上手くいかないの切なすぎません!?(笑)
最近の他組のトップ&二番手が演じてきた関係性を思い返しているんだけど、のぞさきほど友情や家族愛をこじらせているところって他にない気がして…。普通に親友とか、普通にライバルとか…親友なのに殺しちゃうとかあまり見ない気がするんだけど??
別箱公演では違うものの、大劇場公演では何故か毎回どちらかがどちらかを殺す最後を迎える二人…何故なんだ…でもそこが堪らなく好きだ…(笑)

私はさきちゃんの、誰かと組んだ時のお芝居、特に深い愛情を抱いている相手と向き合う時のお芝居がとても好きです。
そしてこれまで、さきちゃんが向ける深い愛情を色々な形で受けてきただいもんのお芝居がまた滅茶苦茶好きなんです。
ドン・カルロも、ダントンも、キャリエールも、ジロエも、性格や年齢は全然違いますが、皆とても情が深い人々でした。
そして彼らの想いを、ドン・ジュアンは見向きもせず、マクシムは疑い、エリックは受け止め、カンイチは意地で突っぱねた。
こうして並べて見ると全部違って、全部大好きだなぁと改めて思います。
恋愛的な愛とはまた違う、様々な愛の形や複雑な人間ドラマを見せてくれる…そんなお二人だからこそ、濃い関係性の作品が多く生まれたのかもしれないな~なんて思う今日この頃です。

そして「ワンス」のヌードルスとマックス。
彼らの複雑な感情が、今度はどんなドラマを舞台上に生み出すのか…楽しみに楽しみにマイ初日を待ちたいと思います!

以上、「のぞさきがヌードルスとマックスを演じるということについて」語りでした。
最後までお付き合い下さった方、どうもありがとうございました!!

2019年12月4日

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」について考える②-②

※原作映画を予習済みの方向けの内容です。
未見で読まれると何の話だかさっぱり分からない上に、重大なネタバレだけ知ることになるのでご注意ください。また、ここに書いたことは全て個人的な解釈です。
そして、この記事もまた滅茶苦茶長いです!!

【ここがヤバいよ、マックスさん!!の続き】

②マックスは何故ヌードルスを裏切ったのか

ワンスにおいてストーリーの肝となる、マックスの裏切り行為。
その理由についての解釈は人それぞれだと思いますが、個人的には行き過ぎた承認欲求かなと思っています。
マックスはヌードルスに、自分を理解して認めてくれることを望んでいた。
その想いが、ヌードルスを裏切り、彼を苦しめる結果を生んだ。
この辺、上手く文章化できるか分かりませんが…順を追って整理してみますね。

少年時代、似たようなチンピラ少年だったヌードルスとマックスの立場を決定的に変えたのはバグジー殺人事件でしょう。
バグジーを殺してしまったことにより、ヌードルスは9年間刑務所で過ごすことになりました。この時彼は17~18才。ちょうど少年から大人になり始める大切な時期に、彼は世間から隔離されてしまった。
ヌードルスが出所してきた時、肉体的には大人になったものの精神的には少年の頃のままだったのではないでしょうか。
それに対してマックスは、9年の間に自分の手で会社を興し、裏の世界での人脈を広げ、肉体的にも精神的にも成熟した大人になっていたんですね。
9年という歳月は確実に彼らの間に隔たりを作っていたのに、2人はそれに気付かず昔のように仲良くやっていこうとしてしまった。
これが2人にすれ違いが生まれてしまった大きな原因だと思います。

さて、一緒にギャング業を始めたヌードルスとマックスですが、中々しっくりいきません。
マックスが仕事を円滑に進めるために大物ギャング・フランキーの下に着こうと提案すれば、ヌードルスは「昔は『ボスは要らない』と言ってたじゃないか」と反対する。
マックスが禁酒法撤廃後は政治家とグルになって新しい商売を始めようと提案すれば、ヌードルスは昔と同じチンピラ稼業の方が肌に合ってると反対する。
ヌードルスにはマックスが話す「大人の流儀」が分からないし、知りたくもない。
少年時代のチンピラ稼業よりスケールの大きい仕事は、彼の理解の範疇を超えてしまっているのだと思います。

一方マックスには、9年間蓄積してきたノウハウを活用してヌードルスともっと大きな成功を掴みたいという野望があったのでしょう。そして自分の商才にも自信がある。
でもヌードルスの共感は一向に得られない。それどころか、彼の心は自分から離れていくばかり…。
仕事を取るのか、友情を取るのか…マックスは悩んだと思います。
彼が社会的成功を得るためには、考え方の違うヌードルスが足枷になるのは目に見えている。
ただ、マックスが成功だけを望む男だったならこの時点でヌードルスを見限ればよかったんですよね。それこそ、ジミーの病室で新しく運送業を始めようかという話になった時に、反対して出て行ったヌードルスを追いかけなければ良かった話。
ここでヌードルスを追いかけたということは、マックスはヌードルスとの関係を諦めることができなかったということでしょう。
自らの成功を掴むために潔くヌードルスとの別れを選んだデボラとは大きく異なる点ですね。

