2019年12月7日

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」について考える③

※今回は考察というより、ただの長い萌え語り文です。


【のぞさきがヌードルスとマックスを演じるということについて】

長々と書いてきた「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」の考察ですが、書き始めたきっかけは最初の①に書いた通り「さきちゃんが演じる予定のマックスが色んな意味でヤバい奴だったから」でした。

でも実はもう一つ大きな理由がありまして、それは「さきちゃんが望海さんともう一度『ドン・ジュアン』を演じたいと思っている」と知ったことでした。
というのも、「ワンス」のマックスって「ドン・ジュアン」のドン・カルロと似ている部分があるのでは?と思ったんですよ。
もちろん、人物としては全然似ていません。ただ、ドン・カルロがドン・ジュアンに対して抱いていた感情と、マックスがヌードルスに対して抱いていた感情には共通点があるように思ったのです。

というわけで、「ドン・ジュアン」から始まった【のぞさき】を振り返りつつ、お二人がヌードルスとマックスを演じることについて語りたいと思います。
あ、ちなみに今回は超!個人的な!萌え語りです!!
読んでも作品解釈に役立つような内容はあまりないと思いますんで、そこんとこよろしくお願いします!!


さて、私がワンスのBDを観賞する少し前、雑誌「婦人画報」にさきちゃんのインタビューが掲載されました。
過去の出演作から特に印象深い場面を語るという内容で、さきちゃんが挙げていたのが「ドン・ジュアン」の「悪の花」というナンバー。ご覧になった方ならすぐに「分かる」と深く深く頷く場面かと思いますが…酒と快楽に溺れる日々を過ごす超プレイボーイのドン・ジュアン(だいもん)と、そんな彼を善の道へ導こうと奮闘する友人ドン・カルロ(さきちゃん)がお互いの主張を激しくぶつけ合う、まさに「殴り合いのような」デュエット曲です。
そしてそのインタビューの中でとても印象的な言葉がありました。


ドン・ジュアンに対する気持ちはなんだったのだろうといまだに思うんです。友情なのか、それを超えた愛情なのか、正しい道を歩ませたいという使命感なのか……。これだ!という感情は最後まで見つかりませんでした(「婦人画報」2019年11月号 p.325より)


…「ドン・ジュアン」大好きマンのわたくし、この部分を読んだ瞬間「ッアーーー!!!」と叫んで思わず天を仰ぎましたわ。そう、それだ!!って思ったんですよね。激しく同意ってやつです。
さきちゃんが演じたドン・カルロ君は滅茶苦茶良い奴で、女性にも紳士的で礼儀正しい好青年で、人としてかなりKUZUなドン・ジュアンと何で友人なのかが分からないくらいで…むしろ唯一の欠点が「ドン・ジュアンの友人」ってところなのでは?と思うような人物でした。
でもカルロ君はひたすらにドン・ジュアンのことを想い、どんなに冷たくあしらわれても諦めず、彼を良い方向へ導こうと説得し続け、最後には一人で死を選んだジュアンのことを「死ぬことはなかったのに」と悼むのです。
一応カルロ君にはエルヴィラという好きな女性がいる設定ですが、どう見てもジュアンへの想いの方がデカすぎて「あんた、あの子(ジュアン)の何なのさ!?」と作品を見る度に問い詰めたくなりました。ていうか未だに心の中で問い詰めてます。

ただその「デカすぎるジュアンへの想い」が一体何なのか、私も長いこと答えは出ませんでした。
だからこそ、さきちゃんの「これだ!という感情は最後まで見つかりませんでした」というコメントに天を仰いだわけです。
ドン・カルロがドン・ジュアンへ向けていたのは、「友情」や「愛情」のように単純にカテゴライズできないけれど、とてもとても大きくて深い感情。答えはそれで良かったのだ、と思って。

そして、同じように「カテゴライズできないけれど、大きくて深い感情」を友人に対して抱えていると思ったのがワンスのマックスでした。
ドン・カルロは「大切な友人(ドン・ジュアン)には自分と共に善の道を歩いてほしい」と願って行動していた人だと思います。
それに対して、マックスは「大切な友人(ヌードルス)には自分と共に悪の道を歩いてほしい」と願って行動していた人だと思うんです。
善と悪という方向性こそ真逆だけど、「大切な友人と、同じ道を歩いていきたい」という二人の願いは同じだったと思うんですよ。そのためにドン・カルロもマックスも、最後まで諦めずに一緒に歩きたい道を友に示し続けた。
そういうところが、二人を似ていると思った所以です。

