2020年5月26日

もしも雪組スターさんがピアニストだったら…妄想④ ~望海風斗さん編~

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雪組のスターさんたちが、もしもピアニストだったらこの作曲家の曲が似合いそう!弾いて頂きたい!!という妄想文その④です。
今回は満を持して(?)雪組トップスター・望海風斗さんに弾いて頂きたいピアノ曲妄想だよ~!ドンドンパフパフ~!!
あ、先にお断りしておきますと、作曲家についての語りがとても長いです!!でも「fff」の予習にもなるかもしれないから!よかったら読んであげてください!!(笑)


望海風斗さんに弾いてもらいたい!作曲家

●ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

「『fff』で演じる予定だからかーいw」とはどうか突っ込まないでおくんなせぇ…随分前からだいもんにはベートーヴェンが似合う!と私は思ってたのよ!!(笑)
言わずと知れた大・大・大作曲家であるベートーヴェン様。その偉大さを称えて「楽聖」とも呼ばれています。
ベートーヴェンの音楽の魅力は何といっても重厚で腹にガツンとくるような音の響きと、切なくも情熱的で印象に残るメロディ。
皆さんご存知「運命 第1楽章」の「♪ジャジャジャジャーン!」という出だしなんて、「♪エーキサーイター!!」とか「♪スーパー!ボイジャー!!」とか、青木朝子先生のショー曲かってくらいのインパクトと覚えやすさがあるんじゃないかと思います。
ラーメンにたとえるなら濃厚でガツンとパンチのあるとんこつ醤油。の中でもずばり、横浜家系ラーメン!(笑)

そしてベートーヴェンといえば不屈の精神と、情熱と信念を持って音楽を作り続けた人。
難聴という音楽家にとって致命的な障害を抱えながらも、数多くの名曲を残したことは広く知られていますね。
さらに彼は「自己表現としての音楽」を広めた先駆者でもありました。
ベートーヴェン以前の音楽家(たとえばモーツァルト)は、王侯貴族のために曲を作る「雇われ人」に過ぎませんでした。そのため、作る音楽も貴族好みの「BGMにちょうどいい音楽」みたいな軽めな曲が多かったんですね。ほら、もしもお貴族様の優雅なティータイムのBGMに「運命」なんて演奏したらもうおしゃべりどころじゃないじゃん?

それに対して「俺は!自分の感情とか!思想とか!そういう魂ってやつを詰め込んだ、聞く人の心を揺さぶる音楽が!作りたいんだ、ぜ!!」というロックな精神(?)で音楽を作り始めたのがベートーヴェン。彼が作曲家デビューした1792年はちょうどフランス革命の動乱がヨーロッパ中を震撼させていた頃。革命の思想に共感していたベートーヴェンは、一部の貴族のためではなく、広く市民に音楽を届けたいという想いが強かったようです
そんな情熱が詰まった彼の音楽は見事に大衆の心を掴み、今もなお愛され続けています。作曲した交響曲(オーケストラ用の音楽)全てが現代でも演奏され続けている作曲家はベートーヴェンくらい、なんて話もあるくらい。

ついでに、「自分の思うままに曲を作り、聴きたい人に売る」という現代では当たり前のスタイルの確立は、後世の作曲家たちにも多大な影響を与えました。ピアニスト妄想①~③で紹介した作曲家たちが好きな音楽を書いて飯が食えたのも、ベートーヴェン様あってのこと…なのかもしれない(笑)

この「時代を超えて愛され続ける普遍的な魅力」、「情熱と信念」、そして何より「音楽で誰かを幸せにする力」。
そんなベートーヴェンの楽曲を弾いて頂きたい方と言えば、心に響きまくる歌声やお芝居、そしてホットでディープな宝塚愛でもって極上の舞台を見せて下さるだいもんしか考えられないわ!!!

…というのがまぁなるべく客観的に考えた理由なんですが、ぶっちゃけ大好きなベートーヴェンの曲を大好きなだいもんがカッコ良く弾いてくれたら超~~萌えるだろうな~~というのが一番大きな理由だったりもします。ハハッ!
さて、前置きが大分長くなりましたが!だいもんに弾いてもらいたいな!と妄想した4曲(+α)をご紹介します!



ベートーヴェン「ピアノソナタ第8番 『悲愴』第2楽章」

だいもん×ベートーヴェンならこれは外せないかな…ということでまずはこちら。「SUPER VOYAGER!」のデュエットダンスでだいきほが歌っていたので、皆さまご存じですよね。
散々「ベートーヴェンは情熱的!」と語っちゃいましたが(笑)こんな風に大きな優しさで包みこんでくれるような美しい~~曲も沢山残しています。どこまでも優しく心地良いだいもんの歌声のような調べに聞き惚れたい…とか妄想していたら、「宝塚GRAPH」2020年6月号で実際に練習されていると知って飛び跳ねました!WAO!!


…ただ私がいっっちばん好きなのは第3楽章なのでよかったらこっち↑も聴いてください(笑)
初めて聴いた時はまだ小学生でしたが、あまりの美しさ、切なさ、そして激しさに胸を打たれまくり、いつかこの曲を弾きたいと強く願った思い出の曲なのです(そして実際に弾いてみたら「むっずかし!!」と現実に殴られたw)



ベートーヴェン「ピアノソナタ第14番 『月光』第3楽章」

「月光」ってあのゆったりした、ちょっと眠くなる曲…?と思われた方は、黙って動画をご覧になっておくんなまし。私が大好きな、そしてだいもんに弾いて頂きたい「月光」はこちらです!!(笑)
激流のように激しく!熱く!ダイナミック!!…もうあまりのカッコ良さにただ痺れるしかない。は~最高!!だいもんには男役の色香を駄々洩れさせながら、眉間にシワを寄せて伏し目がちに弾いて頂きたいですね。妄想で失神しちゃう。
ちなみに「宝塚GRAPH」で語られていたきいちゃんが練習中の「月光」はこちらではなく、有名な第1楽章の方ではないかなと思います。そっちも貼っておきますね。


(↑5:18~からは第2楽章。順番逆になっちゃいましたが、本来は第1~第3楽章まで通して演奏されます)



ベートーヴェン「ピアノソナタ第23番 『熱情』第3楽章」

「熱情」はベートーヴェン本人が考えたのではなく後世の人が勝手につけたタイトルですが、これ以上ピッタリの題名ないでしょ!!ってくらい熱い曲。聞く人の心を揺さぶりたい!というベートーヴェンの熱すぎる想いがビシバシ伝わってくる名曲です。
最初から最後までずーっとかっこいいん曲なんだけど、特に終盤(7:13~あたり)は圧巻。だいもんにはドン・ジュアンのような黒い役を演じている時の悪い笑み(笑)を浮かべつつ、熱く熱く激しく弾ききって頂きたいです…(でも見事に弾き切って観客へお辞儀をする時は別人のようなにこにこ笑顔になってそうだな~w)



ベートーヴェン「ピアノソナタ第17番 『テンペスト』第3楽章」

私は深く傷ついた時のだいもんのお芝居(「ひかりふる路」のマクシムとか「ファントム」のエリックとか)が大っっっ好きなんですが、この曲を聴くとそんなだいもんの姿が思い浮かんで「グッ…萌える…!」と奥歯を噛みしめがちです。恋しい人の面影を求めて、ヨロヨロとあてどなく彷徨うだいもん…良い…(※妄想)
もしくは「ワンス~」でデボラに去られた後のヌードルス並みに哀愁を漂わせて弾いて頂くのも良いなぁ。シンプルなメロディながら何とも胸に迫ってくる美しい曲で、だいもんにとても似合うんじゃないかなと思います。

他にも特にタイトルが付いていないピアノソナタにも好きな曲が色々あるんですが、あまりマニアックになってもアレなのでこの辺で…(笑)
最後に、ピアノ曲ではありませんが多分「fff」にも深く関わるんじゃないかな?というこちらの曲をご紹介しておきます。


ベートーヴェン「交響曲第3番 『英雄』」

フランス革命の思想に共感していたベートーヴェンは、平民出身ながら華々しい戦果を挙げた英雄ナポレオン・ボナパルトを尊敬し、彼に捧げるためにこの曲を作ったと言われています。
しかし後にフランス皇帝の座についたナポレオンに「彼も俗物に過ぎなかったのか!」と幻滅し、「ボナパルト」というタイトルを消して「英雄」に書き直した…なんて話も有名ですが、これが真実かどうかは実は分からないんだとか。ナポレオンへの献呈を取りやめた理由には諸説あり、「彼は生涯ナポレオンを尊敬していた」という説もあるようです。
「fff」ではこの辺りがどういう解釈になるのか…う~ん楽しみですね!ではでは~!