そしてマックスはフロリダのビーチで、無謀な銀行強盗計画をヌードルスに提案します。
これはもうハナから真剣な提案ではなかったと思います。砂に書いた、まさに「砂上の楼閣」のような話ですね。
では何故、彼はこんな途方もない話をし始めたのか。
私は、ヌードルスの関心を自分に向けさせることが目的だったのではないかと考えています。

この時マックスが一番望んでいたことは、ジミーの労働組合と裏で組んで運搬業を始めること。
そして自分のやり方をヌードルスに理解してもらい、今後も一緒に仕事を続けていくことです。
ただ、今まで通りの話し方では上手くいかないとも分かっている。

だからまず、子供でも無理だと分かる(ヌードルスでも無理だとすぐに理解できる)計画の話から始める。
そこでヌードルスが「冗談だろ」と笑うもよし、「できるはずがないからやめろ」と止めるもよし。とにかく一度彼と同じレベル(子供レベル)まで仕事の認識レベルを落として関心を引き、共通の感覚を得る。そこから「確かに連邦準備銀行は無理かもしれないが、俺はお前と一緒ならこれくらいデカい仕事もできると思っているんだ」と説得体制に移行し、段階的に自分の仕事についての考えを理解してもらう…。
イメージとしては、家庭教師が最初に担当する生徒の学力レベルを確認し、理解できる範囲から徐々にステップアップしていく、そんな感じ。
そして最終的に、ヌードルスから新しいビジネスについて賛同を得る。
これがマックスの狙いで、銀行強盗計画はそのためのブラフだったのではないかと思います。

ところがここでもヌードルスはマックスを突き放してしまうんですね…「お前は狂っている」という地雷ワード付きで。
この時ヌードルスがマックスときちんと向き合い、真意を探っていたら彼らの結末は全く違った形になっただろうなと思います。
しかしヌードルスは「自分がマックスの仕事を理解できないのは、彼が狂っているからだ」と考えることを放棄してしまった。

そしてマックスも、思いがけず地雷ワードを言われたことでカッとなってしまい、ヌードルスの説得に失敗してしまった。
この失敗により、マックスは言葉でヌードルスに自分を理解させようとすることを諦めたのでしょう。
口で言って分からないなら、実際に見てもらって理解してもらうしかない。
そう考えたマックスは、

・フランキーのような大物ギャングや政府高官を味方に付ければ、自分の死すらたやすく偽装ができること
・新しい仕事は多額の儲けを生み、社会的に成功できること

を行動で示そうとした。
その結果、マックスはベイリーとして生まれ変わり実業家としても政治家としても成功します。
ただ彼にとって誤算だったのは、ヌードルスが自分の成功にちっとも気付いてくれなかったことでしょう。
そう、マックスはヌードルスに自分が生きていると気付いて欲しかった。気付いて、自分の価値を認めて、必要として欲しかったのだと思います。

ただここで引っかかる点もあります。
何故、マックスは共同基金とデボラまで奪ったのかということ。
この点もちょっと考えてみますね。


●共同基金を奪った理由

マックスはヌードルスを出し抜いて、少年時代から貯めていた彼らの共同基金を奪いました。
ではマックスの目的は金だったのか?いいえ、彼はお金に困っていたわけではないので違うでしょう。
フロリダでヌードルスに話した100万$の蓄えというのは共同基金のことだと思いますが、それ以外に個人の資産もあったはず。ビーチでくつろいでる姿から見ても、金目的で親友を裏切るほど困窮しているようには見えません。

では何故金を奪ったのかといえば、考えられる理由は二つ。
一つは、死亡偽装後に自由に使える資金とするため。
ここでポイントになるのは、金だけが目的ならそもそもあんな手の込んだ死亡偽装工作をする必要はないということ。単に金を独り占めしたいだけなら、ヌードルス・コックアイ・パッツィの3人を不意打ちで殺害してしまう方がよっぽど簡単なはずです。
まず死亡偽装をするという目的があって、その後のことを考えて金も確保しておいたというところでしょう。

そしてもう一つは、自分の生存をヌードルスに気付かせるため。
繰り返しになりますが、マックスの最大の目的はヌードルスに自分の仕事を理解してもらうことです。
その証明の一つとして、マックスは自分の死を偽装するトラック事故を起こした。
ヌードルスを密売酒の運搬トラックには乗せず、不自然な程に黒焦げな替え玉死体を用意し、ロッカーの鞄の中身も先に入れ替えておく(鞄の中身に新聞紙を詰めておいたのも、身元判別が難しい遺体の死亡ニュースが早々に新聞で報じられるのはおかしいというヒントだったのかも?)

