2019年11月23日

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」について考える①

※原作映画を予習済みの方向けの内容です。
未見で読まれると何の話だかさっぱり分からない上に、重大なネタバレだけ知ることになるのでご注意ください。また、ここに書いたことは全て個人的な解釈です。

それと、この記事長いです!!


「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」。
大好きな雪組でのミュージカル化が決まらなければおそらく一生見ることもなかっただろうこの映画、「観劇前に予習しとこ☆」と軽い気持ちで視聴したのが2019年10月上旬。
それがまさかこんなに深い沼にハマることになろうとはね~…いやはや自分でもびっくりです。

それもこれも、さきちゃんが演じる予定のマックスが色んな意味でヤバい奴だったから!!!!!(笑)

これに尽きます。
ただ初見時はストーリーを理解するのに手いっぱいで「マックスって何かヤバくないか…?」と思いつつも、どうヤバいのかが自分の中でも全然まとまりませんでした。だってなげーんだもんこの映画…!!
今一般的に出回ってる「完全版」で229分ですよ。229分。カップ●ードルが76個作れちゃう時間。「エクステンデッド版」は更に長くて251分あるんですって、アンビリーバボー!

でもそんな長~い映画を見て確かに感じたこと。それは「マックスはヌードルスをこじらせすぎていてヤバイ」ということ。
では彼はどこでどうこじらせてしまったのか…?
その答えを探るため、私は決意した。

そう、映画の内容を全て書き起こそうと…!!(クレイジーですね!!!)

作品の謎は作品の中に答えがあるはず。
であれば丁寧に内容をさらうしかない!!と考え書き起こし作業を始めたものの、映画をまた頭から見返し、内容や台詞のメモを取り、それをノートに清書して…ってやってたらノート完成まで1か月以上かかったし軽く腱鞘炎になったのであまりお勧めはしません。
いや、勧めても誰もやらんだろうけど。

まぁそんなわけで前置きが長くなりましたが、私なりにこの映画を解釈してみた話、そして今の雪組(というかのぞさき)がこの作品を上演することについて語ってみたいと思います。
語りたいのは主に3点。

●映画で使用されている楽曲とその意図について
●ここがやばいよ、マックスさん!!
●のぞさきがヌードルスとマックスを演じるということについて

書いてるうちに他にも語りたいこと出てきそうなんだけど…そん時はそん時だな(笑)
というわけで、最初は「映画で使用されている楽曲とその意図について」から!


「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(以下ワンス)は、劇中で流れる美しい音楽も魅力の一つ。
映画音楽の巨匠・モリコーネが作曲した音楽はもちろんですが、ポピュラーミュージックも印象的に使われています。
そしてその音楽が、作品を理解する重要なポイントになっていると思うんですね。レオーネ監督作品の特徴の一つに、「音楽にストーリーを語らせる」という手法があるらしいし(Wiki情報)
というわけで特に印象的な4曲について紹介しつつ、私なりの作品解釈を書いてみます。


①「God Bless America」…作品全体への監督からのメッセージ

私はこの映画で初めて知ったんですが、アメリカでは第二の国歌と称される程親しまれている曲だそうです
1918年、ユダヤ系アメリカ移民のアーヴィング・バーリンによって作詞作曲された曲で、舞台の劇中歌として作られたものの使われないままお蔵入りになってたのだそう。
それから20年後の1938年、ナチスドイツの台頭に憤ったバーリンはアメリカ愛国歌として改めてこの曲を世に送り出そうと考えます。歌の内容は、「アメリカに神の祝福がありますように」という愛国心に溢れたもの。人気歌手ケイト・スミスが歌ったこともあり、ラジオで流れるやいなや大人気となったこの曲は全米中に広まったのだとか。

ワンスの中では、映画の冒頭と終盤にこの「God Bless America」が流れます。
まず冒頭の出演者クレジットから、イヴが登場する辺りまで。
そして終盤の、若者たちを乗せた自動車がヌードルスの横を通り過ぎていく場面。
OPテーマとEDテーマみたいな感覚ですかね?正確にはEDではないけれど。

ただ正確性を考えると、映画の冒頭でこの曲が流れるのはちょっとおかしい。
というのも、ケイトが「God~」を歌ったのは1938年。
そして映画冒頭のシーンは1933年。
時代が合わないんですよね。他の挿入曲は一応時代が合っている(と思う)ので余計にこのずれが目立つ。

なのでまぁ色々考えた結果、この曲こそ作品全体に込めたレオーネ監督のメッセージなんだろうな、と思うことにしました。
付け焼刃知識ですが、レオーネ監督はイタリア人で英語も殆ど話せなかったのだそう。ただ幼い頃からアメリカに強い憧れを抱いていた。寡作の映画監督ですが、代表作と呼ばれる作品はアメリカをテーマにしたものばかりです。そんな憧れの結晶の一つが「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」という作品だったのでしょう。