2020年5月23日

もしも雪組スターさんがピアニストだったら…妄想③ ~朝美絢さん編~

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雪組のスターさんたちが、もしもピアニストだったらこの作曲家の曲が似合いそう!弾いて頂きたい!!という妄想文その③です。
今回は朝美絢さんに弾いて頂きたいピアノ曲妄想。読んでも何も得るものはない妄想文ですが(笑)よろしければお付き合いください!


朝美絢さんに弾いてもらいたい!作曲家

●フランツ・リスト

「翔くんがショパンなら、あーさはリストだな」と連想的に思いついたのですが、我ながら結構しっくりきてます(笑)
ショパンとリストは同時期に活躍したピアノの天才で、当時から並び称されていました。ショパンが「ピアノの詩人」と呼ばれているのに対し、リストは「ピアノの魔術師」と呼ばれています。
ショパンもリストも美しくロマンティックなピアノ曲を多数残していますが、リストの方がより技巧的というか、もう素人目にも難解で悪魔的というか…ショパンが「柔」のピアノだとすれば、リストは「剛」のピアノってイメージ。
翔くんもあーさも超絶美形ジェンヌ様ですが、同じ「美しい」でも翔くんには甘く柔らかな魅力、あーさにはシャープで硬質な魅力を感じるんですよ。それもあって、あーさにリストってぴったりじゃないかな~なんて思うわけです。
ラーメンにたとえるなら、濃厚な旨味がありつつも後味さっぱり、見た目もシャレオツな一杯が多い気がする鶏白湯。

さて、リストは偉大な作曲家であると同時に超~~~天才ピアニストでした。
元々手が大きかった上に、どんな難曲も初見で弾きこなせる超絶技巧の持ち主だったそう(ただそんな彼もショパン作曲の練習曲は弾きこなせず、ショックのあまりしばらく引きこもって練習→しばらくしてショパンの前に現れて完璧に弾きこなし、ショパンを驚かせた…という大変エモいエピソードがあります)

そんな人が「こんな曲も弾けちゃう俺、最高にかっこいい!!」と作った曲なので(?)、どれも難曲揃いです。
リストの曲が弾けるってだけで滅茶苦茶かっこいいしそこに痺れて憧れちゃうのに、弾いてるのがあの「美、そのもの」みたいなあーさだったりしたら…アカン、妄想だけで倒れそう…。

そんな中でも、あーさに弾いてもらいたいな!と妄想した曲を4曲紹介します!



リスト「愛の夢 第3番」

だいきほのデュエットダンス(ミュレボの時)にも使われていた、とっっっても美しくてロマンティックな一曲。元々は歌曲だったからか、旋律が分かりやすくて聞きやすいところも魅力だと思います。
「3つの夜想曲(ノクターン)」という副題がついており、第1、第2もありますがこの第3番が最も有名です。夜想曲というくらいだし、月明かりに照らされたあーさの美しい横顔を拝みながらうっとり聴き惚れたいですなぁ…。



リスト「パガニーニによる大練習曲 第3番『ラ・カンパネッラ』」

こちらもミュレボで使われていましたね。繊細で、美しくて、華やかで、それでいて激しくて…も~絶対あーさに似合うと思います!激しい演奏に前髪がはらりと乱れて…とか素敵やん…?
リストといえばこの曲!というくらい有名ですが、パガニーニさんという名ヴァイオリニストが作曲した「ヴァイオリン協奏曲 第2番」が原曲。彼を尊敬していたリストがピアノ用にカッコ良くアレンジしまくった結果、今ではこちらの方が有名になってます(笑)
ちなみに「ラ・カンパネッラ」とは「鐘」という意味。言われてみると確かに鐘の音っぽさ
ありますよね。



リスト「3つの演奏会用練習曲 第3曲 『ため息』」

「リストを演奏するあーさを妄想すると、もうため息がホウッ…とこぼれてしまいそう…はっ!まさに『ため息』っていうピッタリな曲があったよね!?」というノリ選曲です。
まぁ私のノリはともかく、こちらも甘美で流麗な調べにウットリできること請け合いの名曲ですので、聴きながら色々と妄想を膨らませて頂きたいと思います!重すぎる一方通行な愛を抱えるあーさ(そういう役ほどハマるよね…)が苦悩しつつ弾いてたら最の高…。
しかしショパンと言いリストと言い、鬼畜難易度すぎて「練習曲、とは??」ってなりますな。



リスト「ハンガリー狂詩曲 第2番」

ロマ音楽的なリズムの変化や、他の楽曲(クシコス・ポストとか)のメロディがアレンジして取り入れられてたりと構成が面白い曲。動画の方は独自のアレンジも取り入れてるので更に華やかです。
前半は大人っぽいタンゴの場面で色気ムンムンで踊るあーさ、後半(動画の5:07~辺り)は中詰めの総踊りで眩しすぎる笑顔で踊るあーさ…というショーのナンバーを妄想して選びました。
あーさには情熱的で激しい曲が似合うなぁ…いや、私がそういう曲が好きなだけってのもあるんですがw

あと「ハンガリー狂詩曲」と同じくらい萌えるな~!!と思って最後まで迷ったのが「超絶技巧練習曲 第4番『マゼッパ』」。
鬼畜生かってくらいの難曲ですが、鬼気迫る表情のあーさが弾いたらマジで失神しそうなカッコ良さだと思うのでこちらも良かったら聞いてみてください。ではでは~!

※やっぱり「マゼッパ」も弾いて頂きたい!という思いが捨てきれなかったのでこそっと追加で貼ります…超~かっこいい曲だから御用と急ぎでない方は聴いて行かれて…



2020年5月20日

もしも雪組スターさんがピアニストだったら…妄想② ~彩凪翔さん編~

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雪組のスターさんたちが、もしもピアニストだったらこの作曲家の曲が似合いそう!弾いて頂きたい!!という妄想文その②です。
今回は「凪様」こと彩凪翔さんに弾いて頂きたいピアノ曲妄想よ~。


彩凪翔さんに弾いてもらいたい!作曲家

●フレデリック・ショパン

もうね、翔くんにはショパンしか考えられませんでした。
あんなにもお美しい方にこれ以上似合うピアノ曲があるだろうか?いや、ない(反語)
クラシック音楽は全然知らない、という方でも名前くらいは知っているであろうショパン様。「ピアノの詩人」と呼ばれるほど超超超偉大な作曲家で、ピアノを習い始める人間の95%くらいは「いつかショパンの曲を弾けるようになりたい!」という憧れを抱いているのでは(私もそうだった)
ラーメンでたとえるなら皆大好き王道の醤油ラーメン。

ショパンの魅力はもう語るよりまずは聞いてくれ!って感じですが、とにかく美しくて華やか!!それでいて、力強さや繊細さ、時に哀愁を感じさせる切ない旋律がもう聴衆の心をガッチリ掴んで離さない…。
美しさと華やかさの中に男役としての力強さや哀愁も漂う…ってこれはもう彩凪翔さんじゃん??
そして個人的に、ショパンには王道のロマンチックさがあると思います。もう白馬に乗ってマントをひるがえす王子様くらいにバリバリの。
そんなロイヤル感も含めて、翔くんにはショパン弾きとしてコンサートホールの聴衆を全員メロメロの骨抜き状態にして頂きたいですね!
多分「ショパン・ワルツ集」とかのCDを出すとクラシックのCDなのにジャケットが複数パターンある上に、店舗ごとの予約特典も複数あって大変なことになるんじゃないでしょうか。ヒュー!震える!!

ってことで、翔くんに弾いてもらいたいな!と妄想した曲を4曲紹介します!



ショパン「幻想即興曲」

ベタと言われようとなんだろうとまずはコレ。
んも~~~想像してみて、燕尾服でこれを弾かれる彩凪翔さんのお姿を…卒倒しそうなカッコ良さだから!!
激情のような熱さと、甘美な美しい調べのコンボにうっとりと聞きほれてしまいますが、聞きほれてしまうレベルで弾きこなすのは滅茶苦茶大変な一曲です。
まぁショパンの曲は全部そうなんですけどね!!