コックアイとパッツィは顔が識別できる状態で死んでいたし、ファット・モーはギャングに暴行されていて動ける状態ではなかった。恋人のイヴも殺されているし、キャロルは共同基金の存在すら知らない様子だった(フロリダでのマックスとの会話から)
ヌードルスが冷静に事態を把握していれば、この時点でマックス生存の可能性に気付けたかもしれません。そのための痕跡を、マックスは敢えて残していたのだと思います。
まぁ残念ながらヌードルスは最後まで全く気付きませんでしたけどね…。


●デボラを奪った理由

もう一つマックスがヌードルスから奪ったものと言えば女、そうデボラです。
マックスはデボラを少なくとも15年以上愛人として側に置いていたようですが、この二人に恋愛的な感情が芽生えるとはどうにも考えられないんですよねぇ…どっちもヌードルス一筋だし。

仮に愛が芽生えていたのなら、マックスは後妻としてデボラを迎えてもよかったのではないかしら。デボラの方も、楽屋でヌードルスと再会した時の態度がもっと違ってたんじゃないのかな。あの時のデボラは、マックスに会えばヌードルスがショックを受けると心配して、ヌードルスのために二人の再会を防ごうとしてましたからね。
そして何より、この二人は「恋より仕事」に生きる人たち。
お互いの利害が一致したから一緒にいると考えた方が、個人的には納得がいきます。

ではまず、デボラの方のメリットは何か。
彼女は年齢を重ねてもなお舞台で主演を務めるスター女優です。
が、女優としての成功を讃えて「君は年にも萎れぬ花だ」と褒めるヌードルスに「自分は年で萎れた花だ」と寂し気に語ります。そして彼女は今、大物政治家となったマックスと愛人関係にある。
おそらく、舞台の主役は自分の実力で得たものではなく、マックスの後援があるから回ってきた仕事ということなのではないでしょうか。
デボラはマックスをパトロンに迎えて主演女優の地位を守る。そしてマックスはデボラをベイリー財団の広告塔として利用する。両者にとって利益を生む関係です。

加えてマックスにとっては、デボラも自らの成功を示すカードの一つだったのではないかと思います。
デボラはかつて、愛していたヌードルスとの付き合いは断ちました。それは彼がギャングで、自分の女優活動の妨げになると考えたからです。
でも彼女は、嫌っていたマックスからの援助は受け入れた。これは彼がもうギャングではなく、実業家や政治家として社会的地位を確立していたからでしょう。

マックスは、社会的に成功すればデボラも手に入れられることをヌードルスに証明したかった。
これが、デボラを愛人にした理由だと私は思っております。


●全てはヌードルスに自分を認めさせるため

マックスが共同基金を奪ったのも、デボラを愛人にしたのも、目的ではなく手段に過ぎないと思います。
本当の目的は、ヌードルスに自分を認めてもらうこと。そして彼に必要としてもらうこと。
少年の頃、密造酒の運搬中に河へ落ちたヌードルスに、マックスはボートの上から「俺が必要だろ?」と問いかけました。
あの問いは大人になってもずっとマックスの中にあって、ヌードルスの「お前が必要だ」という答えを待ち続けていた。マックスは、ヌードルスに自分と同じボートに乗って欲しかったんだと思います。

ワンス初見時、「長官」と呼ばれる立場にまで上り詰めたマックスの生存が35年もヌードルスにバレなかったのは何故だろう?と不思議に思いました。
映画ではTVニュースの中でも顔は映し出されないけど(ネタばれになるから当たり前だけど)、マックスがベイリーとして有名になればなるほど顔が露出する機会もあったはず。もしヌードルスに知られたくなかったのなら、顔を整形して完全に別人になるか、NYから逃げたヌードルスを探し出して始末した方が安心ですよね。実際、35年経ってもヌードルスを見つけて呼び戻す力がマックスにはあったのだし。
でもマックスが「自分が本当は生きていることがバレてもいい、むしろヌードルスに気付いて欲しい」と願っていたのなら辻褄は合うと思います。

ただヌードルスはマックスが期待していた以上に鈍かったし、そもそも見ている世界が違っていた。
おそらくヌードルスには、マックスが見ている世界(生き馬の目を抜くような熾烈な競争社会)が見えないんです。
だからマックスがあれこれ痕跡を残しても、気付くことはないまま35年の月日が流れた。