ワンスの中ではアメリカという国の近代史、それも血生臭いギャングの抗争や彼らと癒着していた政治家などあまり褒められたものではない暗部が描かれています。
ただ映画を見ていても、アメリカのそんなダークサイドを強く批判したり、逆に礼賛したり、という主張は感じませんでした。
清濁併せ呑むというのかな…おそらく、アメリカの華やかでエネルギッシュな面も、ダークで混沌とした面も、全部ひっくるめて監督は大好きだったんだろうな~と思うんですよ。愛がなければ、こんなに長くて執念のこもった作品は作れないんじゃないかな。

セルジオ・レオーネが長年憧れ続けた「アメリカ」という国を寓話的に描いたこの作品。
作品内で描かれた「アメリカ」は実際のアメリカとは異なる部分も沢山あることでしょう。モデルになった実在の人物はいても、そもそもフィクションだし、様々な描写も誇張されている。外国人が考えた想像の中のアメリカに過ぎないと捉えることもできるかもしれない。
それでも監督はアメリカを心から愛している。
そんなアメリカ愛、アメリカ賛歌の想いが「God Bless America」には込められていたのでしょう。私はそう感じました。


②「アマポーラ」…ヌードルスにとってのデボラ

2曲目は「アマポーラ」。映画の中で最も印象的に使われている曲ですね。
1924年にスペイン出身の作曲家ホセ・ラカジェが発表したラブソングですが、これはヌードルスにとってのデボラを象徴する楽曲なんだなぁ…と歌詞を見て↓思いました。


ひなげしよ、美しきひなげしよ、
いつだって僕の心は君だけのもの
君が好きだ、僕の愛しい子、
花が昼の陽射しを愛するように

ひなげしよ、美しきひなげしよ、
嫌な顔をせずに私を愛しておくれ
ひなげしよ、ひなげしよ
君はどうして一人でいられるのだろうか
Wikipedeiaの日本語訳より引用)


わたくし、曲は知っていてもどんな歌詞かは知らなかったんですよ。そしたらまぁ超~~ヌードルスっぽい曲だったのでレオーネ監督の選曲センスに膝を打ちました。いや、アマポーラ以外の曲も膝打ちっぱなしなんですけどね!

ストリートキッズ上がりのギャングという闇の世界で生きてきたヌードルスにとって、デボラは光の世界で生きている憧れの人。
少年の頃から、そして年老いてもなお、ヌードルスが恋焦がれ続けたのはデボラただ一人。まさに「いつだって僕の心は君だけのもの」なんですよね。
ただ、悲しいかなこれは片想いソング。
「嫌な顔をせずに私を愛しておくれ」という歌詞がヌードルスにハマりすぎていて何かもう切なくなっちゃったよ…。
デボラもヌードルスにはずっと心惹かれていたし、本当に好きだと思ったのはヌードルスだけだというようなことも言っている。ただ彼女は恋のために何もかも捨てる人間ではなかった。女優として成功するためには、ヌードルスのギャング業が障壁になることを分かっていたんですよね。
だから彼女は、いつまでもギャングを続けているヌードルスに「嫌な顔」をし続け、好意を伝えても彼の手を握り返すことはしなかった。おそらく、ヌードルスがカタギの仕事に鞍替えしていたらデボラと結ばれる未来もあったんじゃないかなと思います。

そして個人的に面白いなと思ったのが歌詞の「君はどうして一人でいられるのだろうか」という部分。
デボラはヌードルスの想いに応えはしなかったものの、他に恋人を作ったりはしなかった。
ヌードルスにとっては、自分のものにはならなかったけど誰かのものになったというわけでもない。
ずっと一人で咲き続けていてくれる孤高の花、それがデボラ。
だからこそ、ヌードルスの心にいつまでも咲き続けていたのかもしれません。

ところが物語の終盤、デボラが誰かのもの(マックスの愛人)になってしまったことが判明!
それが明かされる楽屋での場面でも「アマポーラ」がBGMで使われるんですが、ここだけ大分印象が違うんですよね。
それまでに使用される場面は
・少年時代、デボラのダンスをヌードルスが覗き見るシーン(2回)
・青年時代、ヌードルスとデボラの再会シーン
・青年時代、ヌードルスとデボラのデートシーン
の主に3つ。
どれもヌードルスにとってはデボラとの美しい思い出の場面であり、「アマポーラ」のメロディも美しくドラマティックに流れます。

それが楽屋の場面では、モリコーネ作曲のBGMに交じって「アマポーラ」の主旋律だけが聞こえる、という使われ方をしているんですね。
これはデボラがもう「一人で咲き続けていてくれる花」ではなくなってしまったことを表しているのと同時に、ヌードルスの美しい思い出が失われたことを表しているのかな、なんて考えました。