ショパン「ポロネーズ第6番【英雄】」

ショパン楽曲の明るさ、華やかさ、超絶技巧っぷりと良い所(?)をぎゅっと全部詰め込んだような超名曲。そして華やかさの中にも力強さや勇壮さがあり、そういうところも翔君のイメージに重なります。
ポロネーズは「ポーランド風の」という意味で、ポーランドの民族舞踊が起源になっているんだとか。
宮廷の儀式や戦士の凱旋行進から発達した舞踏だそうなので、なるほど納得のロイヤル感…(と言いつつ、この曲が作曲された経緯や時代背景は中々複雑なんですけども。詳しくはWikiとか見てね!)(笑)



ショパン「練習曲作品10 第3番【別れの曲】」

これもベタと言われようと挙げておきたい。ショパンと言えばこれ!みたいな超名曲です。「CAPTAIN NEMO」でも使われてましたね。
冒頭の穏やかなメロディが有名ですが、動画の1:25~辺りからとても激しくドラマティックな展開になるので「ああ~翔くん、恋人の前では穏やかな顔で別れを告げたけど、心の中では喪失感や悲しみが吹き荒れているのね…;;;」とか妄想しがいのある曲だと思います。
しかしこれが「練習曲」ってショパンは「練習曲」を一体何だと思っていたんだ…と突っ込みたくなりますね(ショパンの「練習曲」はどれも難易度も曲の完成度もエグイ)



ショパン「ワルツ 第14番 ホ短調(遺作)」

他に比べると少々マイナーですが、も~とにかく美しくて切なくて涙が出ちゃう名曲なので聴いて!下さい!!ダイナミックさと繊細さ、耳をとろかす甘い旋律と胸を焦がす切ない響きが怒涛の勢いで押し寄せてきて、心を揺さぶられまくっちゃう一曲です。
翔くんにはコンサートのアンコールで弾いて頂き、「最後の最後にこんなに心を揺さぶってくるなんて罪なお方!好きです!!」とお客さんのハートをがっちり掴みまくって頂きたいと思います。
あ、ちなみに「遺作」とついてるのはショパンが生きてる間には発表されず、彼の死後に発見された曲という意味で、特別暗い意味はありません(笑)


他にも「練習曲」だけでも「革命」「黒鍵」「木枯らし」、それ以外に「雨だれの前奏曲」やら「華麗なる大円舞曲」やら「ノクターン第2番」やら「軍隊ポロネーズ」やら…もうショパンは名曲が多すぎて書ききれんわ…4曲選ぶのも大変だったよ!!(笑)
ショパンのピアノ曲はいずれも妄想が膨らむ名曲ぞろいですので、色々聞き比べてみるのも楽しいと思います!ではでは~!

もしも雪組スターさんがピアニストだったら…妄想① ~彩風咲奈さん編~

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久々のブログ更新で何でか緊張してますが、タイトル通りの妄想文です!
愛する雪組のスターさんたちが、もしもピアニストだったらこの作曲家の曲が似合いそう!弾いて頂きたい!!という妄想を元に、好き勝手につづります。
私自身は一応子供の頃からピアノを習ってますが、クラシック音楽はたまに聞く…というくらいで特別詳しくはありません。もし「このスターさんならこの曲も似合いそう!」というご意見があれば是非教えて頂きたいです(笑)


彩風咲奈さんに弾いてもらいたい!作曲家

●ドビュッシー他、フランス近代作曲家

まずは私のご贔屓からってことで(笑)さきちゃんから妄想して参ります!
パッと思い浮かんだのは近代を代表する作曲家、ドビュッシー。
でも、同時期に活躍した他のフランス人作曲家の曲もきっと似合う…!という思いが捨てきれなかったので、「フランス近代作曲家」というザックリしたくくりで失礼します(笑)
クラシック音楽は2~300年前の曲が定番人気というジャンルのため、100年前の曲でも「近代の曲」に分類されるし、「200年前の曲と比べると、曲の雰囲気が斬新で現代的だな~!!」と感じるんですよね。この辺うまく言語化できませんが。

超個人的な印象として、フランス近代作曲家の楽曲は、一つ一つの音がキラキラと輝き、そのきらめきが重なり合って美しい情景が浮かび上がるような…点描画のような魅力のある作品が多いように思います。
ラーメンでたとえると淡麗塩って感じ。
音のきらめき、清廉な透明感、そして現代的で伸びやかな雰囲気がさきちゃんに似合うと思ってます!

ってことでさきちゃんに弾いてもらいたいな!と妄想した4曲を紹介するよ!



ドビュッシー「2つのアラベスク」第1番

曲名で「?」となっても、実際に聞いてみると「あ、知ってる」て方も多いであろう超有名曲です。
とにかく耳馴染みが良くて、音色も柔らかく、最初から最後まで美し~い曲なので、さきちゃんに是非弾いてもらいたいなぁと妄想しております。うっとり夢心地になりたい…!!
ちなみに「アラベスク」とはアラビア風の唐草模様のこと。タイトルに「2つ」とあるように、第2番もあってそちらも素敵な曲です。



ドビュッシー「ゴリウォーグのケークウォーク」(組曲「子供の領分」より)

こちらは軽快なリズムと、どこかトリッキーでユーモラスなメロディが魅力の一曲。19世紀末に黒人の間で流行していたダンスをモチーフにした曲だそうなので、さきちゃんが軽快に、楽しそうに踊る姿と重なるのかも。うきうき楽しそうに笑顔で弾いて頂きたい~!
ちなみに「子供の領分」はドビュッシーが「うちの子超可愛い!!」という親バカ全開で当時3歳の娘のために作った組曲。この辺り、「ファントム」のキャリエールもちょっと連想してます(笑)



ラヴェル「水の戯れ」

噴水から吹き出す水と光の反射をイメージして作られた、キラッキラした音色が魅力の一曲。私は「舞台で光輝くさきちゃんはプリズムのきらめきのようね…」とか思っているので、この曲のキラキラ感がイメージに合うんだと思います。
耳をくすぐる軽やかで清涼な調べから、中盤の勢いよく水が噴き出すような盛り上がり…と短めの曲ながら振り幅が広いところも素敵。なんかこう、ギャップ萌えみたいな??
動画の2分半〜あたりのカッコ良さよ…さきちゃんが弾いて下さったらと妄想するとぶっ倒れますね!



サティ「Je te veux(あなたが欲しい)」

CMなどでも良く使われている曲。元々はシャンソンですが、ピアノ独奏曲としても有名。甘くてロマンティックなワルツです。
シャンソンの歌詞は女性版と男性版がありますが、女性版を是非あーさキャロルに歌って欲しい。全私がむせび泣き、萌え死するわ。
明るくて軽やかな曲なので、コンサートのアンコールとかに弾いて頂きたいですね!お客さんが全員咲奈の女になって、帰り道もウットリフワッフワしちゃうやつ(笑)

他にもドビュッシーなら「月の光」や「亜麻色の髪の乙女」、ラヴェルなら「亡き王女のためのパヴァーヌ」、サティなら「ジムノペディ第1番」等々、魅力的な名曲は沢山!
ご興味あればそちらも是非聴いて、妄想の花を咲かせて頂きたいです~ではでは!

※改めてドビュッシーの「月の光」を聴いたらやっぱ名曲だし、さきちゃんに合う…と思ったのでこそっと追加しておきます(笑)


冒頭部分が有名だし、「アルジェの男」でアナベルちゃんが演奏しているので聴いたこがある方も多い曲かと。
優しくて、切なくて、幻想的で美しい…タイトル通り、月の光に包みこまれるような素敵な曲ですよね。
私はいつか、シンプルなお衣装でピンスポットの中をしなやかに踊るさきちゃんを見てみたいな~という願望があるのですけども、この曲で踊って頂くのもいいかも…と聞きながら思いました。月の精とか、なんかそんな感じの幻想的な場面で…劇団さん、いかがでしょう!?(笑)

2020年1月19日

雪組「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」キャスト別感想

※作品への感想(という名のダメ出し)はこちらの記事にて

☆ヌードルス@望海風斗

原作映画とのギャップに虚無顔になってしまった(※個人の感想です)ヅカ版ワンスですが、だいもん(望海風斗)の演技・ダンス・歌はやはり最高に素晴らしかったです。
とにかく歌が多い!!ちょっと心配になっちゃうくらい歌いまくってましたが、「ミュージカル」と冠したタイトルにふさわしい心に響く素晴らしい歌声を堪能しまくれたのはありがてぇことでした!!この歌が聴けるだけでも舞台を観に来る甲斐はあるよなぁ…。
きいちゃん(真彩希帆)とのデュエットも複数あったし、お二人の歌声を楽しむには最高の公演だったと思います。

…ただ申し訳ない、私はどーしても自分の中のヌードルス像と全然違うヅカ版ヌードルスに馴染めず!!最後まで違和感ばかりを感じてしまったので、だいもん演じるヌードルスが魅力的な人物とは思えませんでした…悲しい。
だいもんは大好きなんですよ!!
だから観劇していてときめいたり萌えたりする場面も沢山あったんだけど、それはヌードルスというキャラクターに対してではなく、いわば「中の人」であるだいもんへのときめきなんですよね。

やっぱり、ヌードルスを宝塚作品の主役に据えるのは無理があったんじゃないかなぁ…主人公ではあるけれど、なんせ寡黙だし「傍観者」のようなポジションのキャラクターなので。
台詞ではなく、表情や視線、ちょっとした仕草で感情を表現する人物というのは映像作品だからこそ映えるもの。多少大げさに表現しないと感情が伝わりにくい舞台演劇(なおかつスター制度がある宝塚)には、向かないタイプの主人公だったと思います。

ってことで前置き長くなっちゃったけど、「ストーリーはさておき、だいもんのここに萌えたよ!」ってところを!書きますね!!