そんなある時、マックスはこれまでの汚職の数々が露見して窮地に追い込まれます。裏で繋がっていた組織(ギャングたち)からトカゲの尻尾切りのように始末されることを察したマックスは、待ち続けたヌードルスを自分から呼び出すことにした。
35年間のことを全て話し、彼に最後の仕事を手伝ってもらおうとしたのです。
マックスはヌードルスに「友達を裏切った俺に復讐しろ、俺を殺せ」と言ったけれど、それはマックスの流儀にのっとったやり方なんですね。
そしてヌードルスは最後まで、マックスの仕事の流儀には賛同できなかった。
殺さないと決めたヌードルスに、マックスが「それがお前の復讐なのか?」と尋ねると、ヌードルスは首を振って「いや、俺の考え方だ」と答えます。

ヌードルスも、マックスに35年間裏切られていたことにはショックを受けた。
でもそれは今の彼を殺す理由にはならない。
自分の中のマックスはもう死んでいて、彼との「良い友情」は35年前に終わっている。
それでいい、とヌードルスは決めたんでしょう。

過去の幸福な思い出があれば生きて行けるヌードルスと、常に未来を見据えて高みを目指し続けるマックス。
彼らはとても仲の良い親友同士だったけれど、見ている世界があまりにも違いすぎた。
それが二人の間に裏切りと悲しい結末を生んだ原因なのだと思います。


③デボラとキャロル

マックスとデボラについては裏切った理由のところで大体語ってしまったので…(笑)
マックスとキャロルについてちょっと語りますね。

キャロルについて引っかかったのは、終盤のベイリー財団の施設でヌードルスと再会するところ。
これ何の施設なのかがよくわからなかったんですが、音声解説によるとベイリー財団が運営する福祉施設で、キャロルは現在ここで働いてるんだそうです。マジか。
で、キャロルはヌードルスに35年前のあの夜のことを語るわけですが…果たして彼女は本当に真実を語っていたのか謎なんですよね。

あの施設で働いているのだとしたら、キャロルがマックスの生存に気付いていないとは考えにくい。
というか普通に考えて、マックスがあの施設でキャロルを働かせてるんだろうなって思うよね…昔の恋人が別人になりすまして作った施設で働いてます、なんて偶然そうそうないでしょ。
であればキャロルも、マックスがベイリーという名で生きていることは知っている。
そしてそのことを、自分からヌードルスに知らせるつもりはない。
ついでに、マックスとデボラの関係についても彼女は勿論知っていて、知らないふりをしているのだろうなとも思いました。
デボラが映っている写真についてヌードルスが「この女優と知り合いか?」と尋ねた時、目を伏せて「いいえ」と答える表情とかね…あーキャロルはまだマックスを愛してるんだろうな、と感じて切なくなりました。

推測ですが、35年前キャロルはマックスが本気で銀行強盗をする気だと信じていたんでしょう。
だから犬猿の仲のヌードルスに頼ってまでマックスを止めようとした。
しかし全てはマックスの計略だった。彼女も自分が手駒にされていたことに後から気付いたはず。
にも拘わらず、35年経った今でもマックスの目の届く所にいる。

ヌードルスがいつまでもデボラを想い続けたように、おそらくキャロルもずっとマックスを想い続けていたのでしょう。
やっぱりこの二人似てると思うなぁ…貞操観念は緩いけど、本命には一途なところとかそっくり(笑)
そしてマックスに関してはライバルのような関係でもある。
キャロルがヌードルスにマックスの生存を教えなかったのは、「(マックスが話していないことを)自分が言うべきじゃない」というマックスへの気遣いと同時に、「教えてやる義理はないわ、自分で気付きなさいよ」というヌードルスへの対抗心もあったんじゃないかなぁ。
キャロルは惚れた相手がヤバい奴だったせいで大変な目に遭ってきたと思うけど、一途にその想いを貫く生き方はかっこいいなと思うのでした。


というわけで、滅茶苦茶長くなりましたが「ここがヤバいよ、マックスさん!!」考でした。
ワンスは長い映画ですが台詞量は控えめで、役者の表情や仕草、情景や音楽にストーリーを語らせる部分が多い作品だと思います。意図的に想像の余地を沢山残した作りになっているんですよね。
そのため「こういう台詞があったから〇〇と言える」と証明するのは難しく、ここに書いたことも想像の域を出ません。観た人の数だけこの作品の真実があると思います。

ただ、これだけ全力で読み解きたくなる作品やキャラクターたちに出会うことも中々ないので、とても貴重な出会いになりました!
そして改めて、雪組版のワンスがどういう解釈で描かれるのかが楽しみでなりません。
ということで、次は「のぞさきがヌードルスとマックスを演じるということについて」をまとめたいと思います!
最後まで読んで下さった方、どうもありがとうございました!!

