2019年9月5日

雪組「壬生義士伝」で、貫一郎は何故一人で特攻したのかって話

※ヅカ版「壬生義士伝」の貫一郎特攻シーンにモヤモヤが止まらなかったので、考えをまとめたくて書きました。
あくまで個人の解釈なので、同じようにモヤモヤした方は原作を読まれることをお勧めします…。

最初の感想でも書きましたが、鳥羽伏見の戦いでの貫一郎の特攻シーンは何回見てもひっかかりました。
で、原作を読んで改めて思ったんだけどあの描き方ではやっぱりダメだと思う。
この場面、観ていて「何で?」と思った方は多いと思うんですよね…劇場で観た時もライビュで観た時も、幕間に「あの場面、何で貫一郎は一人で突っ込んでったの?」と話す声があちこちから聞こえてきたので(その声に「だよねぇ~」と一人で頷いてた私…w)

何でひっかかるかと言えば、土方さんが「一旦大阪城に退いて態勢を立て直す」と生き延びる提案をしたのに、貫一郎は「勝つための戦ではござらん」と拒んで敵に特攻してしまったから。
「死にたくないから人を斬っている」「人を斬るのは家族を養うため」という、それまで描かれていた貫一郎の「家族への義」がここでいきなりひっくり返されちゃうわけです。どう考えても一人で突っ込んだら死ぬ可能性が高いんだから、土方さんの「ここで無理に戦っても無駄死にになるから一旦退こう」という意見の方が、貫一郎の義には沿うはずなんですよね。
じゃあ何でそんなことになっちゃったのか。
それは原作の流れを中途半端に変えてしまったからだと思います。

この淀川決戦の場面、原作の土方さんは「一旦大阪城まで退こう」なんて言いません。
逆に「一歩も退くな。退く者は斬る!」と錦の御旗にひるんだ隊士たちを鼓舞しています。ただ、やはり天皇の象徴である錦の御旗の威力は絶大で、多くの隊士が戦意喪失してしまった(新選組も尊皇派だからね)
そんな中、堂々と名乗りを上げて新政府軍に立ち向かっていったのが吉村寛一郎。
自分も尊皇の民であるから天皇様に弓引くつもりはない。ただ新選組として、一人の侍として、薩摩とは戦わねばならない。
彼の体を動かしていたのは、そんな武士としての矜持だったのではないかと思います。

そして命からがら淀川決戦を生き延びた貫一郎は、同じく生き残った新選組の仲間から「将軍様も会津公も、船で江戸へ落ちられたらしい。新選組は大阪城に籠って戦うぞ」と告げられます。
ここで貫一郎は仲間たちと大阪城に行くのを拒むんですね。なぜなら「幕府は散々に敗けて、将軍様も会津公も逃げ出したのに、一体何のために死なねばならないのか」と思ったから。貫一郎にしてみたら、幕府にも会津藩にも恩義はあれども自分の命を捨てるほどの忠義心はない。折角生き延びたのに、わざわざ無駄死にしたくないと新選組を離脱し、何とか故郷の盛岡へ帰れないかと考えるわけです。

つまり淀川決戦で貫一郎が特攻したのは、まだ侍として戦う理由があったから。
そして大阪城行きを拒んだのは、もう戦う理由もないのに無駄死にしたくないと思ったから。
そう考えると、貫一郎の言動に矛盾はないと思うんですよね。

原作では「新選組と大阪城に行く=死に戦に赴く」ことであるのに、舞台では「新選組と大阪城に行く=生きるために一旦退く」という真逆の意味ににすり替えられてしまった。その上、大阪城に行くかどうかの選択も決戦後ではなく決戦前に変更されている。
それなのに、貫一郎が淀川決戦に挑む時の口上は原作のままだし、「これは勝つための戦ではなく、人として忠義を尽くすための戦い」とか言い出す始末。これじゃ話がちぐはぐになるはずよね…突然キャラが変わっちゃってるんだもん。

そもそも土方さんに「一旦大阪城まで退こう」なんて、原作と全く違うこと言わせるからおかしくなっちゃってるんだよなぁ…。
たしかにね、皆が逃げようとしている時に一人敵に立ち向かっていくヒーローの姿がカッコ良く見えることはありますよ。
でもそんなとってつけたようなカッコ良さのために、キャラクターの核になる部分を変えちゃダメじゃない!?(いや、そういう理由で変えたかどうかは分からないけど!!)
吉村貫一郎は徹頭徹尾、家族のために生きた男なんですよ。貫一郎の根底には「武士として最も大事にすべきことは、弱い立場の百姓や民草を守り、ひいては己の妻子を守ることである」という信念があった。そして自分が真に忠義立てするのは南部藩でも幕府でも会津藩でもなく、家族であると。それこそが自分の義であると考えていたはずなんです。
だからこそ彼は、南部藩蔵屋敷で帰参を願い出たんですよね。生き恥をさらしてでも、どうにか生き延びて家族の元へ帰りたいと。

それが舞台では「勝つための戦ではない」と特攻したのに、生き残ったら南部藩に命乞いをするという何だかおかしな展開に…いやいや、死を覚悟して戦に臨んだ風だったのに、あっさり命乞いしちゃったら彼の「忠義」はどうなっちゃうんだよ!?「忠義に死ぬことこそ義」みたいな雰囲気だったじゃん!?
淀川決戦を変にかっこつけた特攻シーンにしてしまったせいで、物語の核である貫一郎の「義」がブレてしまった。
これが宝塚版「壬生義士伝」(というかダーイシ)の一番やらかしちゃったポイントかもしれない…それに比べたら鹿鳴館チームのあれこれとかささいな問題に思えてきたわ(笑)

しかしこうして書いてて、こんなグダグダの脚本をあんなに良いお芝居に昇華した雪組は本当に凄いな~とも改めて思ったのでした。

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