まずオープニング!も~~~出てきた瞬間からかっこいい!!!
隙なく着こなしたスーツの上にトレンチコートを羽織り、目深にかぶったソフト帽から覗く横顔の美しさと背中のかっこ良さ…たなびく煙草の煙さえもセクシーダイナマイツ…これこれ、これぞ宝塚のギャングだよ~!!!といきなりテンションが爆上がりした瞬間でした!
このオープニングは翔くん(彩凪翔)やあーさ(朝美絢)もギャング姿でクールに踊るので、お芝居というよりはショーのワンシーンのようで楽しかったです。銀橋に雪組が誇るイケメン男役たちがズラーッと並ぶところなんか壮観だし、目が足りない~!!ってなっちゃった!
しかしこの場面もだいもんは「ヌードルス」としてのご出演なんですね。
てっきり「ギャングスター」という概念を演じているのかと思ったよ(だってキャラが違いすg…ンガックック!)

かーらーの少年時代のヌードルス!これがびっくりするくらい可愛いんだまた!!
ぶかぶかの洋服にもっさりした(笑)髪型が本当にお可愛らしくてね~…それに加えて将来の夢を語るキラキラした瞳、デボラとの二人きりの戴冠式と不意打ちのキス…幼い恋人のような関係を初々しく演じるだいきほにはキュンキュンしてしまった場面でしたわ~。

そしてキャストボイス等でも話題になっていた、一幕のラスト…!!
タキシードのタイをほどき、デボラを押し倒したが拒まれ、傷心のあまり真っ赤な薔薇をまき散らし、苦悶の表情を浮かべながらソファで足を組み天を仰ぐ…。

一連の流れのビジュアルが強すぎるんですけど…?????

なんかもう、薔薇を勢いよく引っこ抜いてウワーッ!!とまき散らす姿に圧倒されちゃいました。こんなに激情のままに薔薇をまき散らすのが似合う人を初めて見たかもしれないし、深く傷ついている時のだいもんの演技って最高に萌えるなと改めて実感。
ちなみに原作映画ではこの場面って陰惨な暴力シーンでもあるので、ヅカ版でどう描かれるか凄く気になっていたのですが…(笑)
ヌードルスの中の暴力的な衝動を、薔薇をまき散らすという耽美な表現に置き換えたのは上手いなぁと思いました(しかしあの別れ方なら、デボラのヌードルスへの愛はずっと残っていてもよさそうなのにな~~やっぱり脚本に納得いかんのだよな~…)

そしてそして、最後の壮年期がまた超~~~渋かっこよくてね…!?
若い頃とは違う落ち着いた雰囲気や、挫折を味わった男の孤独や哀愁を漂わせた姿…これ、これですよ!!私が観たかっただいもんのヌードルスは…!!!
ちょっとした仕草からもにじみ出る「男の哀愁」にグッと来たし、もっとそういう面を活かしたヌードルスを見たかったなぁ…。
ナウオンステージでだいもんが「映画のロバート・デニーロのように演じたかったけど、小池先生にもっと感情を出すよう指摘されて~」というようなお話をされていたのを見て、余計にその思いが募っております。私ももっとクールでちょっとニヒルな、渋みのあるだいもんのお姿を観てみたかったよぉ…。

でもスーツやタキシードの着こなしはさすがのかっこ良さだし、歌声も本当に素晴らしかったので、新年早々目と耳が幸福に包まれました!!色々思うところもあったけど、かっこいいだいもんを拝めて良かったです!!
東京公演も楽しみにお待ちしております~!!


☆デボラ@真彩希帆

デボラも映画とは大分違うキャラクターになってましたが、きいちゃんはこういう「一本芯が通った」女性役がとても似合うな~と思いました。
ヌードルスと惹かれ合いながらも、恋より夢を選ぶ。自分の選択を信じて進み、後ろは振り返らない。
何とまぁかっこいい生き様であることよ…でも恋と夢の間で揺れる姿に乙女心もきちんと感じられて、そこはさすが宝塚でしたね。

特にキュンとしたのは少女時代!も~すっごく可愛かったです!!
戴冠式ごっこの時に王冠を待つ横顔がウルトラソーキュートで、そらヌードルスも不意打ちキッスしたくなるわ…って思いました。
「皇帝と皇后」の歌もちょっと子供っぽく歌ってるのが可愛くてねぇ…その後の二人が辿る道に思いを馳せると、何とも切なくなる曲でもあるのですが。

ブロードウェイスター時代のきいちゃんも凄く良かったんですが、あの「あれ、私『1789』(もしくは古の紅白歌合戦)を観に来たんだっけ??」っていう衣装のインパクトが凄すぎて…(笑)
あ、でも制作発表会の時にも着ていた白いドレスは素敵だったな~!!あれは映画のデボラをイメージしたドレスですよね。とっても似合ってて綺麗だった~!!
そしてヌードルスに迫られて拒む時に薔薇を投げるのを見て「あの薔薇投げるものなんだ!?」とびっくりしていたら、その後だいもんが投げるというよりまき散らす姿にまたびっくりするという(笑)

あと印象的だったのが、壮年期にヌードルスと再会する場面。
少女時代の溌溂!キラキラ!とした雰囲気とはまるで違う、人生の酸いも甘いも噛み分けてきましたという大人の女性として登場してくる姿にドキッとしました。ここのヌードルスとの会話で「今、幸せか」という問いにお互いが「少しは」と答えるところ、とても良かったです。だいもんもきいちゃんも、お互いにこみ上げてくる感情を抑えてるんだろうなぁというのが感じられてね…だいきほコンビって歌だけでなく、お芝居もやっぱり好きだなぁと思いました。
この時着ていたジャケットも素敵だったなぁ~!デコルテがとっても綺麗で、元女優っぽさある~!!と謎の感動をしました。

ただこの場面でキャロルを労わるデボラの姿は見ていて辛かったな…。
キャロルがあんな状態になってしまった原因はマックスが死んだと思ったからで。そんなキャロルを見舞いながらも、デボラは実は生きているマックスの愛人に納まって何不自由なく暮らしているという…これじゃデボラが悪女みたいじゃない!?

きいちゃんの歌も演技もとても良かったですが、デボラとマックスとキャロルの関係性が最後まで引っかかってしまって…うーん、やっぱり脚本に納得がいかーーん!!!(また言っちゃったテヘペロ☆)


☆マックス@彩風咲奈

ビジュアルが鬼強い………(卒倒)

いや~~~少年期は滅茶苦茶可愛いし、青年期は滅茶苦茶かっこいいし、ビジュアル的には過去最高にときめきましたわ…え、さきちゃん(彩風咲奈)ってかっこよくない?かっこいいですね!!知ってた!!!!!

マックスはヌードルス以上に原作とはキャラクターを変えられちゃったので(詳しくは『雪組「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」の脚本にガッカリした話』の記事を読んでくれよな!なっがいけど!!)、こちらもマックスというよりはさきちゃん自身に萌えまくりました…ウウ、サキナアヤカゼ、チョーカワイクテカッコイイ;;;;;

まず少年時代がホンット可愛くてね!?ぶかぶかの上着にキャスケットという服装も可愛いし、ヌードルスとバグジーのやり取りを見守りながら「どっちに付こうかな」と思案している時の様子がまためっちゃ可愛い…。
酔っ払いから懐中時計を盗む場面は舞台用にアレンジされてましたが、マックスの抜け目なさや大胆さが表れていてとても良かったな~!!少年時代のヌードルスとマックスがワチャワチャ仲良くしてる場面って凄く短いんだけど、のぞさき史上最高(多分)に無邪気可愛い二人が観られたのは本当にありがたかったです…欲を言えば原作のあのシーンとかあのシーンとかもっと見たかったけどね!!
でもこの場面だけでも、マイのぞさきメモリアルに加えられて良かった…じーん…。

一転、ヌードルスがバグジーを殺してしまって警察に捕まる場面は切なくてさぁ…ヌードルスを守ろうとするも、あっけなく警官に防がれるマックスが何かもう可哀想で…。
コックアイとパッツィにかける「…行こう」という短い言葉に、彼が味わった悔しさや無力感、そして権力に負けない強さを手に入れてやろうという決意すら感じられて、切ないんだけどめっちゃ萌えました!