ワンスでは「思い出」や「喪失」が大きなテーマにもなっているので、そういう意味でもとても印象的なアレンジだと思います。


③「Yesterday」…ヌードルスにとってのマックス

3曲目は「Yesterday」。
ザ・ビートルズが1965年に発表した世界的大ヒットソングですね。
ポール・マッカートニーが亡くなった母親を想って作った曲らしいのですが、それが明かされたのは2001年のこと。それまでは「自分の元を去っていった恋人を想った曲」と解釈されていたそうなので、映画公開時の1984年の解釈もこちらでしょう。

で、私が気付いた限りですがワンスでは2回BGMに使われています。
1回目は、35年ぶりにNYへ戻ってきたヌードルスが駅に佇んでいる場面。
そして2回目は、最後の最後にマックスと決別する場面。

1回目の使われ方は、「時の流れ」を印象付ける意味が強かった印象です。
1933年のあの日、街から旅立ったヌードルスはもう過去のこと(=Yesterday)である。そしてこの映画は過去と現在(1968年)を描く物語である、という映画の導入的に使われたのかなと思います。

それに対して、2回目の使われ方は…正直しんどい!!(だがそこが良い!!)
「アマポーラ」の項で、ワンスは「思い出」や「喪失」が大きなテーマになっていると書きましたが、それが一番如実に表れているのがこの場面ではないかなぁ…。

物語の終盤、ヌードルスは自分が殺してしまったと思っていたマックスが実は生きていたこと。彼に裏切られ、金だけでなく愛するデボラまで奪われていたことを知ります。そして「お前を裏切った俺に復讐しろ。俺を殺せ」とマックスに迫られて逡巡する。
しかしその瞬間、彼の脳裏には少年時代のマックスとの幸せな思い出がよみがえってくる。遠く失われた、もう二度と戻らない大切な時間。
ヌードルスがそんな記憶の淵から戻ってきた瞬間、「Yesterday」がBGMで流れ始める…。


Why she had to go I don't know she wouldn't say
I said something wrong,now I long for yesterday
(彼女は何故離れて行ってしまったんだろう?僕には分からないし、彼女も言わないだろう。
 僕が何かまずいことを言ってしまったのかな。今、僕は昨日に焦がれている)


↑まさに「Yesterday」の歌詞の心境だと思うんですよ、この時のヌードルス。
マックスが何故ヌードルスを裏切ったのか。それはマックスの口からハッキリとは語られません。
それでも、いつしか生まれたヌードルスとの心の溝がこんな結末を招いたことは、これまでの彼らを見ていれば分かる。
そして、ヌードルスが「戻れるものなら、無邪気に笑い合った少年時代に戻りたい」と願っているであろうことも。

青年だった1933年にも、年老いた1968年にも、過ぎ去った幸福なひと時に焦がれていたのがヌードルス。
「Yesterday」はそんな彼の人となりを、非常に上手く表した一曲だと思います。
彼にとって「自分の元を去っていった恋人」とは、マックスと過ごしたかけがえのない少年時代だったのではないでしょうか。


④「Night and day」…マックスにとってのヌードルス

最後はこちら、「Night and day」。1932年にコール・ポーターが発表した大ヒット曲です。
この曲も気付いた限りでは2回劇中で使われています。
1回目は、ヌードルスとマックスがバカンスで訪れたフロリダのビーチの場面
2回目は、終盤でヌードルスがベイリー長官ことマックスの屋敷を訪れる場面

これはねぇ…解釈で悩みましたが、マックスからヌードルスへのラブコールなのかなと思っています。
改めて別の記事で触れたいと思いますが、マックスとヌードルスの関係って両片思いだと思うんですよね。
彼らの想いは恋愛的なLOVEではないと思いますが(少なくともヌードルスはそう。マックスは…分からん)、親友として心から愛し合っている。
でもお互いの見つめている方向が違うので、どうしてもすれ違ってしまうという。

そういう前提で、まず1回目のビーチの場面から考えてみます。
フロリダに来る直前、ヌードルスとマックスは仕事の方向性の違いから喧嘩をします。そして「もう話しても無駄だ」とばかりに出て行ったヌードルスを、マックスが慌てて追いかけて「考え直した」というようなことを伝え、仲直りの証としてて二人(+それぞれの恋人)でフロリダにやって来る。
でも、マックスの「考え直した」は口先だけで実際はそんなことないんですよね。ヌードルスが離れて行ってしまうのが嫌だから、その場をやり過ごすために出た言葉。そんな感じ。


Night and day under the hide of me,
There's an oh, such a hungry yearning, burning inside of me.
(夜も昼も 心のどこかで あなたを求めてやまない気持ちが燃え盛っている)