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」について考える②-①

※原作映画を予習済みの方向けの内容です。
未見で読まれると何の話だかさっぱり分からない上に、重大なネタバレだけ知ることになるのでご注意ください。また、ここに書いたことは全て個人的な解釈です。
そして、この記事また滅茶苦茶長いです!!

【ここがヤバいよ、マックスさん!!】

はい、私だけが楽しいワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ(以下ワンス)語り第二弾です。
何しろ内容が重い作品なのでサブタイトルだけでも明るく(?)してみようとしましたが、昭和生まれのセンス駄々洩れ感が半端ないですね!
と、それはさておき。
今回はマックスの解釈を中心に、ヌードルスとの関係、そしてデボラとキャロルについても語りたいと思っております。

まず最初にワンスの根幹の話をしますね。
この作品のヒロインはデボラで、ヌードルスは生涯を通じて彼女を愛しています。

それでも「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」はヌードルスとマックスの愛の物語である。

私はそう考えています。
これは最初に映画を見た時にも感じたことだったんですが、その時点では自分でも確信が持てませんでした。
腐女子歴が長すぎてそう見えちゃうだけかな~?と思って…(笑)

でもこの映画の字幕版と吹替え版を両方見て、ついでにBD映像特典のレオーネ監督のドキュメンタリーとか、タイム誌映画評論家の音声解説(※)まで全部見て、やっぱりこれはヌードルスとマックスの愛の物語だったなという結論に至ったわけです。
(※評論家のリチャード・シッケル氏のコメントによれば、レオーネ監督は「この映画に愛の物語があるなら、それはマックスとヌードルスの愛の物語だ」と語っていたそう。またデボラ役のエリザベス・マクガヴァンも「この映画はヌードルスとマックスのラヴストーリーであるべきだ」と語っていたとのこと。ということは私の解釈も見当違いというわけではないのね~とホッとしましたw)

彼らの愛を定義することは凄く難しくて、友情という言葉では弱すぎるし、同性愛とも違う。家族愛や兄弟愛に近い気もするけど、そう言い切ってしまうのも違和感がある。
お互いを深く想い、生涯の友と認め合い、自分の命もかけられる存在。それがヌードルスとマックス。
ただ彼らが上手くいかなかったのは、ヌードルスは思い出の中で生きる人間で、マックスは未来を見続ける人間だったから。
その決定的な違いが、二人を悲劇的な顛末に導いてしまった…という切ない物語がワンスだと思うのですよ。

さて、そんな二人を語るにあたり、3つのトークテーマを設けました(カフェブレ風)

①マックスがヌードルスを好きすぎるって話
②マックスは何故ヌードルスを裏切ったのか
③デボラとキャロル

というわけでまずは①から語ります!


①マックスがヌードルスを好きすぎるって話

2人の出会いは少年時代。大体17~18歳くらいの頃だったと思われます。
ブロンクスからロウアー・イースト・サイドへ引っ越してきたマックスが、ヌードルスのスリ現場に偶然通りかかり、酔っ払いの懐中時計を横取りしたのが最初の出会い。ヌードルスは獲物を横取りされたことに最初は腹を立てますが、何だかんだですぐにマックスと仲良くなり、一緒にチンピラ稼業を始めることになります。
そしてこの頃から既にマックスのヌードルス大好きっぷりが分かるエピソードがちらほら…というわけで、まずはマックスのヌードルス好きすぎエピソードを5つ語るよ!


1.デボラとのファーストキス覗き事件

過ぎ越し祭というユダヤ教の記念日に、モーの店でこっそりデボラとデートしていたヌードルス。憧れの彼女と念願のキスができたものの、マックスがその様子を覗いていたせいでデートが台無しになるという場面があります。

この時マックスは「街の人々が出かけている間に空き巣をするため、ヌードルスを誘いに来た」と話していますが、仕事の誘いに来たという割に他のメンバー(コックアイ・パッツィ・ドミニク)はいません。
ヌードルスがデボラを好きなのはちょっと見てればすぐ分かるだろうし、マックスに彼らを応援する気持ちがあるのなら、気を遣って他のメンバーを誘いに引き返してもよさそうなところ。でもあえてマックスは2人の邪魔をして、ヌードルスをデボラから引き離そうとする。
それは2人が結ばれるのを面白く思ってないからでしょう。

マックスにとってデボラは、ヌードルスを巡るライバルのような関係だと私は思っています。
マックスは親友のヌードルスと、自分なりのやり方で暗黒街をのし上がっていこうと考えている。そしてその障害となるのがデボラ。
彼女はマックスと対照的に真っ当な道でのし上がっていこうとしている人で、ヌードルスの想い人。そしてヌードルスに更生して欲しいと願っています。もし彼女の願い通りヌードルスがカタギの人間になってしまったら、マックスは大事な相棒を失ってしまうことになる。それは絶対に避けたい。