で、青年期ですよ…スーツ&タキシード祭の青年期…。
も~~「暗黒街の若き顔役」なんて肩書背負っちゃってるからさー!?スーツのお仕立てが大変よろしいんですよ!!三つ揃いをスマートに着こなした姿が滅茶苦茶かっこいいし、オフィスの机に腰かける時がまたがっごいい…;;;;もう頭のてっぺんから爪先まで全てがパーフェクトでした…足を組む時の角度がまた良いのよ~~!!ただでさえ長い足が更に長く見えた気がする(笑)
あとヌードルスが戻ってきて「お前に悪の流儀を教えてやる」と歌うところの振付がめっちゃ好きです。ジャケットをバッと開けて脇の辺りのシャツがチラ見えした瞬間、「生きてて良かった…」と生の喜びを噛み締めました。は~ありがたや!!

そういえばマックスのヌードルスLOVEっぷりは映画よりかーなーり薄まってはいたけれど、出所に合わせて高級スーツを仕立ててプレゼントしたり、キャロルにヌードルスのチャームポイント(笑)を話し聞かせていたりと、何だかんだ大好きぶりが感じられたのは良かったです。…でもやっぱりヌードルスのお迎えは映画のようにマックス一人で行って欲しかったな…グスン。

そしてそうキャロル!キャロルと一緒にいる時のマックスが最っっっっっっっっっっっ高にカッコ良かったし萌え死にました…。
いや、やってることは酷いんんだけどね、怒鳴りつけるし手も上げちゃうし。
でも女性を手荒に扱うさきちゃんって初めて見たからすっごく新鮮で「こんな顔もされるんだ~!」とゾクゾクしたし、暴力的な面を見せながらもキャロルへの愛もちゃんと感じられるのがまたね…堪らん…ってなりましたね…!!!

クラブインフェルノで二人が踊っている時に漂う濃密な空気とか、大人のカップル感ムンムンでめっちゃ良かったな~!!
ハバナ祭の場面で、ナンパ男に絡まれていたキャロルを見て「俺の女に何してる」と助けに入る姿にも滅茶苦茶萌えたし、その後キャロルとずっとイチャイチャしてるのに更に萌えました…も~そのまま結婚してもらえませんかね!?二人とも白い衣装だし、祭の喧騒から抜け出したままチャペルに駆け込んでくれ~!!(笑)

観劇前に楽しみにしていたのぞさき萌え要素については見るも無残に期待を裏切られたわたくしですが、さきあさという新たな萌えの扉がパッカーン!!!!と勢い良く開いたのが、ワンスにおける一番大きな収獲でした。
ありがとう、マックス&キャロル…二人に滅茶苦茶萌えたおかげで、私は嘆きの炎で身を焼き尽くさずに済んだわ…(笑)
それだけに終盤の二人の姿は悲しくて「脚本ェ…」ってまたケチつけたくなってしまうけど、オタクらしく妄想補完しながら強く逞しく生きて参りたいです。頑張る!


☆ジミー@彩凪翔

出番はあまり多くないものの、物語のキーマンとして凄く美味しい役どころだったのではないかと思います。
全体を通して、翔くんのお芝居はとてもとても良かったですね!衣装こそ地味めだけど、あの美しい瞳からみなぎる意志の強さは圧倒的な存在感を放っていました。ストライキの場面で、上手く立ち回りながら労働者たちを扇動する姿はかっこ良くもあり、ちょっと恐ろしくもあって凄く良かったな~。

でもヅカ版でジミーの役が変化したことで、一番割を食ってしまったのがマックスだと思うんですよ…。それがやっぱり悲しくて、ジミーについてはあまり語れそうにありません。そんなこともある、人間だもの。みつを。
終盤のマックスとのやり取りは、原作映画通りの設定で見たかったと切に思います。
対等に渡り合ってきた男たちのパワーバランスが崩れた瞬間のヒリついた空気を、彩彩で見たかったんだよ~…エーン!!

そんな私の不完全燃焼っぷりを、フィナーレで全部吹き飛ばして下さったのは滅茶苦茶ありがたかったです!!!!!フィナーレの翔くん超~カッコ良かった~!!!!!
翔あさがシンメで歌って踊ると、あまりの美しさに目と耳が本当にびっくりしますね…何というありがたさ…!!
宝塚にフィナーレがあって良かった~!!と改めて噛み締めました(笑)


☆キャロル@朝美絢

「♪あなたに~会え~て~本当に~良かった~」と小田和正の名曲をあーさキャロルに捧げたい。
も~嬉しくて嬉しくて言葉にならないよ…!!ホンットに魅力的なキャロルを演じて下さってありがとう、あーさ!!!!!

キャロルも映画とは全然違うキャラクターになってましたが、彼女の場合設定が変わることは初期段階で分かっていたのでね。
ショックを受けるどころか、イケコ先生素晴らしいアレンジをありがとう!!と感謝したい唯一のキャラクターとなりました。
あ、でも最後はなーやっぱちょっと納得いかないけどなー…(笑)

キャロルはデボラとあらゆる面で対照的な女性として描かれていたけど、セクシーでコケティッシュな魅力を振りまきながらも、内面はとても繊細でマックス一筋ってところがもう最高でさ~!!
ある意味「男の理想」みたいな女性だなって思いました。いや女の私から見てもめっちゃ可愛くて魅力的でしたけども。
そしてそんなキャロルの姿が、「美貌(外見)が話題になりがちだけど、中身は更に更に魅力的」というあーさ本人にも重なって見えてね…イケコ、ええキャスティングするやんけ…と超上から目線で思っちゃったわ。
いやだって最初はさ~、今このタイミングであーさに女役振っちゃう!?ってびっくりしたもん…でも蓋を開けたら納得でした。これは確かにあーさに演じて欲しくなるの分かりみマックス(笑って欲しい所です)

歌姫という役柄もあって、一人で歌う場面も多かったですがこれがまたすっごく良かった!!
歌がどんどん上手くなっているな~とは以前から思っていましたが、単純に技術面だけでなく表現力も物凄く上がってるなぁと。いや~素晴らしい…。
しかも情感たっぷりに歌う内容がさ、「私が惚れた男」という超お惚気ソングっていう!!(笑)
この曲、前半の歌詞が「彩風咲奈の魅力を熱く語る強火担」て感じだったんで最初に聞いたときはホントにびっくりしたわ!!
しかもそれをしっとり艶っぽく歌ってるのがあの朝美絢様ってのがもう…ありがたすぎて涙出ちゃうね、はー…。

そして今回、何より驚いたのはあーさが女役として寄り添った時にさきちゃんが何万倍も輝いて見えたこと!!
さきちゃんファンとしては物凄い衝撃でしたし、「男役をよりかっこ良く見せるのが娘役(女役)」という言葉をこれ程実感したのは初めてでした。本当に、こんなに違って見えることがあるんだなぁ…。
これはあくまで私の主観の話ですので「全然そんなことなかったよ」と思われた方も大~勢いらっしゃると思いますが、これまでで一番かっこいい(自分比)さきちゃんのお姿をただありがたく拝むばかりでしたわ。

何かね…さきあさが並んだ瞬間に「うわ、思っていた以上にお似合い!!」とビジュアル的にもテンション爆上がりしたし、あーさが役柄としてだけでなくさきちゃん本人も慕ってくれていることが伝わってきて、も~嬉しくてしょうがなくなっちゃったんですよね!
そしてさきちゃんもあーさを心から信頼しているからこそ、全力でぶつかっていけるんだろうなと。
媚びるのではなく、互いに尊重し合っているお二人の良い関係がマックスとキャロルの姿から伝わってきて、萌えと尊みで頭が何度も大爆発よ…さきあさがこんなに良い相乗効果をもたらすとは本当に思ってなかったよ~~ウッウッ尊い;;;;

だからも~最後のサナトリウムの場面とか切なすぎてさぁ…ワンスで唯一泣けたのは、キャロルの一途さとあーさの演技力にでした。
記憶喪失のくだりも原作ファンとしては「どうしてこうなった???」と思わなくはなかったですが、ハバナの歌を聞いて記憶を取り戻すキャロルが愛おしすぎたのでそこはもういいです。
ただデボラのことを「この人ね、女優さんなのよ」と話す姿があまりにも悲しかったわ…。

も~マジで何でマックスとデボラを愛人関係にしてくれちゃったんだYOー!!??