宝塚では、どんなに評判の良かった作品でも同じキャストで再演が行われることはまずありません。
どれだけ願っても、のぞさきで「ドン・ジュアン」が再演されることはないでしょう。…滅茶苦茶残念ですけど。
ただ、全く同じではなかったとしても、さきちゃんの中で「最後まで見つからなかった感情」が再びだいもんへぶつけられる瞬間をもう一度見られるかもしれない(そして考えたくないけど、これが最後のチャンスになるかもしれない)
そう感じたからこそ、絶対にお二人のヌードルスとマックスを見たいと思ったし、こうして萌え語りをするためにも原作をきちんと理解せねば…と思ったわけです。
いや~長い道のりでした…!(笑)

のぞさきの好きな所は色々ありますが、中でも濃厚な人間ドラマを見せてくれる所が私は本当に好きなんですよね。

「ひかりふる路」のマクシムとダントンは深い絆で結ばれた親友でありながら、政治的な考え方の相違からやがて関係に亀裂が生じ、マクシムはダントンを死に追いやる。
「ファントム」のエリックとキャリエールは実の親子だが長年名乗り合うこともできずにすれ違い、理解し合えたのも束の間、最後にはキャリエールがエリックを銃殺…。
「壬生義士伝」の貫一とジロエは幼馴染の大親友であったが、身分の違いから進む道が分かたれてしまい、ジロエは貫一に切腹を命じなくてはならなくなる。

…なんかさ、濃いっていうか重いっていうか、人間関係をこじらせすぎじゃない…?
共通してるのは、どれも「お互いを大切に思う気持ちに嘘はないのに、時代背景や環境のせいで気付けば関係がこじれてしまっていて、ついには悲劇的結末を迎えてしまう」ということ。
そう、どれも本当にね…とても深い友情や家族愛で結ばれていた人たちなんですよね。
ダントンはマクシムが狂気の道に堕ちないよう命懸けで彼を止めようとした結果の死だし、キャリエールはエリックを愛していたからこそ「殺してくれ」という彼の望みに応えて銃を撃った。
そしてジロエは国を守るために貫一を殺してしまったことから、自らも悲劇的な運命を辿るという…。

せ、切ねぇ~!!ライバルとか敵役とかではなく、親友や親子なのに毎回上手くいかないの切なすぎません!?(笑)
最近の他組のトップ&二番手が演じてきた関係性を思い返しているんだけど、のぞさきほど友情や家族愛をこじらせているところって他にない気がして…。普通に親友とか、普通にライバルとか…親友なのに殺しちゃうとかあまり見ない気がするんだけど??
別箱公演では違うものの、大劇場公演では何故か毎回どちらかがどちらかを殺す最後を迎える二人…何故なんだ…でもそこが堪らなく好きだ…(笑)

私はさきちゃんの、誰かと組んだ時のお芝居、特に深い愛情を抱いている相手と向き合う時のお芝居がとても好きです。
そしてこれまで、さきちゃんが向ける深い愛情を色々な形で受けてきただいもんのお芝居がまた滅茶苦茶好きなんです。
ドン・カルロも、ダントンも、キャリエールも、ジロエも、性格や年齢は全然違いますが、皆とても情が深い人々でした。
そして彼らの想いを、ドン・ジュアンは見向きもせず、マクシムは疑い、エリックは受け止め、カンイチは意地で突っぱねた。
こうして並べて見ると全部違って、全部大好きだなぁと改めて思います。
恋愛的な愛とはまた違う、様々な愛の形や複雑な人間ドラマを見せてくれる…そんなお二人だからこそ、濃い関係性の作品が多く生まれたのかもしれないな~なんて思う今日この頃です。

そして「ワンス」のヌードルスとマックス。
彼らの複雑な感情が、今度はどんなドラマを舞台上に生み出すのか…楽しみに楽しみにマイ初日を待ちたいと思います!

以上、「のぞさきがヌードルスとマックスを演じるということについて」語りでした。
最後までお付き合い下さった方、どうもありがとうございました!!

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