だからマックスは、ヌードルスとデボラとの接触を邪魔したのだと思うんですよ。
その女は俺たちの邪魔になるからやめておけ、的な感じというか。
ヌードルスが商売女といちゃつく分には全然構わないけど、自分との関係に支障をきたす存在は遠ざけたいんでしょうね。

そしておそらく、デボラもマックスを同じように考えていた。彼女にとってマックスは、ヌードルスを悪の道に引きずり込む諸悪の根源のような存在だったのではないかな。
ヌードルスの出所祝いパーティーで再会した際、「自分の出所日をマックスから聞いたのか?」というヌードルスの問いに「マックスから?いいえ、違うわ」とデボラが嫌そう~に否定していましたよね。
マックスと自分が関わりを持っていると思われるだけでも嫌なんだろうな…と思ったワンシーンでした。この二人、道ですれ違っても目も合わせないんじゃなかろうか(笑)

後にヌードルスが「マックスとデボラは似ている」と話す場面がありますが、これは本当にその通りだと思います。
マックスもデボラも上昇志向が強く、好きな人間も同じ。ただ、正攻法で上り詰めようとしているのがデボラで、手段を選ばないのがマックス。
この2人の対比も、ワンスの面白ポイントですね。
ついでに、どっちつかずでフラフラとチンピラギャングを続けてしまうヌードルスの人間性もこの2人によって浮かび上がってくる。
そんな面白さもあると思います。


2.2人で河にボッチャン事件

少年時代の数少ないハッピー(?)エピソードの一つ。
ギャングの密造酒運搬を手伝ってる最中、仕事の成功に喜んでボートの上で抱き合ったヌードルスとマックスが勢い余って河に落っこちる場面。
水面に浮かび上がったヌードルスはマックスの姿が見えないことに焦り、彼の名を呼んで必死に探します。しかし、実はマックスは先にボートに上がっており、自分を必死で探すヌードルスをニヤニヤ見ているという(笑)
そしてヌードルスに「俺が必要だろ?」と笑いかけ、ヌードルスは不貞腐れたようにマックスの顔に水を吹きかけるという微笑ましい一コマ…なんですが、この「俺が必要だろ?」というマックスの言葉こそ、彼が生涯にわたって抱いていた願望なのではと思うんです。

マックスがヌードルスを必要としていたのは間違いないと思います。
使用楽曲についての考察文でも書きましたが、マックスは理屈抜きにヌードルスが好きで、彼と一緒に成功を掴みたかった。
そしてその想いをヌードルスと共有したかったし、誰より彼に自分を認めて欲しかったのではないかな…マックスがヌードルスに向ける感情には、そんな承認欲求も含まれていたと思うんですよね。

ところで、大人になった2人が仕事で意見が対立し、その口論が終結した際に「泳ぐか?」という誘い文句が出てきます。
一度目は強奪したダイヤの受け渡し時に、依頼主のジョーを殺したことで口論になった時。
二度目は禁酒法撤廃後の仕事の方向性でもめて喧嘩別れしそうになった時。
一度目はマックスがヌードルスに、二度目はヌードルスがマックスに「泳ぐか?」と尋ねて「そうだな、泳ごう」ともう一方が答える。
これは河に落ちた時のエピソードから来ている、2人が仲直りする合言葉なのかもしれないなと思いました。それだけお互いにとって特別な思い出なんでしょうね。
ついでに、口論をすると先に折れるのは必ずマックスの方というのも、マックスとヌードルスの関係性がよく表れているなと思います。


3.再会は二人きりで

仲間のドミニクを殺された怒りで衝動的にバグジーを殺してしまい、9年間服役していたヌードルス。出所したその日、マックスは一人で刑務所まで彼を迎えに行きます。
そして感動の再会~!!
…はいいんだけどさ、この時マックスはコックアイやパッツィには嘘の出所日を教えて敢えて一人で行ってるんですよね!!!!!
ええもうここで察しましたよ…マックスにとって特別な存在はヌードルスだけなのだと。

だってヌードルスが刑務所にいた9年間、一緒に仕事をしていたのはコックアイやパッツィじゃないですか。チンピラの若造に過ぎなかった3人が、表の葬儀屋業でも裏のギャング業でも大金を稼ぐようになるまで様々な苦楽を共にしているはず。
マックスが心からコックアイやパッツィを大切な仲間だと思っているのなら、3人でヌードルスを迎えに行こうと思ってもおかしくない(ヌードルスが収監される時は3人+モーで見送っているのだし)
にも拘わらず、コックアイたちには出所日を偽って教えてまで一人でヌードルスを迎えに行っている。
これはもうヌードルスとの再会の瞬間を誰にも邪魔されたくなかったとしか思えないじゃんかー…マックスよ…そんなにヌードルスを独り占めしたかったんか、マックスよ…。