そこがなければ、マックスもまだキャロルを愛しているけれど「彼女をそんな風にしたのが自分だと、知られるのが恐いんだ…」とキャリエール(@ファントム)みたいなことを考えて遠くから見守っているだけ…とか妄想もしやすかったものを。
いや、どんなにしにくかろうと妄想はするけどね。勝手に。

とりあえず、あーさキャロルが最高に可愛かったハバナ祭の場面が良いアングルで映像として残ることを祈ります。
そしてできればカフェブレで放送して欲しい(笑)


さて、メインの5人だけでまた滅茶苦茶長い感想文になってしまったので、あとはサクッと簡単に~。

●にわさん(奏乃はると)のファット・モーが滅茶苦茶ファット・モーだった!!ギャングの世界に深入りすることはないけど、ヌードルスたちとの友情も大切にしている温かみのあるお役がとても合ってました。少年時代のファット・モー役のたっちー(橘幸)も可愛かったし(スチル写真のケーキとのツーショット可愛すぎない?)、どちらのファット・モーも魅力的でした!

●まなはる(真那春人)コックアイのビジュアル再現度にびっくり…!!カラコンとメイクでそれっぽく見せてるのが本当に凄いなと。そしてやはり抜群の安心感…ハーモニカの演奏も素敵でした!

●あがちん(縣千)のパッツィー、そんなに目立つキャラでもないはずなのにあがたワールドが炸裂している気がしてさすがだなって思いました(誉めてます!)「ラジオもあるぜぇ」とドヤったり、「ダイナマイトだぁ!」とはしゃいだりしているところ、何か可愛くてキュンとしましたwフィナーレのロケットも、か…可愛かったよ!!(ド迫力だった…)

●あみくん(彩海せら)のドミニクが思った通りの可愛さだった~!!!何だか出てくるたびにバグジーに捕らわれている気がして「…あれ、ドミニクってヒロインだったか?」とも思いました。まぁ可愛いから仕方ないですね…(?)

●バグジーのしゅわっち(諏訪さき)もあっという間に殺されて退場してしまうけれども、チンピラのボスっぽさが出ていて凄く良かったな~。そしてしゅわっちはハバナ祭の時にキャロルにベッタベタ触りまくっていたのが最高だったよ!(笑)

●プロデューサー・サム役のカリ様(煌羽レオ)が最っ高でしたwwwあのコートの着こなし、そしてガウン姿…もうこってこてすぎて惚れ惚れしちゃいましたわ。そして短い時間でもワイルドビューティー(笑)として圧倒的な存在感を示してくれたりさちゃん(星南のぞみ)も素敵でしたね!!

●作曲家としてデボラを支える役どころだったあやなちゃん(綾鳳華)も可愛かった~!きいちゃんとは同期コンビでもあるから、二人がきゃっきゃしている場面はとても微笑ましかったです。

●最初と最後に出てくるロックンローラー男ことはいちゃん(眞ノ宮るい)とかりあん(星加梨杏)がめっちゃ可愛い~~!!ここも同期コンビをイケコ先生が意識されたのかな?こういう配役は嬉しいですね。

あと彩みちるちゃんがバービー人形みたいでとっても可愛かったし、叶ゆうり君はやっぱりギャングが似合うと思ったし(誉めてます)、久城あすくんと杏野このみちゃんの宝石屋夫婦も面白かったし、病院患者を熱演していたケンジさん(ゆめ真音)が何だか愛おしくてとても印象に残りました!
一禾あおくんに台詞があったのも嬉しかったな~!!ロケットでも大活躍だったし、これからのご活躍が楽しみです。

2020年1月13日

雪組「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」の脚本にガッカリした話

※あくまで個人の感想です!!!そして原作映画のネタバレを含むよ!!!


2019年1月11日~12日にかけて雪組「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」を観劇して参りました!
も~楽しみすぎて東京公演まで待ちきれず、9年ぶりくらいにムラまで馳せ参じましたよ!!久し振りの宝塚大劇場、とっても楽しかったです!!
土日は貸切公演が多いので、できるだけ多く観るならここしかなかったんですよねぇ…友人の協力もあり、無事3回観劇できて僥倖でございました。

で、感想なんですが…。
雪組ファンの自分としては滅茶苦茶楽しめたので大歓喜している一方で、原作映画ファンの自分としては怒りを通り越して絶望し、ひたすら「何でじゃー!?」とちゃぶ台をひっくり返し続けてる感じです。そのせいで観劇後は全然感想がまとまらなかったし、色々考えすぎて夜も眠れなかったわ!!(笑)
とりあえず、雪組ファンとして大歓喜!の部分は主にキャストに対する感想になるので、作品自体に感じたことを先に書こうと思います。
さっき書いた通り原作ファンとしては絶望したので、またダメ出し感想になると思いますがそれでもいいよって方だけどうぞ!長くなりますが!!
雪組への感想を見たいって方はキャスト別感想だけ読んで頂ければ幸いです!!後日書くので!!


さて。
原作のある作品を舞台化、特に宝塚歌劇として上演する場合、様々な困難や制約があることはわたくしも存じております。
元々の表現媒体が違うので物語や演出を変える必要は出てくるし、宝塚の場合スターシステムの関係で原作のキャラクター設定を変えたり、すみれコードに合わせて表現をマイルドにしたり…。その結果、原作とは大分趣の異なる作品に仕上がることもあるけれども、原作の良さを活かしたアレンジにより「宝塚版」として成功する例も多いと思います。
で、私の中でその宝塚版への昇華が上手い方といえばイケコこと小池修一郎先生でした。
「ポーの一族」や「るろうに剣心」は原作ファンとしても「ありがとうイケコ!!!」とお礼を申しあげたい出来でしたし、「エリザベート」や「スカーレットピンパーネル」はオリジナルに近いだろう外部上演版と比べてみると「宝塚版」としてとても上手くアレンジされていると感じました。
原作の面白さは踏襲しつつ、宝塚版としてよりドラマティックに、ロマンティックな作品に仕上げて下さる…イケコへのそんな信頼があったからこそ、先に原作映画を予習しても大丈夫だろうと思っていたわけです(そして軽い気持ちで原作映画を見た私が、どっぷりハマって大分ヤバくなっていたのは過去記事「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカについて考える①~③」をご参照くださいw)
おまけにイケコ先生が長年舞台化を夢見ていた大好きな映画だと言うじゃないですか!それを充実期を迎えている今の雪組で上演するっていうんだからメチャメチャ期待が膨らんじゃうじゃないですか!!

だからも~楽しみ要素がハチャメチャに大きかった分、今回の脚本・演出にはマジでガッカリしちゃったのよ、イケコ!!!!!!!!!!

以上です。
はー、言葉にして吐き出したらスッキリした!(笑)
ガッカリポイントは色々あるんだけど、大きくは

●ヌードルスとマックスの根本的なキャラクター像の変更
●デボラの心変わり
●アメリカという国の描き方

の3つかな~。
もうモヤモヤが止まらないからうだうだ書くぜ私は!!ここは私の感想ブログじゃい!!!思ったことを自由に書くわいワハハ!!!


●ヌードルスとマックスの根本的なキャラクター像の変更について

まずヌードルスとマックスについて。
ここはさ~…ホンッッッッッッッットに色んな意味で楽しみにしていたのでガッカリ感がマジ半端なかったっす。絶望っす。
1回目の観劇後は「はっ?????何でこうなったの??????」て疑問符しか出てこなかったもん…。

ヌードルスは元々寡黙で、感情の起伏をあまり表に出さない人物。
カッとなると自制が効かなくなる面はあるものの、基本的に慎重派で高望みしないし、争いも好まないタイプ。

なのでそもそも「いつか皇帝になりたい」なんて大きな野望を抱く人物ではないんですよねー!!!???