↑この歌詞ほど情熱的ではなかった…かもしれませんが、マックスは少年の頃から、大人になってもずっとヌードルスを必要としていたと思います。ヌードルスにとってデボラが心の支えだったように、マックスにとっての心の支えがヌードルスだったんじゃないかな。これは理屈云々ではなく、純粋にマックスはヌードルスが大好きで、彼と生涯の友でいたかったんでしょう。
だからマックスは、ヌードルスとの関係が上手くいかなくなっていることに悩み、この先も関係を続けていくための道を模索していた。そんな心情が「Night and day」に表されてるのではないかな、と思います。

そして2回目にこの曲が使われるのが、ベイリー長官邸の入口にヌードルスが立つ場面なんですよねぇ…。
この時ベイリー邸ではパーティーが開かれているので、「Night and day」はパーティー会場のBGMとして使われているのかなと思ったのですが…入口でそれが流れているってのが、さぁ…!!
入口って来訪者を迎える場所じゃないですか。そしてこの日マックスが一番会いたかった人はヌードルスじゃないですか…。
もーホント、マックスそういうとこな!?
結局、ヌードルスを手ひどく裏切っても、マックスがヌードルスを求める気持ちはずっと燃え続けてたんだろうと思うんです。じゃなきゃ息子にヌードルスと同じ名前をつけたり、ヌードルスの名前で自分の墓を作ったりしないだろうと思うので。


And its torment won't be through
'Til you let me spend my life making love to you,
Day and night, night and day.
(そしてこの苦しみが止まることはない 
 あなたと生涯愛し合えるようになるまでは 夜も昼も 昼も夜も)


先ほどの歌詞の続きです。
マックスがヌードルスを求める想いは恋にも似た苦しみを伴った。そしてその苦しみは今も続いている。35年間、変わることなく。
そんなマックスの心の内がこの曲に込められているのではないかな、と私は考えております。

あ、「じゃあ何でマックスはヌードルスを裏切ったんだ?」という点についての解釈は長くなるのでまた改めて!


⑤おまけ

4曲だけ紹介と思ったけど、他の曲のことも調べたので折角だからちょこっと書き残しておきます(笑)

●「泥棒かささぎ 序曲」

映画中盤、赤ちゃん取り換え事件の場面で流れる曲。ロッシーニ作のオペラ「泥棒かささぎ」の序曲です。
暴力的な描写が多いこの作品の中で、とてもユーモラスな場面ですよね~。やってることは酷いんだけど、音楽の軽妙さとあいまって悪ガキたちの悪戯みたいに見えてくるという(笑)
台詞の音声も一切入らないので、まさに「音楽にストーリーを語らせる」という使われ方ですね。

「泥棒かささぎ」は、ヒロインが奉公先で銀のスプーンを盗んだと疑われて処刑されかけるんだけど、間一髪で犯人が鳥のカササギだったと分かって無罪放免。最後には恋人とも結ばれてハッピーエンド、という物語。

赤ちゃんを盗むことなく居所を分からなくするというヌードルスたちの犯行内容にも合っているし、これまた巧みな選曲だと思います。


●「Summertime」

ジョージ・ガーシュウィンが1935年にオペラ『ポーギーとベス』のために作曲した超有名なアリア。
これまた映画の終盤、ヌードルスとマックスが対峙する場面で使われています。
具体的には、ヌードルスがマックスを殺さないと決め、立ち去る前に最後の言葉をマックスにかける辺り。
この曲についての解釈は自分の中でもまだ固まってないんですが…これ、子守歌なんですよね。


夏になれば暮らしは楽になるよ だから坊や 泣くのはおよし
いつか坊やも大空へ羽ばたいていくだろう
でもその時までは父さんと母さんがお前を守るからね


「Summertime」の歌詞をざっくりまとめると↑な感じ。
そしてヌードルスはこの時、マックスの無事を祈りながら「おやすみ」と言って去っていく。
ヌードルスが心からマックスの無事を祈っていたのか、口先だけの慰めだったのか、はたまた皮肉だったのか。本当の所は分かりません。それでもヌードルスにも、マックスが彼なりに自分との思い出を大切にしていたことは伝わっていた(懐中時計を見た時の表情にそれは表れていると思う)
だからこそ「お互いに辛かった」という言葉が出てきたのかな、と。
 「Summertime」 は35年以上すれ違い、お互いに苦しみ続けた二人の男の魂を慰めるための子守歌であり、鎮魂歌だったのかもしれない。
そんな風に今は考えています。


というわけで、「映画で使用されている楽曲とその意図について」のお話でした。
最後まで読んで下さった方、いらっしゃいましたらどうもありがとうございました~!!
「ここがやばいよ、マックスさん!!」と「のぞさきがヌードルスとマックスを演じるということについて」についてはまた改めて書きたい所存です。