しかもヌードルスは「刑務所にいる間、家族が世話になった」とマックスに礼を言い、マックスは「お前の取り分だ。ちゃんと帳簿にもつけてる」と何てことないように返事をしている(この時ヌードルスはマックスが葬儀屋業を始めたことも知っていたので、何らかのやり取りはしていたのかも)
更に更に、ヌードルスの出所祝いとして、即座にお相手をしてくれる美女の娼婦とベッド(霊柩車だけど)まで用意しておくという気の回しよう。
なんつーか、もう滅茶苦茶ヌードルスが好きだよね…マックス。ちょっと健気にすら思えてきたわ。
マックスがここまで尽くす相手ってヌードルスだけだもんなぁ。

後にマックスが死亡偽装のトラック事故を起こした時も、コックアイとパッツィは巻き添えにして殺してしまってるわけですしね。そのことについてマックスが何の弁解もしていない点から見ても、彼らはマックスの「特別」ではなかったということでしょう。


4.ヌードルス>>>>>>女

とにかくヌードルスが大好きなマックスですが、性的嗜好はストレートの模様。キャロルとも何だかんだイチャイチャしてますしね。
ただ、そもそもマックスにとって恋愛って生きていく上で重要なことではないのだと思います。
仕事と女だったら迷わず仕事を取るし、ヌードルスと女だったら迷わずヌードルスを取る。それがマックス。
それが表れているなと思ったのが、デボラを暴行した末に失恋したヌードルスがマックスたちのいるアジトを訪れる場面。

傷心からアヘン窟に入り浸っていたヌードルスが久しぶりにアジトへやって来ると、マックスたちが自分抜きで仕事を進めていたことが判明。その件でヌードルスとマックスが言い争いになり、マックスが「一緒に仕事をする以上、女の問題を持ち込むな!」と怒るとヌードルスは「ならお前も自分の女を連れ込むな!」とキャロルが同席していることを責めます。
さらにキャロルを侮辱する言葉を続けるヌードルス。そこでキャロルが反論すると、マックスは彼女をかばうどころか「俺はこの女を愛しているわけじゃない!」と何故かヌードルスに弁解するようなことを言ってキレ始め、しまいには何も悪くないキャロルを怒鳴りつけて追い出してしまいます。

この場面、どう考えても悪いのは逆切れした上にキャロルを追い出すよう仕向けたヌードルスだと思うんですけどね。売り言葉に買い言葉とはいえ、ヌードルスの望み通りにキャロルを追い出しちゃうマックスもさぁ…!お前、ホントそういうとこだよ!!(笑)
キャロルは被虐嗜好のある女性なので、マックスはわざと横暴な態度を取ったのかな?とも一応考えてみましたが、まぁないでしょうね…キャロルには気の毒ですが。

だってさぁ、ヌードルスとマックスが言い争いを始める少し前に、コックアイがアヘン窟へヌードルスを探しに行った時の話をするじゃない?その時、アヘンの幻覚作用でコックアイを「デボラ」と呼んだことをからかうと、マックスは即座に「よせ!」とコックアイを制止するんですよ。
ヌードルスがからかわれた時と、キャロルが侮辱された時の反応の違いが顕著すぎて、わたしゃもうチベットスナギツネ顔で2人を見ているしかなかったわ…。

マックスにとって大切なのは、ヌードルスと一緒に仕事をすること。
そのためならヌードルスに注意を促すこともあるけど、他の誰かがヌードルスを馬鹿にするのは許さないし、ヌードルスと自分の間に割って入るのは(一応)恋人ですら許さない。
そう、それがマックス!!(書いてて段々面白くなってきました)

しかしマックスも相当ひどいけどさ…「キャロルを部屋から叩き出せばいいのか!?」とまくしたてるマックスにウンともスンとも言わず、黙って新聞に目を落として肯定するヌードルスも大概ひどい男よな~!?
「そこで黙りこむのずるくない!?都合が悪くなると黙る子供か!?」とメモを取りながら思わず突っ込んでしまったわ(笑)

そもそも何故ヌードルスはキャロルを嫌っているんだろうか…?
性に奔放なところが気に入らないのかとも思ったけど、同じく貞操観念ゆるゆるなペギーとは昔から仲良くやってるからそういうわけでもなさそう。となると、ヌードルスも自分とマックスの間に割り込んでくる女が気に入らないとか??(この場面の冒頭、マックスとの会話にキャロルが割り込んできた時に固まってたもんな)
マックスとデボラがヌードルスを巡るライバルであるように、ヌードルスとキャロルもマックスを巡るライバルなのかもしれない。
…あ~ホントめんどくさい男たちだよ、ヌードルスとマックス…!