ヅカ版で子供時代のヌードルスとデボラが「いつか皇帝と皇后になりたい」と夢を語り合う場面、とても微笑ましくて可愛くてキュンキュンしたけど、「皇帝になりたい」なんて言いだした時点で「あっ、この人はもうヌードルスじゃないな」って思いました。
ヌードルスにも貧しい生活から抜け出したい気持ちはあっただろうけど、世界の頂点を目指すような野心家ではない。だからこそ超野心家のマックスとは反りが合わなくなっていったわけだから、このキャラ変更でもうラストシーンの面白さは半減って感じでした。原作映画ではヌードルスとマックスの違いが際立つからこその名場面だったのにね。

それでも、刑務所から戻ってきた時にヌードルスの野心家キャラが無くなっていたらまだ良かったんですけどねぇ…何で宝石強盗に乗り気で参加しているのか謎だったし、依頼主のジョーを裏切る場面でも映画版ほどマックスを強く糾弾することもなく(まぁ裏切りの前提条件自体変更されてたわけだけど…)
生きるためにコソ泥程度の悪事はするけれども、大金を奪ったり、人を平気で裏切ったりという悪には抵抗を感じるヌードルスのピュアな面や葛藤が無くなってたのは本当にガッカリしたな…。大人になりきれないピュアさがヌードルスの魅力だと思うし、その葛藤に苦しむだいもん(望海風斗)を私は拝みたかったよ~。

ヅカ版だと、ヌードルスは大金を貯めるためなら犯罪にも積極的に身を投じていく印象でした。イケイケドンドンなマックスのやり方にもあまり抵抗がなさそうな感じがしたなぁ。それは全て「皇帝」になってデボラを手に入れるためだから、まぁ愛のためではあるんだけれども…ギャングをやめて欲しいと願うデボラに、ギャング業で稼いだ金を平気で貢ぐヌードルスって魅力的かなぁ?そこに葛藤はなかったのだろーか?本当にデボラを手に入れたいなら、薔薇の部屋やティアラを用意するよりもそのお金で真っ当な事業を始めた方がよかったんじゃないの??

ヌードルスがギャング業に乗り気かそうでないかとでは、デボラの「足を洗って欲しい」という訴えへの葛藤が全然違うと思うんですよ。
映画のヌードルスはマックスの強引なやり方が自分には合わないと感じていたけれども、他に生きる術を知らないのでギャングをやめることもできないでいた。そこへデボラが「ギャングのあなたとは付き合えない」とNOを突きつけることでヌードルスの中に葛藤が生まれ、ドラマも生まれたわけです。
イケコは何でヌードルスを中途半端に野心家っぽくしちゃったのだろう…同じ貧しい境遇で育ったマックスやデボラたちのように大きな夢に突き進めなかったからこそ、ヌードルスの哀しみや虚しさは際立ったのに。


そして更に更に心底ガッカリしたのがマックスのキャラ変ですよ……はー………ため息が深い。
原作ワンスの一番の見どころは、最後の最後、ヌードルスが殺してしまったと思っていたマックスと再会する場面だと思ってます。
ここでマックスが、最初から自分の死を偽装して別人になりすますつもりだったこと、ヌードルスの密告すら彼の策略の内だったこと、「親友を救おうとしたはずが殺してしまった」という罪悪感を敢えてヌードルスに与えたこと、そして彼から金も女も奪ったことを告白する。
マックスはヌードルスを手ひどく裏切ったからこそ、他の人間に始末される前に彼に真実を打ち明け、自分に復讐するよう仕向けた。そして全てを知ったヌードルスはマックスの裏切りにショックを受けながらも、彼との思い出を大切にすることを選び、殺しの依頼は断った。
この時のマックスの「これ(俺を殺さないこと)がお前の復讐なのか?」という言葉に対し、「違う、俺の考え方だ」と首を振るヌードルスの答えが何とも切なく、哀愁を感じる名場面です。
マックスを裏切ったと思っていたヌードルスの方こそが、実はマックスに裏切られていた。
でもマックスの中にもヌードルスとの友情はずっと生きているんですよね。その象徴が、酔っ払いから奪った懐中時計。二人の出会いのきっかけとなった懐中時計を、マックスはヌードルスを裏切ってからもずっと大切に使い続けていた。そしてヌードルスもそれに気付いて、何とも言えない切ない表情を浮かべるという…。
お互いに裏切りながらも、確かな友情で結ばれてもいた2人の人間ドラマこそがこの作品の真骨頂…と思っていたのに。のに。


何で!!マックスはたまたま生き残っただけって話になっちゃったのーーー!!??


もうさー…ヅカ版でキャロルが「マックスが酔っぱらっていつか銀行を襲撃するって話してた」て言い始めたところで嫌な予感はしたんだけどさー…まさかマックスが本気で連邦準備銀行を襲撃する愚か者にされてしまうとは思いませんでしたよ…!!しかもダイナマイトで扉を爆破するって何!?馬鹿か!?馬鹿なのか!?「オーシャンズ11」だってそんな雑な金庫破りしなかったでしょ!!??アメリカの連邦準備銀行って日本で言えば日本銀行よ~~~!!!???
ホント何でだよイケコ~!!マックスはそんな馬鹿でも無鉄砲な人間でもないでしょ~!!??

一応説明すると、映画版のマックスは禁酒法がいずれ終わることは予見していて、その後のビジネスにも当たりをつけてました(ジミーと裏で手を組んでの運送業)
ただそれをヌードルスに反対されて、じゃあ連邦準備銀行を襲おうと言い始めるんです。4人ばかしの小規模ギャングで中央銀行を襲撃しようだなんて、どう考えても正気の沙汰じゃないですよね。
で、実際マックスはこれを本気で言ってたわけではなくて、実は裏で自分の死亡偽装を画策しており、ヌードルスの密告に合わせてトラック事故を起こして見事に偽装を成功させ、ロッカーの共有財産も奪い去ります。
そしてマックスはベイリーと名を変えて政財界で大成功し、ヌードルスは親友を殺してしまった罪悪感だけを抱えてNYを離れて身を隠した…という流れ。
まぁ細かく言えばマックス一人の力でここまでできたわけではないんだけど、悪事に関してはマックスがヌードルスの一枚も二枚も上手の賢い人物だったことは確かです。

それがまぁヅカ版では、無謀すぎる銀行強盗計画を本気で実行したら爆発事故に巻きこまれ、たまたま生き延びたのでジミーに助けを求め、そのせいで最終的にはジミーにやり込められるというただの小悪党に…悲しい…私が見たかったのはそんな小物のマックスじゃないよ…。
ベイリーになったのも保険証が必要だったからってそんな…なんつーちんけな理由だよ…!?
まぁマックスがそんな暴挙に走ったのはお金に困ってたからってことにされてたけど、それもイケコが勝手につけた理由だしさぁ…原作のマックスはやり手だから不動産投資に失敗して資金の焦げ付きなんて出さないよぉ…。

何より、マックスこそがヌードルスを裏切っていたという重大なエピソードを変えてしまったせいで最後の再会から決別への流れが全然面白くないし緊迫感もない!!!!!

まず、ジミーがマックスに死を迫って銃を置いていくのはまぁいいとして、その銃を丁度良いとばかりにヌードルスに渡そうとするのおかしくない?ヌードルスに殺して欲しかったのなら自前の銃を用意しておくもんでしょ!?何でたまたまジミーが置いてった銃を渡すのさ!?
このヌードルスに急いで銃を渡すところ、マックスがより一層愚かに見えるからマジで変えて欲しい…。

あと何でマックスがヌードルスに殺されたがったのかも分からないんですよね。ヅカ版だと裏切ったのはヌードルスだけだから、マックスの方にこそ密告され裏切られたことへの恨みがあるのでは?生き延びたことをヌードルスに25年も黙っていた理由もよく分からないし…(デボラとの関係があるから言い出しづらかったのかもだけど、再会したのは10年前と言ってたし、それまでの15年は何してたんだよって思う)
それをいきなり25年経って呼び出して、「生きてたことを黙ってて悪かった、殺してくれ」と頼むのも変だし、断られて「俺を見捨てるのか!!」とすがるのも全然意味が分からない…見捨てるんじゃねーよ、ホントにヌードルスにはマックスを殺す動機がないんだよ…だって映画みたいに裏切られてないんだもん…むしろ「あの時は裏切って悪かった。俺のせいでやけどを負わせた」って謝らなきゃいけないのはヌードルスの方じゃないの…!?
最後の「何もしてやれないが、諦めるなよ」というヌードルスの無責任な励ましもよく分からんし、細かいことを言えば初めてやって来た屋敷で「裏口から帰るよ」と教えられてもいない裏口から出てくのも分からん…何で裏口知ってるんだよヌードルス…。

マックスをキャラ変してしまったせいで色々と話の辻褄が合わないのに、場面の流れは映画通りにされてしまったせいで名場面が珍場面にされてしまった印象でした。
ホント何でなんだイケコよぉぉ;;;;;;;