5.お墓と息子の件

ワンスの現在(1968年)パートは、謎解きミステリーのような面白さもありますよね。
35年ぶりにヌードルスをNYへ呼び戻したのは誰なのか、という謎を解くため様々な手掛かりや情報を集めて真相に至るという。
この過程もワンスの面白さの一つですが、結末を知ってから見返すと「これ全部マックスがヌードルスを自分の元へ呼ぶために仕込んだことなんだよな…」とあまりの手の込みように呆れるやら感心するやら、何とも言えない気持ちになります。
さすがヌードルスのためならどんな苦労もいとわないマックスだよ。ある意味天晴だよ。

その中でも特に驚いたのはヌードルスの名前で建てたお墓(霊廟)と、息子の名前。あれびっくりしたわ、ホント!!
ヌードルスが35年ぶりにモーの店を訪れたのは1968年11月(TVニュースの日付より)
そのきっかけとなったユダヤ教会からの墓地移設の案内状発送は1968年3月頃。
ただ、霊廟の建立年は1967年となっていました。つまりユダヤ教会からの案内があった時にはもう、マックスたちのお墓は移設済みだったということになります。
ということは、墓地移設の案内状をヌードルスを呼び戻すために使ったのは、あの霊廟へヌードルスを誘導するためだったと考えられる。マックスが与えた最初のヒントが「お墓」で、連想させるために墓地移設案内状を使うのが丁度良かったのかもしれません。

手紙の誘導通りに霊廟を訪れたヌードルスが壁の銘文に気付くよう、そこへ鍵をぶら下げる。銘文を読んだヌードルスは驚き、訝しみながらも、「鍵」というヒントを元に今度は駅のロッカーへ。
そしてそこで現金と「仕事の依頼」を見つける。
謎解きゲームのようにヒントを一つずつ渡して、自分の元へヌードルスを導こうという算段ですね。このまだるっこしさにもマックスの性格や願望が表れているな~と思います。
(一つ分からないのは、ヌードルスがいつベイリー長官邸のパーティー招待状を受け取ったのかってことなんですが…ベイリーというヒントはTVニュースで映画を見ている観客には伝えられるので、招待状云々は編集でカットされたのかもしれないな~と思っています)

で、話を戻してお墓ですよ。
マックスは死んだことになっているので、墓を移設するのは分かる。
でも別にあんな立派な霊廟を建てる必要はないし、そこに「建立 ヌードルス」なんて銘文を刻むのホント…何考えてんだよ~マックス~~!?

…いや、ヌードルスのことだわ。マックスが考えてるのヌードルスのことしかなかったわ、そうだわ。

というわけであれは、マックスの願望墓だと思います。
「ヌードルスが自分(とコックアイ&パッツィ)を想って立派な墓を建ててくれたら嬉しいな☆」というマックスの願望の結晶。それがあの墓。
例えるなら、好きなアイドルの名前を婚姻届の「夫(妻)になる人」欄に書き込んで妄想にふけるドルオタのようなもの。
マックスの場合その願望というか妄想を形にできるだけの財力があったので、あんな墓を作っちゃったんじゃないかと思います。
それ以外の理由が私には思いつかんかった…有り余る愛と金がなきゃ建てないよなぁ、あんなの…。

あと息子!!
息子にヌードルスと同じ名前(デイビッド)を付けるとかさ…もはや愛以外に何の理由があるというの…???
デイビッド君は見た感じ20才前後くらい?ということは、ヌードルスと生き別れてから15年以上経っていた頃にマックスは自分の一人息子にヌードルスと同じ名前をつけたってことで…更につい最近も、ヌードルスの名前で過去の自分の墓を作っちゃったりしてるってことで…。
…マックス…お前、ほんと、さぁ……。
おそらく何も知らずに亡くなったであろうマックスの奥さんと、やっぱり何も知らないだろうと思われるデイビッド君…せめてデイビッド君の未来が明るいものであるよう願いたいですね…。

あ、そうそう名前と言えば、ヌードルスの本名はデイビッド・アーロンソンと言うらしいですが(霊廟の銘文より)、何で「ヌードルス」って呼ばれてるのかが未だに分かりません!!(笑)
マックスは本名のマクシミリアンからの愛称だし、パッツィも本名パトリックだから分かる。コックアイは本名フィリップだけど、彼は斜視でコックアイという仇名が付いたのだろうと思う。
でもヌードルスがどっから来てるのか分からねぇ…理由をご存じの方がいらっしゃったら是非教えて下さい(笑)


はい、以上「マックスがヌードルスを好きすぎるって話」語りでした。
他にも色々あるんだけど切りがないのでこの辺で…マックスのヌードルス愛が半端ないってことが伝わっていましたら幸いです。
そしてこの時点で滅茶苦茶長い記事になっているので、続きは次の記事にします…。