あとこれは本当に分からないんだけど、純粋にストーリーとしてヅカ版のワンスって面白いですか…?
私はどうも原作との違いに違和感ばかり感じてしまうので、ヅカ版が物語として面白いのかつまんないのかもう分からんのよねぇ。
映画版で面白く感じたのは、マックスが実は生きていたという真相に至るまでの経過と、ヌードルスとマックスが再会した瞬間のカタルシスだったんですけど、それが舞台だと印象が薄い気がするんだわ…。まず舞台だと最初にヌードルスが「マックスたちはあの晩皆死んだ」とサラッと話すだけなので、初見だと印象に残らない可能性もあるんじゃないかなーと。映画ではもっと現在と過去を行ったり来たりするし、ヌードルスがマックスたちの墓を訪れる場面もあるので「ヌードルスだけが生き残った」という要素が印象付けられるんですよね。
まぁ舞台だと時間軸を行ったり来たりするのが難しいのは分かるんですが(「壬生義士伝」の時も大変そうだったし)、プロローグの壮年期の後は少年期→青年期→壮年期と時間軸通りに進んでいくから、原作映画の少しずつ過去の謎を紐解いていくような面白さも感じなくて。
マックスが生き延びたことも観客にはすぐにバラしちゃうしなー…たしかにヌードルスは知らないわけだけど、観客も知らないままラストシーンを迎えた方がドラマティックだったと思うんだけど。まぁマックスの裏切り自体無かったことにされちゃったから何を言っても詮なきことですがね!

ちなみに原作映画は最初にアメリカで公開された時、監督の意に反して制作会社が「物語を時間軸通りに並べ替えた」編集版が上映され、大不評だったそうです(監督は滅茶苦茶落ち込んだそう)
その後、監督が意図した「現在と過去のエピソードを行き来しながら、少しずつ真相が明かされていく」という編集版(今でいう完全版)が公開されて、こちらは大絶賛されました。
私はヅカ版観劇後、このエピソードを思い出して何とも複雑な気持ちになったのでした。イケコはこの映画を舞台化して、何を一番観客に伝えたかったのかなぁ…。


●デボラの心変わりについて

ヌードルスとマックスのキャラ変同様、デボラも映画とはキャラクターが変わったというかもう別人でしたね!(笑)
ただ、性格が丸くなったことやヌードルスへの好意をはっきり示すようになった点については特に何も思いません。舞台だし、宝塚だし、ヒロインだし、まぁこれくらいの変更はあるわよね~って感じ。

ただ、解せぬ…ってなったのは最後の最後、デボラがマックスを愛するようになっていたこと。
あれマジで分からないんですけど!!何で!?デボラはヌードルス一筋でしょ!!??

ヅカ版デボラはブロードウェイスターからハリウッドに進出し、始めは良かったものの後ろ盾を失って引退状態に。その後はチャリティー活動だけしている、という経歴になってましたが、映画では年をとっても女優を続けています。
そしてその陰にベイリー長官ことマックスがおり、二人は愛人関係で結ばれている。デボラはベイリー財団のチャリティー活動もしているけれども、それと引き換えのように女優としても活躍し続けているという、どこかビジネスライクな愛人関係として描かれていました。ヌードルスと再会した時も、ベイリー長官邸でマックスと再会すればヌードルスがショックを受けるだろうと心配して彼を止めようとしています。色々あった二人だけど、デボラの中にはまだヌードルスへの情が残っているんだろうなと感じた場面です。

それがヅカ版ではいつの間にかデボラがマックスを愛するようになっているという…えっ何でそうなったの???
偶然再会したマックスの話を聞いて、同情しちゃったとかそういうこと?でも連邦準備銀行の強盗計画なんてアホなこと実行して、たまたま生き延びただけの男ですよ??しかも政財界で成功したとはいっても汚職まみれだし、「真面目な人よ」なんてどっから出てくるんだその評価…。
女優業を続けられなくなって、行き場を失ったデボラをマックスが囲っているってんなら分かるんだけど…囲われているだけで愛情がないのであれば、マックスを励ますための誕生日パーティーを企画しようなんてしないよねー…。
デボラ→マックスへの愛はいつどこで何をきっかけに生まれたんだろうか…さっぱりわからん。

マックスの方は少年時代にデボラを密かに思っていたというエピソードがあったけど(これもヅカ版オリジナル設定だけど)、青年期のマックスは何だかんだキャロルを愛していて、デボラに未練なんてなさそうだったのになぁ。なのでヌードルスがマックスに「良かったじゃないか、恋が実って」と皮肉めいたことを言う時も、違和感バリバリで全然響きませんでした。
映画みたいにマックスがヌードルスを裏切ってデボラを奪ったのなら、皮肉りたくなる気持ちも分かるけどさー…マックスは裏切ってないじゃん。これじゃヌードルスがただ羨んでひがんでるだけみたいじゃん。っはー、響かんわー!!

映画でも、マックスが何故デボラを愛人にしたのかはハッキリしないところがあったけど、裏切られた絶望感をヌードルスに味わわせる大きな要素にはなってたんですよね。だからこそマックスの「俺を殺せ」という要求の動機にもなりえたし。
それがヅカ版では愛人関係になった理由がますます分からなくなってたし、その必要性すら感じなくなってたんですけど…せめてデボラは映画と同じように、「誰と一緒にいようと、本当に好きなのはヌードルス一人だけ」という一途さを貫いて欲しかったな。それが細やかな救いでもあったのに。
あの終わり方じゃ、折角再会した親友と初恋の人を再び失ったヌードルスがあまりにも可哀想でさー…夢も希望もありゃしねぇよぉ…。


●アメリカという国の描き方

ヅカ版で凄く違和感があったのは、「マックスがアメリカを憎んでいる」という描写。
これも何でそうなっちゃったんだ?要素でしたねー…だって原作映画は監督のアメリカ愛が溢れてたじゃん。

プログラムのコメント等から察するに、「移民の物語」が大好きなイケコが移民要素を強調したくて付け足しちゃったのかなぁという印象です。
全編を通して「ユダヤ系移民はアメリカでは生きづらい」ということがヅカ版では強調されていたし、ヌードルスも「ダビデの星よ~」とか「神よ~」とかやたら歌っていたけど、映画ではそこまで民族色って強くなかったので観ていて不思議でした。
たしかに1930年代という時代背景的にユダヤ系は特に生きづらかっただろうし、貧しい生活から社会への恨みが募っていったということはあると思うけど…レオーネ監督のアメリカの描き方には憧れと愛を強く感じたんですよねぇ。
残酷な面も汚い面もある、でもエネルギッシュな華やかさにも溢れているのが監督の描くアメリカ。明も闇もどちらも等しく魅力的な国。そしてヌードルスやマックスたちは、その国で激動の時代を必死に生きぬいた。
その姿に「アメリカへの憎しみ」なんて感じなかったんだけどなぁ。

ヅカ版のマックスが連邦準備銀行を襲おうとしたのは、この「アメリカが憎い」という感情も動機の一つになったのかな、とは思いました。
でもこれもイケコのオリジナル設定なんですよね~~~~!!
マックスの父親が精神病患者だったというのは原作通りだけど、「アメリカを呪いながら死んでいった」というのはイケコオリジナルなのでね…やっぱりよく分からないですね…。

これはあくまで私の解釈だけどさ~映画を作ったレオーネ監督はアメリカにめっちゃ憧れてたし大好きだったと思うんだよ~「♪God Bless America~」と思っていたと思うんだよ~~そんなアメリカをさ、何で登場人物たちに「どうしようもなく憎い国」って言わせたんだろう…ちょっと悲しい。
少なくともワンスという作品において、「移民たちの恨みの物語」を描かなくてもよかったんじゃないかなって思いました。だって原作にはないんだもの。ただでさえ尺が足りないんだから、原作にない主義主張は突っ込まずにイケコオリジナル作品でそのテーマを描いてくれないかなーって思っちゃったのでした。
イケコのオリジナルアレンジって好きなものも多いけど、このアレンジは何を狙ってたのかよく分からなかったです。

まぁもしかしたら、映画の原作であるハリー・グレイの本にはそういう描写があるのかもしれませんけどね(ヅカワンスのクレジットも原作はセルジオ・レオーネではなくハリー・グレイとなっているし)


というわけで、雪組のワンス脚本にガッカリしたという話でした。良いと思った所も沢山あるんですけどね~!!
ガッカリ感があまりに大きくて吐き出さないと消化不良でぶっ倒れそうだったもんで、ハハハ(笑)
良かった点はキャスト感想の方で書けたらいいなと思います。萌えポイントについても語りたい~。
こんなグダグダ長文に最後までお付き合いくださった方、どうもありがとうございました!!